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永遠の福音――1  ラオデキヤ教会の聖徒たちへのメッセージ

目覚めよ ラオデキヤ教会!

私は、世界の各地において、多くの真実なクリスチャンたちと交わる機会を持ち、数々の教会で、集会を導いてきました。それは、実に心温まる経験でした。そのような中で、多くのクリスチャンたちが霊的な問題で葛藤している姿を目にしました。それを見て、私の心は彼らに対する同情心で溢れました。

彼らは、最終時代における預言運動の主役になることができるクリスチャンたちです。彼らの中のある人たちは、「神の戒めとイエスの信仰」のゆえに、獣の刻印の艱難が来たとき迫害を受けるようになる人たちです。『ヨハネの黙示録』は、最終時代のクリスチャンたちを、ラオデキヤの教会の人々と呼び、歴史に登場したもろもろの教会の中で、最も厳しい叱責を与えています。しかし、今、私たちの時代のキリスト教会は、イエス様が来られる直前の、最後に存在する栄光ある教会となるべきです。

ラオデキヤの教会に書き送られた手紙は、「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない」(黙示録3:15~17)というものです。

ラオデキヤ教会とは、本当は、神様が最後にご自身の民を呼び出されるとき用いられる通路となるべき教会です。しかし私たちは、使徒ヨハネによって、非常に生々しく描写されているラオデキヤ教会の状態を、自分たちのうちに認めなければなりません。

ある人たちは、「自分たちはイエス様を信じて救われている。イエスさまの救いは完全なのだからこれ以上何も付け加える必要はない」と思っているかもしれません。しかし、そのような人も、ヨハネの黙示録が、この時代を生きるラオデキヤ教会に対して与えた警告を無視するならば、自分のみじめな状態に気付かないまま、霊的な深い眠りを続けることになるでしょう。
使徒ヨハネは、ラオデキヤの教会を、霊的なものと肉的なものが混在する生ぬるい教会であると描写しました。霊的な目があまりにもかすんでいるため、自分たちが神様の目には吐き気がするほどひどい状態であることを、正しく認識することができないと言われています。最も貧しく、裸の状態でありながら、自分は富んでいると思い込み、冷たくも熱くもなく生ぬるいために、神様はもはや吐き出したいほどのひどい状態に陥っている、これがイエス・キリストが再臨なさる直前の教会の状態です。

神様の診断

私たちは、使徒ヨハネを通して警告を受けていますが、同時に、ラオデキヤ教会の致命的な状態を癒すために、神様が提供なさる治療薬もまた所有しています。天の父なる神様は、何が真理であるかを見分けるための目薬と、裸の体に着ける白い衣と、貧しいものを豊かにする金を提供してくださいます。言い方を変えるなら、私たちは、いつまでも生ぬるいラオデキヤ教会でいる必要はないということです。ラオデキヤ教会に与えられたメッセージの最後の部分には、次のようなみ言葉が示されています。

「すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(黙示録3:19,20)。
この聖書の箇所から、私たちが最も感動させられるのは、ラオデキヤの教会が、たとえ自己欺瞞に陥り、二心を抱いたまま奉仕していたとしても、神様はその教会を愛しておられるということです。神様は、ラオデキヤの教会に向かって、すべての病を癒す処方箋を受け取りなさいと訴えておられます。

神様は、とても単純で率直な言葉で、「悔い改めなさい。わたしがあなたの心の中に入れるように、心の戸を開けなさい」と語っておられます。私たちはここに、ラオデキヤ状態から抜け出し、完全な回復をもたらす治療薬を受ける道を発見できます。イエス様を心に受け入れるなら、主は、義と信仰と聖霊を私たちに与えてくださいます。みじめで、あわれむべきで、目の見えない者で、裸である私たちを、ご自身のみ座の側近くにおらせるために、勝利の経験へと導いて下さいます。これこそ、驚くばかりのお約束ではありませんか!

問題の核心

ラオデキヤ教会にあてられたメッセージを受け入れることは、自分の選択にかかっているという事実を覚えるべきです。私たちは何を悔い改めるべきでしょうか?深い麻痺の状態に陥ったラオデキヤ教会の人々は、罪を犯していることさえも認識できませんでした。彼らは、自分たちが富んでいると思いこみ、何も必要ないと言っている人たちです。生ぬるい温度は人を弛緩させて、後には無気力に陥らせてしまいます。ラオデキヤ教会の人々は、自分たちが絶望的で、失われている状態であると気づいていないのです。

「実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気づいていない」(黙示録3:17)。これが問題の核心です。ラオデキヤ教会は、自分たちの豊かさを誇りながら、自分たちの悲惨な状況を認識できないでいます。これほど神様が、本当の状態に気づくようにと訴えておられるのに、心の根本的な改変もないまま、形式的な礼拝を繰り返し、教会につながって、献金や奉仕をしているから救われるのだという致命的な安心感を持っているのです。自分と神様との間に、決定的な生きたつながりがもたらされなければならないのに、その必要を感じないで、表面的な信仰で満足しているのです。
もちろん、神様が吐き気をもよおされるこのような状態に対して、悔い改めるように力説する本やメッセージはこれまでにもたくさんありました。しかし、状況はさらに悪化してきています。なぜそうなのでしょうか?なぜなら、悔い改めのメッセージがラオデキヤ教会の人々の注意を引くことができないためです。霊的な目が見えないため、悔い改めに対する訴えさえも、たいした反応を起こしません。彼らは罪を見分ける目を持っていないのです。それゆえ、罪とは何であるかが正しく定義され、説明され、罪に対して明確な理解を持つことが必要です。

罪人として生まれたのだから、罪を犯しながら生きるしかない、というような説明は、彼らをさらなる眠りに誘うことでしょう。漠然と、「罪を捨てよう」とか、「悔い改めよう」などと、説教したり、文書を書いたりすれば、あとの個々の罪は、聖霊が彼らの良心に働きかけ、具体的に教えてくださるだろう、というような、あいまいな考えは捨てるべきです。聖書に出てくる預言者や改革者たちは、そのようにしませんでした。彼らは、大胆に罪を指摘して、指導者と民の罪をはっきり叱責しました。

神様は、この時代の見張人たちに、確かな警告のラッパを吹き鳴らすように命じておられます。目が見えず、コックリ、コックリ、居眠りしているラオデキヤのクリスチャンたちであっても、早く、神様のみ旨と真理が何であるかを、気づいて分かってほしいと願っておられます。イエス様が間もなく再臨なさるこの時代にあって、神様の僕たちに与えられている時間はそれほど多くありません。明確にラッパを吹き鳴らして、ラオデキヤ教会の人々を揺り動かして目を覚まさせることが必要です。

率直な説教に対して反対する人たち

ラオデキヤ教会の多くの人たちは、自分自身の罪を指摘されたとき、反対して立ち上がることでしょう。姦淫や偽りは十戒のおきてを犯す罪です。このみ言葉に対抗して立ち上がるクリスチャンはひとりもいません。そのような説教は、神様を信じない人であっても、反対する理由はありません。ところが、ラオデキヤ教会へ送られたメッセージに対抗して、人々が反対する理由は、罪を指摘する悔い改めの訴えが、教会の中にいるある人たちと直接に関わっているためです。

福音を、単に「喜ばしいおとずれ」として伝える説教であるなら、どの人も立ち上がって反対しません。そのような説教は、何の抵抗も生じません。人々は自分たちを包んでくれる、優しい説教を聞くことを願います。そのような、人間の要求に屈服した牧師たちは、信徒たちの感情を悪くさせないように、礼儀に反すると言われることを恐れて、真理の標準を低め、罪を罪として指摘することを避けます。
しかし、バプテスマネのヨハネは、当時高い地位についている人であれ、さげすまれていた人たちであれ、具体的に罪を譴責しました。彼は、王や貴族たちがメッセージを聞こうが拒否しようが、常に変わらず真理を宣布しました。
ヨハネは、罪を犯す人がいるとき、出かけて行って個人的に罪を指摘しました。また、パリサイ人たちの信仰は偽善で溢れていると言いました。ヘロデがヘロデヤと結婚したことに関して「その女をめとるのは、よろしくない」と言いました。(マタイ14:4)イエス様が再び来られる道を備える働きをする人々の説教と教えは、バプテスマネのヨハネのメッセージのように単刀直入でなければなりません。

分離を引き起こすメッセージ

ある人はこの文を読みながら、不安になり、不平を言うかも知れません。ラオデキヤ教会へのメッセージには、聞く者の心を安心させるようなものはありません。ラオデキヤ教会へ送られたメッセージの特徴は、聞いた者の中で、ある人は、憤って立ち上がるようになることです。この時代のための神の真のメッセージは、必然的に教会に分離を引き起こすことでしょう。なぜなら、聖と俗、光と闇、命と死、キリストとサタンは、決して共存することはないからです。

ラオデキヤ教会は、世と完全に同化したり、全く背教して冷たくなったりはしないでしょう。しかし、キリストに対して完全に屈服するほど熱いものでもありません。教会のほとんどの領域において、聖なるものと世俗のもの、冷たいものと熱いものが入り混じった状態がラオデキヤ教会です。
そこで神様のみ言葉は、教会の中で真実に神様に属していない者を見破って分離する役割りを果たします。神様はご自身の僕たちにメッセージを与え、教会に向かって叫ばせられます。そのとき、貪欲と利己心、偽りの福音を放棄していない人たちは、神様のみ言葉に反対して立ち上がることでしょう。

私たちの祈り

私たちはこれまで、どうすれば、教会の中で罪に対して正しく警告しながら、教会に分裂を引き起こすものとして批判されたり、警戒されるのを避けることができるか、このことについて、長い間祈ってきました。
そして、この問題を深く考えていったとき、神様のみ心に対する確信がさらに深まりました。神様が私たちに教えて下さった確信というのは、人の評価や評判などを気にしないで、真理のみ言葉を、あるがまま率直に宣べ伝えることでした。生ぬるいラオデキヤ教会の根本的な問題をはっきりと見せられ、それを率直に語ることでした。
私たちは、現代のキリスト教会が、世俗と妥協した姿、その妥協の本当の原因を明らかにする聖書のみ言葉を伝えてきました。ラオデキヤ教会の人々をこれほどまでに悲惨な状態に陥らせた神学的な理由は、自由主義的な、世俗的な福音でした。罪を罪として指摘しないで、手軽に傷をいやす安価な福音とも言えるでしょう。このような、安易な福音のために、現代の神の教会には、霊的な災難、み言葉のききんとも言える状態が起きてきました。
そのような中で、現在の私たちが一番恐れていることは、私たちの伝えるメッセージが、教会の霊的指導者である牧師たちに対する批判、攻撃として誤解されるのではないかという点です。私たちが主に奉げる祈りは、深い眠りに落ちたクリスチャンたちを揺り動かして目を覚まさせる強力な福音を伝えるとき、人々が私たちの動機や目的を誤解しないで、かえって力になってほしいということです。私たちは、数々の教派に所属している教会や指導者たち、そして聖徒たちを愛します。なぜなら、今日のラオデキヤ教会はイエス様の再臨を通して天の王国に昇る教会であるからです。

教会は神様の嗣業であり、この地上において神様が最も大きな関心を置かれるところ、愛の対象でもあります。皆さまが、この SOSTVジャパンミッションから発行される書物やメッセージを読んだり聞いたりした後、以前よりもさらに、天の父なる神様を愛するようになり、私たちを、愛する救い主イエス・キリストから引き離してしまう罪を憎むようになられることを祈り求めます。

私たちすべての者が、見逃してはならない事実があります。それは、サタンは教会に働きかけ、教会全体を地獄に引きずっていくための大きな計画を立てているということです。
サタンの目的は、教会を教理と霊的な経験の面から、バビロンに作り上げることです。真理の柱にならなければならない教会を倒すために、サタンが開発してきた戦略は何でしょうか?サタンは自分の目的を果たすために、時には人々を有頂天にさせたり、ある時には人々の心に恐怖心を与えたりします。サタンはすでに、教会の様々な分野に食い込んで、ある程度まで真理を汚すことに成功しています。しかし、サタンの持っているあらゆる地獄の力を尽くしても、生きておられる神様の教会を全面的に倒れさせることはできません。なぜなら、教会とは、人々が正統だと認めるような特定の教派や組織や建物ではないからです。
真の教会とは、神様の真理に全身全霊で応えようとする人々が集まって礼拝を捧げる所です。二人または三人が、霊とまことをもって集まって祈り、み言葉を読むなら、そこは教会です。全世界にそのような小さな教会が点在するようになるでしょう。それゆえ、サタンは決してすべての教会を倒すことはできません。目に見える数多くの教会が堕落してサタンの側に立ったとしても、「神の戒めとイエスの信仰」を守る者たちは、真の教会としてイエス様の再臨をお迎えすることでしょう。この文を読まれるあなたが、その中におられることを心より願っています。

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