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「かけがえのない」時間と「間に合わなかった」時間|『1917 命をかけた伝令』
『1917 命をかけた伝令』は、第一次世界大戦を舞台にした戦争映画でありながら、
単なるミッション遂行の物語ではない。
本作が真正面から描いているのは、「時間」とは何か?というテーマだ。
それは、単なる"戦場でのタイムリミット"ではなく、
人がある出来事に費やす時間の「質」と「量」の問題である。
本作を観ながら、『星の王子さま』のキツネのセリフが思い浮かんだ。
「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみがバラのために費やした時間だったんだ」
この映画における「時間」も、まさにこの言葉に集約される。
時間のデザイン①:「かけがえのない時間」
映画の前半では、主人公スコフィールドはこの任務に消極的だった。
しかし、彼のバディであるブレイクが戦場で命を落とした瞬間、
彼にとっての時間の意味が大きく変わる。
それまで彼は、名も知らぬ前線の1600人の兵士を救うために走っていた。
しかし、ブレイクの死を経て、
彼の目的は「1600人」ではなく、「ブレイクの兄に伝令を届けること」に変わる。
ここには、人間が"本気"になる条件が隠れている。
人は、自分が費やした時間の「質」と「量」によって、物事をどれだけ大切に思えるかが変わる。
スコフィールドにとって、ブレイクは自分を助けてくれた命の恩人であり、
彼と過ごした時間は、何よりもかけがえのないものになっていた。
彼はブレイクの思いを託されたことで、彼自身の意志としてこの任務に臨むようになる。
1600人の命よりも、ブレイクの願いが重要になった。
これは極めて人間的な心理だ。
大勢の"知らない人間"の命より、"自分の知っているたった一人の人間"の想いのほうが重い。
そして、それこそが『星の王子さま』のキツネが語った「時間の質」なのだ。
時間のデザイン②:「間に合わなかった時間」
この映画では、もうひとつの「時間」が描かれている。
それは、ギリギリの戦いの中で、間に合わなかった時間の問題だ。
スコフィールドの任務は、ドイツ軍の罠に突っ込もうとしている味方部隊を止めることだった。
そのためには、決められた時間内に伝令を届けなければならない。
しかし、その道中で彼はさまざまな"時間のロス"を経験する。
バディの死を悼んだ時間
地下で女性と赤子を助けた時間
気絶していた時間
この映画の残酷な点は、「時間を浪費した」と思わせるシーンが数多くあることだ。
「もう少し早く進んでいれば?」
「もし、あの時こうしていれば?」
こうした過去の反省が、彼の中で無意識に始まる。
そして、結局、彼は伝令を"ギリギリ"で届けたものの、
第一波の兵士たちはすでに突撃を開始してしまっていた。
つまり、スコフィールドは間に合わなかったのだ。
この「間に合わなかった時間」は、彼が無駄にした時間だったのか?
それとも、彼が人間らしくあるために必要な時間だったのか?
「時間の質」と「時間の結果」
戦争という極限状態において、
人間は「結果がすべて」の世界に投げ込まれる。
スコフィールドが取った行動は、
「戦場のロジック」からすれば、不要なものだったのかもしれない。
仲間の死を悼む時間など、戦場には必要ない。
民間人を助ける時間など、任務には関係ない。
気絶してしまったのは、彼の落ち度かもしれない。
だが、彼がこれらの時間を捨てていたとしたら、
彼はただの「伝令兵」以上の何者にもなれなかった。
彼がブレイクの思いを受け継ぎ、
女性と赤子を助け、
それでも必死に走った時間こそが、
彼にとっての"かけがえのない時間"だったのではないか?
(余談)浪人時代の「ギリギリの1年」
自分にとって、『1917』は単なる映画ではない。
この映画の持つ「時間のギリギリ感」は、
自分が浪人時代に経験したものとあまりにも重なるからだ。
浪人の1年間、自分は1分たりとも無駄にしなかった自信がある。
毎朝5時に起きる。
食事は廊下でパンを1分で食べる。
駅までの徒歩時間は、英単語を聞きながら歩く。
毎日16時間勉強し、熱が出ても、電車の中で気絶しても、E判定が出ても、クリスマスだろうと関係なく続ける。
それでも、第1志望の合格最低点しか取れなかった。
自分がもし1分でも無駄にしていたら、間に合わなかったかもしれない。
『1917』を観ていると、
スコフィールドの焦燥感が、自分が浪人時代に感じていたものと重なってくる。
「あの1分を無駄にしていたら?」
「もう少し早く進んでいたら?」
この映画の主人公が味わう"時間に対する恐怖"は、
自分自身がかつて抱えていたものと同じだった。
結論:「時間は何のためにあるのか?」
『1917 命をかけた伝令』は、
単なるワンカット風の映像美やスリリングな戦争アクションを超えて、
「時間」というテーマを徹底的にデザインした作品だった。
人間が本気になるのは、時間を費やした対象ができたとき
その時間の「質」が、世界の見え方を変える
しかし、時間は常にギリギリであり、過去の選択は結果によって評価される
そして、最後に残る問いは、
「果たして、スコフィールドは正しい時間を過ごしたのか?」ということだ。
戦場の理屈で言えば、彼の時間の使い方は間違っていたかもしれない。
しかし、人間として生きる上で、
ブレイクとの時間も、
民間人を助けた時間も、
決して無駄ではなかった。
それを肯定することができるのか?
それとも、戦争の結果として「無駄だった」と断じるのか?
この映画が提示するのは、時間とは単なる数字ではなく、
「何のために使った時間なのか?」という問いである。