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暗闇で他人と会話し、手を繋ぎ、ダンスする|ダイアログ・イン・ザ・ダーク体験

竹芝にあるダイアログ・イン・ザ・ダークの常設展を体験してきた。
結果から述べると、とにかく素晴らしかった。


真っ暗な空間の中を、90分間もの間視覚障がいのある方に引率してもらう体験。

そこには本当になんの光も見えなかった。
最初、部屋を暗くされたときに想像以上に、というか本当に何も見えなくてかなりの不安が込み上げてきた。小学生の時、スペースマウンテンの列に並んでいた時の3倍は不安だった。

ほんの10cmあるくだけでも怖い。壁を触り、目の前に何もないことをしつこく確認してからでないと歩くことができなかった。

「こんな体験を90分もしなくてはいけないのか」という絶望感と同時に、
「一体、視覚障害のある方はどれだけの地獄を生きているのだろう」と想像した。



スタスタと先を進み「こっちですよー」と声をかけてくれる引率の方に向かって、少しずつ近づき、誰かの声や気配が近くなったり手に肩が触れることで初めて安心できた。

暗闇の中はお互いがお互いを助け合うことが当たり前の世界だった。
誰かが誰かの肩にそっと掴まることは自然な行為だった。
自分が歩く時は、後ろの方に「いきますよ」と声を掛け合っていた。
顔も性格もわからない他人の声を聞いて安心した、手に触れる背中や、今目の前に誰かがいるという気配が救いだった。

壁をつたって歩き、誰かの肩に掴まり、回転して、体操する。
小さな成功体験を繰り返していくうちに、ゆっくりと歩くことくらいなら自然とできるようになる。

そこからはそこに居合わせた仲間と「運動会」と呼ばれるワークに取り組む。
小学生の時やったような台風の目や、玉入れもやった。

一通り必死な運動をしたあと、休憩としてみんなでレジャーシートを広げてお茶を飲んだ。そこではいろんな雑談をした。運動会の思い出、恋愛の話、引率の方の障害について。全くの他人なのに、初めて出会った顔もわからない人たちなのに、目が見えないのに、この世界がずっと続いてもいいとさえ思えた。

暗闇の中は、素でいられるのかもしれない。
僕は、なんとなく子供っぽくなった。「へへへ」「はい!」「そうっすよ!」「そうちゃんはね」、みたいにずっとヘラヘラしながら、それでいてすごく居心地の良さを感じながらおしゃべりした。

暗闇の前に少しみた仲間たちの顔は、明らかに年上の40代くらいの方もいたが、ぼくは自然と「〇〇ちゃん(おじさんのニックネーム)それはおかしいやんけ!」と謎のフランクさを徐々に発揮したし、それは僕だけでなく周りの仲間にもそういったことが自然と起きていた。

休憩が終わり、最後はみんなで肩に手を置き合いながらダンスをして終わった。「この扉をあけると明るくなります」と引率の方が言った時、僕は開けないでくれと思った。今出会ったこの仲間たちと、何かがつながったままでいたいと思った。

扉が開けられ、徐々に目が光になれ、仲間たちの輪郭が見えた時にやはり、「ああ、やっぱり違う」と思った気がする。輪郭が与えられてしまうと、雑多な情報が入ってくる。固定観念に紐づいた、さっきまでつながりを得られていた人間とは全く違う人間に見えてしまった。

暗闇を出て、明るい部屋で机を囲んで座りながら、「あれ、こんな顔してたっけこの人たち」と思うと、みんな口数が減っていた。

でもそれぞれが思い出を絵日記にかき、「楽しかったね」と控えめに言い合った。

絵日記を書いている途中で引率の方は「僕はもう次に行くので」と言い、席を立った。目が見えないはずなのに、スタスタと離れてしまった彼をみて、「彼の闇は永遠に続くのか」と思うとその背景を想像せずにはいられなかった。彼は今、これから、どんな思いで生きていくのだろう。


最後に、
自分がどうしようもなく弱い立場になったとき、誰かに助けてもらうしか生きていけなくなる。そういった立場を経験しないと絶対に想像できない世界があることを改めて身をもって知った。この経験をもっと早くにしていたら、もっと優しくなれていたのにと、帰り道に思った。

何も見えない空間で歩き、声を掛け合い、手を繋ぎ、ダンスする。
全くの他人との時間なのに、途中から、この世界がずっと続いて欲しいとさえ思った。素晴らしい体験でした。


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