映画「みなに幸あれ」 - 相対的な幸福の昆虫感
幸せの総量とそのテーゼ
映画「みなに幸あれ」の世界に宿っているのは、「幸せの総量は決まっている」というテーマだった。
これは現実世界でも時々触れる価値観だが、少なくとも現代の現実世界ではそうではないと感じる。
映画の世界では、幸せの総量は決まっていて、奪い合うものであり、犠牲の上に成り立つものとされている。
ここでそのルールは絶対的なもので、この掟を破り、生贄に同情を与えると、家族が如実に死に近づいてしまう。
確かに、このルールが本当にこの世を支配している絶対的な物理法則であれば、どんなに利他的な人間であろうと、生贄を求めるだろうし、自分が生贄になろうとすることは難しいだろう。
絶対的な幸せの可能性
一方で現実世界の幸せとは、アドラーによれば貢献感によるものだ。絶対的な幸せは他人の不幸に依存しない。これは、自己完結的な幸福感を伴うものであり、Win-Winの関係が成立する。人間的な行いによって幸福の総量を増やすことが可能であるため、映画の中のルールが現実には存在しないことで、逆説的にラッキーを感じることができる。
映画の中の登場人物たちは、昆虫のように無感情であり、一定の幸せの総量を奪い管理することを目的に生きている。この描写は、現実世界においても相対的幸福や物質的な充足だけを追求することにも似ている。