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映画「どうすればよかったのか?」-統合失調症とスティグマ
映画「どうすればよかったのか?」は、家族の葛藤と苦悩を通じて統合失調症の現実を描いた作品です。
この映画を通して感じたこと、特に精神病に向けられるスティグマについて深く考えてみたいと思います。
僕自身も軽度の統合失調症を経験したことがあり、この映画が描くテーマには個人的な関心が高かったです。
スティグマの問題
映画の中で特に印象に残ったのは、母親のセリフです。
「どうして私たちの家族から分裂病が出てくるの。なんでそんな酷いことするの。恥をかかせないで」。
この言葉には、統合失調症に対する強い偏見とスティグマが如実に現れています。統合失調症の家族がいることを恥ずかしいと感じるこのセリフは、社会や家族内での偏見がどれほど深刻であるかを示しています。
統合失調症に関する社会的なスティグマは、患者やその家族にとって非常に大きな障害となります。映画の中で母親が感じる「恥」は、社会全体が持つ偏見の反映であり、それが患者とその家族を孤立させる原因となっています。
家族の役割と問題
医者の助言「両親ががっちりホールドしてしまっている以上問題は解決しない」という部分や、両親の無知と責任に対する主人公(観客も)の憤りについても考察しました。
映画では、娘を取り巻く人々が統合失調症に対してどの程度理解を深め、どのようにサポートしてきたかが描かれています。
老年になった両親は、娘の病気に対して無知でありながらも、時代背景を考えると自分たちなりに努力をしてきたとも言えます。
しかし、その努力が結果として娘の病状を悪化させた一因となったことに対しては憤りを感じました。
例えば、映画の中で両親が娘を外界から隔絶させ、医療機関へのアクセスを制限していたことが描かれていました。これは、娘の病状を悪化させる一因となり得る行動です。
特に印象的だったのは、息子の両親に対する「この問題を20年間解決できていなかったじゃないか」という怒りです。「問題解決」という表現には、明確に考え方やロジックが間違っていると真正面から切り込む憤りを感じます。
そしてそれに対する母親の「パパに死ねというのか」という論点のすり替えも印象的でした。本当に弱さを受け入れるというのなら、これも受け入れるべきなのかと逡巡しましたが違うと感じました。過度な公平性はかえって不平等につながり、すなわち弱い立場にある人からあえて「優遇」する必要があると思います。どれだけインクルーシブで公平な社会を目指したとしても、優先順位を自分の責任と哲学でつけるというスタンスを忘れてはいけないと思いました。ロジックや倫理を超えた、感情の問題です。
さらに終盤の父親のシーン「失敗したと思ってない」というセリフも象徴的に感じました。「母親が統合失調症を認めることを極端に嫌がった」と述べ、自分は違和感を感じていながらも「母親がそうしたかったから」と目を閉じることにはアイヒマンのような無責任さと盲目さを感じました。
課題解決への道筋
無知の知、スティグマへの抵抗、愛、医療へのアクセスのしやすさといった要素は、映画が提供する解決策や希望の光となり得ます。
統合失調症を支える人々は、どれだけつらくても、重荷でも、とにかく待つことが大事なのではないかと思うシーンもありました。(日々のコミュニケーションでは即興が求められるので、個人的には瞬発的なパーフェクトコミュニケーションをできるようになりたいと切に願っています。)
映画が提示する課題解決の手段やメッセージを具体的に挙げることで、観客がどのような行動を取るべきかを示しているかを考えます。
例えば、スティグマを減らすためにどのような行動が必要か、家族がどのようにサポートすべきかについて、自分の経験を交えて提案することができます。
具体的には、統合失調症に対する社会的な理解を深めるためには、教育や啓発活動が重要です。映画やドキュメンタリーを通じて、統合失調症の現実を広く伝えることが一つの手段です。また、患者やその家族が医療機関にアクセスしやすくするための制度改革も必要です。例えば、地域の精神保健サービスを充実させることや、家族支援プログラムを強化することが考えられます。
統合失調症を支えるための具体的な提案
統合失調症の患者やその家族を支えるためには、具体的な支援策が必要です。映画を通じて感じたことを基に、いくつかの提案を考えてみました。
1. 教育と啓発活動の強化
統合失調症に対する理解を深めるためには、教育と啓発活動が不可欠です。学校や職場でのメンタルヘルス教育を強化し、統合失調症に対する正しい知識を広めることが重要です。また、映画やドキュメンタリーを通じて、統合失調症の現実を広く伝えることも一つの手段です。
2. 医療機関へのアクセスの改善
統合失調症の患者が適切な医療を受けられるようにするためには、医療機関へのアクセスを改善する必要があります。地域の精神保健サービスを充実させることや、家族支援プログラムを強化することが考えられます。また、医療機関と連携して、患者が継続的に治療を受けられるような環境を整えることも重要です。
3. 家族支援プログラムの強化
統合失調症の患者を支えるためには、家族のサポートが欠かせません。家族支援プログラムを強化し、家族が患者を適切に支援できるような環境を整えることが重要です。例えば、カウンセリングやサポートグループを提供することで、家族がストレスを軽減し、患者との関係を改善する手助けをすることができます。
4. 社会的スティグマの解消
統合失調症に対する社会的なスティグマを解消するためには、広範な社会変革が必要です。メディアやエンターテイメント業界が統合失調症に対する偏見を払拭し、正しい情報を伝えることが重要です。また、政策レベルでの取り組みも必要であり、精神疾患に対する理解を深めるための法律や規制を整備することが求められます。
5.Empathyとネガティブケイパビリティの実践
精神的に問題のある方と接する時、「たとえ私が間違っていても受け入れて欲しい」というテーゼを感じることがあります。たとえ正しくなくても、おかしくても、理不尽でも、それを愛せるスキルを身につけられる日は来るのでしょうか。
総合的な評価
映画のエピローグでは「統合失調症を発症した理由を明確にするものではない」「統合失調症を説明するものではない」「どうすればよかったのかを考えるもの」としています。このメッセージが映画全体をどのようにまとめているかを評価することが重要です。エピローグを通して、映画は観客に対して「統合失調症と向き合うということとそのリアル」を提示しているのでしょう。
この映画は、統合失調症という難しいテーマに真正面から取り組んでおり、観客に対して深い思考と行動を促す作品です。スティグマの解消や理解の促進に繋がるようなメッセージを観客に伝えているかどうかを考察することで、映画の意義をより深く理解することができます。
映画「どうすればよかったのか?」は、統合失調症というテーマを通じて、家族の葛藤や社会のスティグマについて深く考えさせられる作品です。私自身の経験を交えながら、映画が提示する課題や解決策について考察しました。この映画を通じて、統合失調症や精神病に対する理解を深め、スティグマの解消に向けた行動を考えるきっかけとなれば幸いです。