裸足の指を舐めるのがすきな猫の話

 猫が死んだ。いつもふわふわとあたたかかったお腹は、わたしがようやく家に帰ってきた頃にはもうしっとりとつめたくなっていた。
 その日は職場の先輩と飲みにいく予定だったのだけど、母親からのラインを見て動揺したわたしは「猫が死んだので今日は遠慮させてください」と馬鹿正直に言い残してすぐに家に帰った。職場から出て地下鉄に乗り、乗り換えをして最寄り駅までつくまでの間のことをわたしはよく覚えていない。元々身体が弱っていたので覚悟はしていたが、はやく家に帰らなくちゃという焦燥感と、家に帰らなければ彼が死んだことがなかったことになるんじゃないかなんていうばかみたいな現実逃避の間でわたしはひたすらぐるぐるとまわっていたようなきがする。
 最寄り駅まで迎えにきてくれた母は泣いていて、ごはんがつくれないからコンビニに寄っていいかときかれたことはうっすらとおぼえている。だけどその日食べたものの味は、もうわすれてしまった。

 彼はわたしが高校生のときに拾った野良猫だった。夜の公園にいて、やたらひとなつっこく、裸足の指をなめたがるちょっとへんな猫だった。二度目の邂逅を果たしたときに彼の面倒を見ていた近所の女性と話をして、あれよあれよという間に家に連れて帰ることになった。ちょうど前飼っていた犬が死んで2ヶ月ほど経った、初夏のことだった。
 そのときわたしは絶賛反抗期で(今もだいぶひきずっているけど)、どうしようと思いながら母に電話したら犬が死んでさみしかった母は二つ返事で公園まで迎えにきてくれた。ケージに入れて車に乗せると猫は抗議するようににゃあにゃあ鳴いていた。家に帰ってもケージから出てこずにずっとにゃあにゃあ鳴いているものだから、布団のなかで「わたしはあの子を不幸にしたのかもしれない」と身体を縮こめていたのだけど、いつのまにか眠ってしまった。
 しばらく彼は家にも家族にも馴染まず、物置になっている中二階の暗い階段の上で警戒するようにじっと身体を縮こめていた。だからわたしは電気をつけないまま彼のそばでぼんやりしていたが、次第に出てきて撫でさせてくれるようになった。身を寄せてごろごろ喉を鳴らしてくれたりするようにもなった。わたしだけじゃなくて家や他の家族に慣れても、彼はやっぱり人の裸足の指をなめるのが好きな変な猫だった。

 それからはずっと猫がそばにいた。大学受験を失敗し、滑り止めで受けた大学に入学したけど馴染めなくて結局1回生の冬に中途退学し、もう一度受験勉強をはじめてからも彼はのんびりとした顔で布団の上で寝転がっていたり、勉強しているノートや参考書の上に陣取って邪魔をしたりした。受験勉強を経て無事志望大学に合格したわたしは家を出てあまり実家に帰ることはなかったけど、たまの帰省をすると猫はわたしにくっついて甘えてくれた。わたしが短い帰省を終えて大学に戻ると、まるで「なんであの子を迎えにいかないの?」とでも言いたげににゃあにゃあわめいているんだと母が言っていた。

 それから大学を卒業し、就職してわたしは実家に戻ってきた。配属先は残業が多くて日々疲れ果てていたけれど、猫はやっぱりあいかわらず裸足の指を舐めるのが好きな猫だった。だけどたとえばわたしがクレーム対応だとか訳のわからんお客さん相手とかで疲弊して家でわんわん泣いてると、わたしの膝の上に座ってぎゅうっと抱きしめさせてくれるなど、きちんとTPOを把握している大人な猫だった。仕事はだいぶきつかったけど、彼がいたから乗り越えられたのだとおもう。

 彼が死んだのは、わたしが就職してから半年ほどしてからだった、とおもう。もうなんだかずいぶんと記憶が曖昧で、その頃のことをよく思い出せない。ただ、いなくなる数日前くらいから寝たきりになってしまった猫を見てわたしがぼろぼろ泣いていると、弟に「笑って送り出してあげる気はないのか」っておこられたことはおぼえている。弟がいうことは正しいような気もしたし、間違っている気もしたけれど、わたしは声が詰まってなんにもいえなかった。
 彼が死んでからもわたしはふつうに仕事に行き、同僚とわらったりお客さんに怒られたりしながら、1ヶ月ほど経ったくらいだっただろうか、身体に不調をおぼえた。家に帰りたくないと思った。うまく表現できないけど、ぜんぶいやだとおもった。たぶん、彼がいることが当たり前の日常から彼がいない日常への移行が上手にできなかったんだとおもう。ふと目覚めた深夜、猫の声がきこえたような気がして布団の端をあげながら「おいで」って招いてしまうことだとか、ありふれた日常のなかで何度も何度も繰り返し彼の不在を思い知ることがつらかった。そう時間が経たないうちにわたしは実家を出ることに決め、引っ越し先を決めて彼のいない家をあとにした。そのまま彼のいない家は人が住むようになり、彼のいた日常からわたしはばっさりと切り離された。

 かぞえてみれば彼がいなくなってから2年経つ。彼のいたことのない今の家で深夜目覚めてさみしくなることはないけれど、わたしは彼と上手にお別れすることができなかったから、今も思い出してたまに泣く。わすれたいわけじゃないけれど、母がたまに間違えて甥っ子を猫の名前で呼ぶことを、いつか少しのさみしさもなくまじりけのない笑い話にできたらいいなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?