奥琵琶湖 縦走ハイキング
滋賀県琵琶湖の北東部、湖北エリアの縦走路「近江湖の辺の道」へ
浅井長政ゆかりの地
神戸の三宮駅から新快速で約2時間。JR米原駅で北陸本線に乗り換え、米原から5つ目のJR河毛駅で下車。
浅井長政の居城・小谷城が近くにあるため、歴史好き、戦国時代ファンには知られた駅のようで、駅員不在の無人改札であるにもかかわらず、隣接する駅舎には戦国武将・浅井長政を紹介する書籍を中心に、多くの歴史関係書、グッズを販売するコーナーが設けられており、この地ゆかりの浅井長政とお市の方をこよなく愛すスタッフの方が丁寧に対応してくだいました。
「上から読んでも下から読んでも山本山」
今回登ろうとしている最初の山、山本山(標高324m)と海苔やお茶の老舗・山本山とは何らかの繋がりがあるのか調べてみたが、お店は元禄三年(1690年)に江戸で創業し、日本橋でお店を営んだのでここ近江の湖北とは関係はなさそう。
とはいうものの、この近江の山本という地名が創業者・山本嘉兵衛の山本姓とゆかりがあることが分かりました。
因みにお茶や海苔を商う「山本山」はなぜ山という字を付けたかというと、茶園・茶畑を「山」と呼び、「山本さんの茶園」「山本さんの茶畑」を「山本山」と言ったことから屋号が山本山になったようで、山本山の商標は山のマークの下に創業者の名前の一文字「嘉」があるロゴになっています。
山本さんのルーツ
日本人の苗字で多い「山本」姓は「近江 浅井郡 山本」を本拠とした清和源氏の武将・山本遠江守義定が平安末期に山本姓を名乗ったことが始まりで、現在も「滋賀県長浜市湖北町山本」という地名があり、ここが全国津々浦々至る所にいらっしゃる山本さんのルーツ(苗字の故郷)であり、山本山は「山本」という名がつく名前の総本山的存在の山と言ってもよい場所。
水田風景とを眺めながら、駅から約3.5㎞、40分ほど舗装路を歩くとなだらかな半円状の山本山がどんどん大きく見えるようになり、山本山登山口に到着。
朝日山神社と聖水・天之眞名井
山本山の麓にはパワースポットの磁力や気のエネルギーを感じさせる霊験あらたかな朝日山神社の境内が山本山を背にするように広がっています。
平日だったせいか参拝者は誰もいなかったが、静かな境内を進むと幾つかの境内社(稲荷社、春日社など)があり、巨木の杉の御神木が二本。
しばらくその場の空気感を味わっていると境内を掃除されている方が神社の奥にある名水を案内してくれるとのこと。
この地の神話や歴史秘話などを聞きながら、しばらく歩くと、こんこんと湧き出る「聖水源」と書かれた水場に到着。
この湧き水は地元ではとても有名な名水で天之眞名井とも呼ばれているらしく、朝日山(平安末期以降は山本山と呼ばれるようになった)を主水源とする伏流水。
「美味しいから一度飲んでみて」と勧められるまま一口飲んでみると、これがなんとまぁ美味しい水だこと!
思わず『アルプスの少女ハイジ』が山の水をごくごく飲むシーンが思い浮かぶほどの美味しい名水に感動。教えて下さった地元の方に感謝です。
近江 湖の辺の道
神社横の階段から始まる「山本山~賤ケ岳~余呉湖」を結ぶ「近江 湖(うみ)の辺の道」は琵琶湖北東の最奥部を南北に走る登山路。山間部の距離は約12㎞。
境内横から急登を登り、動物柵を越えてさらに急登を登ること約30分。
かつては山本城(または山本山城)の本丸・二の丸・三の丸が築城されていた山頂部にはベンチが幾つかあり、琵琶湖が見渡せ、竹生島も見えるビューポイントでもあるので小休止にちょうど良い場所。
100基以上の大古墳群・古保利古墳群
山本山から北上すると間もなく、丘陵の尾根沿いにもこもこした地形が現れ、立て看板を見るとここが古墳時代(3世紀)から飛鳥時代(7世紀)の古墳が数多く見つかっている古墳群地帯でした。
琵琶湖の北端・塩津湾と湖東の平野部に挟まれた細い山脈沿い約3㎞ほどに約130基の古墳が発見されており、途中で振り返ると水田が広がる風景と歩いて来た山々の山容も見渡すことができました。
夏場も涼しい広葉樹に覆われた山道
雨雲が去り30℃近くまで気温が上がった蒸し暑い日でしたが、自然路はほとんどが広葉樹に覆われた森の中で、時おり琵琶湖側から吹く風を感じたり、小鳥の囀りが聞こえたり、トンビの「ピーヒョロヒョロヒョロ~」の鳴き声が空高くから聞こえてきたり、気持ちの良い小径が続きます。
賤ケ岳合戦場跡
山本山の麓から歩くこと約3時間。
羽柴秀吉(のち豊臣秀吉)と柴田勝家が織田信長亡き後の覇権を争い戦った合戦場、賤ケ岳(標高421m)に到着。
それまで樹々に覆われていた緑の森を抜けて一気に視界が広がります。
前回登ったのは冬。木之本駅から歩き、賤ケ岳の麓からの急坂を登って山頂から見た天使の梯子が素晴らしかったことを思い出し、さぁ、今回はどんな景色だろう、と心が躍ります。
かつて砦(とりで)が幾つも作られた合戦場跡には鎧兜を纏った武士姿の顔出しパネルが幾つも配置されており、本能寺の変の翌年・天正11年(1583年)に起こった賤ケ岳の戦い時の陣体系や進行路を示す地図、説明標識、供養塔などもあり、激戦で命を落とした兵士が偲ばれ、自然と芭蕉が詠んだ「夏草や 兵どもが夢の跡」の句(松尾芭蕉が詠んだのは奥州平泉ですが)が浮かびました。
余呉湖
賤ケ岳山頂から眼下の余呉湖までは二つのルートがあり、前回、湖の東岸沿いを緩やかに下る大岩山のコースを下ったので、今回は最短距離で湖の南端に出る飯浦の切通しルートで下山。
ちょうど梅雨の晴れ間で雨にも降られず、ガクアジサイの群生を楽しみにながらのんびり下山。
余呉湖を半周してJR余呉駅へ。無事ハイキングを終え、近江塩津で乗り換え、湖西線経由で神戸へ帰りました。
*** note後記 ***
今回の縦走ルートは琵琶湖北端の絶景が随所で見られ、岩場やクサリ場などの難所もなく、適度なアップダウンがあり、とても歩きやすい縦走路。歩行距離は約20㎞、水と緑豊かな自然が楽しめる約5時間の充実ハイキングでした。
小谷城周辺と賤ケ岳周辺、戦国時代の合戦史に今まで以上に深く触れられたことが嬉しかったのはもちろんですが、「山本」姓の発祥地がここ湖北だったことは想定外の発見であり、旅の喜びを増幅させてくれました。
そして、幼いころから何気なく聞いていたテレビCM「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」のフレーズ。
回文の定義が「上から読んでも下から読んでも同じ読み方になり、かつ文章として意味が通る文字列」となると「やまもとやま」を逆から読むと「まやともまや」になるから、下から読んだら読み方が違うし、意味も通じないやん!ということにも気付き、してやられたぁ、みたいな気分になり急に可笑しくなりました。
次回来るときはマイカップとボトルをもって湖北の名水・天之眞名井の「聖水」をいただき、河毛駅の東側、小谷城跡の登山ルートも登ってみようと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。