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「フィリピン人、大虐殺の地で靴磨き」

靴磨き世界一周アジア編93日目

フィリピンは戦争で最も影響の受けた
国の一つである。

 
333年間スペインに植民地にされ、
そのあとアメリカに10年間植民地にされ、
そのあと日本に植民地にされ、その後また
アメリカに植民地にされた史実がある。


「サンチャゴ要塞」と言われた収容所がある。


元々はスペインが統治していた時に作られた建物だが、
日本が統治していた時に、司令塔として使用しており、
多くのフィリピン人が収容され、命を落とした場所
となっている。


今日はマニラ在住のモモちゃん達とその要塞に
行ってきた。


要塞の中に入ると当時フィリピン人の収容所
として使用されていた場所に史実が書いてあった。


日本人として、目を背けたくなるような内容だった。


その中にいたガイドのような人が、私に向かって
「フィリピン人をサルのように扱い、ここで
日本人の軍が何人ものフィリピン人を殺したんだ。」
と言っていた。


語尾が荒く、この人は日本人に対して
恨みを持っているなと感じた。


一緒に行ったフィリピン人の友達は
「これも一つの歴史で、もちろんSoshoに対して、
今の日本人に対して恨みは持っていない。
 
昔のことだ」と言ってくれた。


きっとそのガイドのおじさんは毎日ずっと
ここにいて、毎日この光景を見るうちに
やっぱり「腹が立ってる」んだろうなぁと思った。


そして地下に牢屋がある所へ行った。


その地下牢は海に面するところにあり、
満潮時に水没するよう設計されている。


この場所で600人以上のフィリピン人が
日本軍によって水死させられた。

地下牢



第二次世界大戦は「太平洋の植民地を解放するために
日本が立ち上がった」という教科書には書かれていない
歴史を私は大人になってから勉強してきた。


きっと、本当にそうだったと私は思う。


でも、少なくともフィリピンの人達は
そんなことを言っても信じないだろうなぁと思った。


全部が良いとか、全部が悪いというYesかNoの
二元論で答えが出ることではない。


良いこともしたし、悪いこともした。


私がその時代に生きてたとしても、
歴史を変えれる気はしない。


モモちゃんに聞いた。

「正直、今日のサンチャゴ要塞を見て本当は
どう思ってるの?


少なからず日本に恨みを持ってるの?」


少し間が空いて、モモちゃんは答えた。


「私は恨みは持ってない。きっと他のフィリピン人の
人達も、ほとんどは持ってないよ。

フィリピン人は「Resilience Culture」なの。

Resilience とは、立ち直る力。

よくフィリピンには台風で水没したり、家が
壊されたりもするでしょ。

でもそんな時もフィリピン人は水没してる
中で水遊びして騒いでるの。

貧しい人も多いけど、どんな状況でもみんな
明るくい続けることがフィリピン魂だ。


戦争で最も影響を受けた国だろうが、私達は
それでも立ち直ることができた"強さ"がある。


戦争で最も被害を受けたのにも関わらず、
そこから立ち直ったという歴史がある。

私はそこに、フィリピン人といて誇りに思ってる」


それ聞いて、私は泣きそうになった。


フィリピンに来て分かったけど、みんな明るいんだよな。


スラム街の子ども達もキラっキラしてる。


なんでこんな明るいんだろうと思ってた。


だってこの子たち、みんな外で寝てるんだよ。


モモちゃんの話を聞いて、「Recilience魂」
が刻まれてるんだなと思った。


フィリピンにとっては日本人は酷いことをした歴史
があり、今の私がどうにかできることではない。


でも今日あったことを伝えることは
私の使命かなと思った。


ただ、日本人の私が今平気でフィリピンの街を
歩けているという事実は、戦争が終わった後の
両国の先祖が関係を修復する努力をしてくれた
からこそだと思う。


今マニラの地を踏みしめてることに、感謝します。


そんな大虐殺が起きたと言われている
「サンチャゴ要塞」で、日本人の私は
フィリピン人の靴を5足も磨かせてもらった。


まさか80年前に、こんな日が来るなんて
予想できなかったよな。


私はこれからも、世界を足元から輝かせてきます。



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