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「オーストラリアが英語圏の理由」
靴磨き世界一周アジア編45日目
そもそもなぜオーストラリアが英語を話す国
なんだろう?
と思ったがある人はいるはず。
なぜならイギリスやアメリカやカナダが
英語圏なのはなんとなく理解はできる。
でもヨーロッパやアメリカから離れた
オーストラリアがなぜ英語圏なんだ?
オーストラリア在住のプルーさんがその辺りの
歴史を教えてくれた。
時は遡り200年前。
イギリスがブイブイ言わしてた頃。
当時のイギリスでは囚人が多すぎて国内では
管理しきれなかった。
「この囚人達をどこにぶち込もう?」と考えた
イギリスが、「オーストラリアがいいんじゃね?」
ということで、数ヶ月もかけて囚人達を運びこんだ。
当時は飛行機もない時代。
オーストラリアに監獄されていた囚人達は
刑期が終わっても簡単に母国に帰れなかった。
ただ莫大な土地があったオーストラリアは、
刑期を終えた囚人達に土地を与え、農業を
するようにすすめた。
それによって今のオーストラリアの母体ができた。
先祖を辿ると元々犯罪者が多いそうだ。
歴史を大きく作った要因がもう一つある。
オーストラリアは現在世界で一番時給の高い国。
〔時給2,500とか。〕
そもそもなぜこんなリッチな国になったのか。
それはゴールドラッシュが関係している。
1850年〜1880年代に世界中からヨダレを垂らして
金を掘りにきた外国人達。
そのおかげで国が潤ったそうだ。
プルーさんが住んでいる「Clunes」という街は
現在人口2000人ほど。
しかしゴールドラッシュ時代は50万人を超える
人達が住んでおり、Clunesはゴールドが採掘された
最も有名な街として歴史に刻まれている。
プルーさんは元々ゴールドを採掘する会社が
あった場所や博物館に連れて行って説明してくれた。
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今は更地になってる場所も150年前は
ものすごく活気に溢れた場所だったと
想像しながら見ると、ワクワクする。
ゴールドラッシュ時代に成功した人達に共通すること。
"まずは動く"
「なんかClunesって街で金が取れるらしいぜ」
って話が来た時に、他の人が上手く行ってから動いた
人はもう手遅れだっただろう。
「俺いってくるわぁ〜」て真っ先に動いた
人がチャンスを掴んだ。
行った先に「やっぱりあの道具も必要だよな」とか
「自分一人でやるよりも仲間作った方がええかも」
など"武器は走りながら拾ってた"人達が金を掘り当てた。
いい歴史だけじゃないことも教えてくれた。
オーストラリアの歴史はたった200年。
しかし65,000年前からアボジジニという
先住民が住んでいた。
彼らは西洋から来た人達が持つ風邪や
インフルエンザなどの病気に対抗する免疫
を持っていなかったため、ウイルスで
多くのアボリジニが亡くなった。
銃で撃たれたアボリジニもいる。
祖先が犯した罪を申し訳ないという気持ちもあるし、
そのおかげで今のオーストラリアが作られたという
感謝もあるそうだ。
ここに書いてあることは断片に過ぎないし、
事実とは異なってる所もあるかもしれない。
オーストラリア人のプルーさんの口から歴史を
教わり、実際に歴史が大きく動いた場所に行って
自分の目で見れたことは嬉しい。
これからも訪れた国や地域の歴史を
学んで、自分の人生に活かしていこうと思う。
ちなみに、ゴールドラッシュ時代に
一番儲けたのは大量のゴールドを採掘
した人ではない。
スコップやワークブーツなどの道具を
売っていた人達だそうだ。
当時靴磨きをしていたら流行っていたかな。
ん〜、むずすぎるね。