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「たった40年前の話」

靴磨き世界一周アジア編186日目

「世界中にいる優秀なカンボジア人よ、そして国内
にいる知識人達よ、一同にこの広場に集まってくれ。

これから新しい政権が始まる。


みんなの頭脳を貸してくれ!」


そこに集まった知識人達を、、、、、


全員銃殺した。


これが1975年〜1979年の間、カンボジアの悪夢
「ポルポト政権」の始まりであったと言われている。


私がカンボジアに来て驚いたことは、平均年齢
が24歳だということ。【日本48歳】


街を歩いていても、ほとんど高齢者に会うことは少ない。


それはポルポト政権時代に800万人いた人口
のうち、200万人が餓死や虐殺で亡くなった
からである。


ポルポトが何をしたかったのかはそれぞれ
歴史の解釈があるが、

「独自国家を作り、お金や病院や学校も全て不要に
して、農村国家にしよう」という偏った国を作ろう
とした。


#一部ポルポト自体裏で操られていたと言う説もある


ポルポト政権は独自国家を作るためには「知識
を持ってる人」が邪魔だった。


政治家、学校の先生、医者、哲学者、そういった
知見のある当時のカンボジア人を抹殺した。


今日は当時の知識人と言われていた人達が収容されて
いた場所、「トゥールスレン博物館」に行ってきた。


日本語で解説をしてくれるオーディオ機を聴き
ながら、館内を回った。


当時使用されていた独房、拷問に使用された道具、
写真などが展示されている。


そこで職員をしていた人達の写真があった。


みんな今の私よりも若い人達で、中には子どももいた。


彼らが収容された人達を拷問して、嘘の内容を
喋らせて、それをタイプライターで記録をして上に
報告する。


そして最後は処刑する。


部屋には血痕もあった。


この収容者にはポルポト政権時代に2万人が収容
されて、生存者がわずか7名だそうだ。


オーディオ機を聴いていると、「ある男性は拷問を
受け、死を覚悟したが、タイプライターを修理
することができるというスキルのおかげで独房から
出され、仕事をさせられるようになった。」と説明された。


施設を一通り見回った後、タイプライターの写真
が飾られてる横に、椅子に座ってるおじさんがいた。


こんなに歳をとったおじさんをカンボジアで
見ることは珍しい。


何してるんだろう?

と思い近づいてみると机の上には本が並んでいた。


なんとその方は、2万人収容された中で7名しか
生きて出られなかったうちの1人であるChumさんだった。


タイプライターの修理をしていた方だ!!


Chumさんの体験談が書かれた本を手売りで
販売してるおり、私は一冊購入させてもらった。


Chumさんの著書「生還者」より一部抜粋。


「私は1000回は死ぬ機会があった。
でも私は生き残った。でも幸運などとは言えない。

妻と子どもは死に、私が耐え抜いた拷問の恐ろしさ
と言ったら、その時に生き残るよりも死ぬべきだった
のかもしれない。


しかし私は生き残った。私は私の物語を語ることが
私の義務であると信じた。

拷問した人々を責める気はない。

彼らは上位の指導者ではなく、彼らはその時そう
せざる得なかったのだ。

クメール語でこんな諺がある。


もし狂犬が噛み付いてきた時、噛みつき返しては
いけない。もしそのようなことをすれば、その者も
狂犬になる。」


Chumさんとした握手の手は小さく、肌がカサカサで、
でも暖かかった。


たった40年前の歴史。


平均年齢24歳という背景には悲しい歴史があった。

Chumさん
1番左がChunさん

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