おかえりなさい、わたし。
ついに今週、明るい退職を勝ち取った。
先週、退職希望を伝えたときの上司の第一声は、「もう少し前に相談しろよー」だったけれど、私の気持ちは汲んでくれたようだった。
終始浮かない調子で対応する上司とは裏腹に、ずーーーーっと悩んでいたことに区切りを付けられた私は、憑き物が落ちたようにスッキリした気持ちでソレを報告していた。
たぶん余りにも清々しかったから、最後には上司も笑って承認してくれた。
「お前は、どこ行ったって生きていけるよ。1人で海外旅行に行ける女だもんな。」
エールなのか貶しなのかよくわからないし、基準も不明な言葉だったけど、「何処でも生きていける」と太鼓判を押してもらえたのは素直に嬉しかった。
それにしても、今回は決断までに時間が掛かってしまった。
その理由は「自分を信じること」を忘れていたから。
思い返せば今まで、私が尊敬している人や好きな人たちが、私に沢山のエールをくれていた。
でも、その言葉を正しく受け取れなかったのは「でも、私はまだまだ。できていない。」と、勝手に思っていたから。
だけど、よく考えてみてよ。
沢山自分と向き合っている内に、心の中で誰かが話し始めた。
「仮に」、相手が本心で褒めたりエールをくれたりしていたのだとしたら、それを素直に受け取らないのは失礼じゃない??
例えるならそれは、相手が私のためにと用意してくれたプレゼントを、私には相応しくない!と突き返してしまうようなこと。
それに、大抵のエールは相手の本心であることも、頭ではわかっている。
ということは、私はとても失礼なことをしているのだ。
相手にも。そして、自分にも。
「自分を愛することが、相手を愛することに繋がる」
この言葉の意味を、初めてちゃんと理解した瞬間だった。
これに気付いて、自分の気持ちを信じて大事にしてあげようと思ったら、まず仕事を辞めることが1番しっくり来た。
だって、去年の9月からずっと辞めたかったんだもんね。
私は、2月から職無しになる。
今までの私だったら、何が何でも「次の就職先」を探してから辞めたと思う。
だから、今回の決断は人生で初めての経験。
自分の中にある常識の枠組みを飛び出すことになる。
実際、今だってちょっと不安だけど。
「選んだ道しか進めないんだから、そこを良くしていけばいいんだよ。」
前にインタビューしたときに由香さんが話していた言葉。
その時はわからなかったけど、実は私のための言葉だったのかもと、退職を決める時に初めて頭の中でリンクした。
自分を信じて、自分の選んだ道を正解にするために進めばいい。
これから、また新しく歩いていきます。
何がどうなるかなんてまだわからないけど、私なら大丈夫。
おかえりなさい、わたし。
ご静聴、ありがとうございました。