わたしが思うよりも、世界はもっとやさしいと気づかせてくれた対話のはなし
「それ、もっと早く言ってくれてよかったのに!」
そう声をかけてもらったのは、私がいろんな悩みを一人で抱えて、パンパンになって、どうすればいいのかわからなくて苦しかったとき。
大袈裟に思うかもしれないけど、私はその言葉に救われたし、友人の言葉は人生を変えてくれたひとことになった。
人に頼る方法がわからなかった
昔から、人に頼る方法がよくわからなかった。でも、社会に出てから誰かと一緒に何かすることが増えて、それなりに人に頼ることを身につけた"つもり"だった。
でも、もっともっと根っこのところ。例えば、生きていく上で最後の最後に頼りになるのは「自分だけ」だと、つい最近まで思っていた。
最後の最後に信じられるのは、自分だけ。
その考え方が間違いだとは今も思わないけれど、私の場合は、つよめにそう思っていた節があって、自分でも偏った考え方だなと感じていた。
最後の最後には、自分以外の誰も信じられない。
私が自分の中にみつけた偏りは、「自分だけ」と強く思ってしまうことで、「他の誰か」を信じられる可能性を排除してしまっているという面のこと。
でも、この自分の中にある偏った考えとどう向き合えばいいのか。どうすれば人のことを信じられるようになるのか、ぜんぜん見当がつかなかった。
ただ一つ、その偏りをみつけたときに感じたのは、私は「誰も信じられない」と思いながら、同時に「誰かを信じたい」とも願っているということだった。
現在進行形の重めの悩みを、はじめて人に打ち明けた日
冒頭の話にもどるけれど、あのときの私は、いろんな悩みで頭がパンパンだった。
普段なら一人で抱えきれることでも、何個も重なるとさすがに堪えて、つい、目の前にいた友人に、抱えていた感情や悩みや思いの丈を話してしまった。
ああやばい。悩みのタネとは関係のない友人に話しても、友人にはどうすることもできない話なのに。きっと困らせてしまう‥‥。
話し終えた瞬間から、脳内で後悔しはじめた私に対して、彼女はあっけからんと言った。
えっ、そんな展開があっていいの???
というのも、私は物心ついたときから、現在進行形の重めの悩みを人に相談したことがなかった。
どんな悩みも大体は、解決したあとに事後報告。
なぜ相談しないのか、いくつか理由を並べることはできるけれど‥。要するに今までの私は、プライドも高いし、心の底のほうにある悩みや考えを曝け出せるほど、まわりの人のことを信用できていなかった。
でも、友人に声をかけてもらったことで、物心ついてから初めて現在進行形の悩みを打ち明けることができた。その後、アドバイスをもらったり、私の悩みについて対話を重ねてもらった。
「困らせるかも」と思ったけれど、弱さを受けとめてもらうことで逆に友人との距離も縮まったような気がした。
「あなたの荷物、私も持つよ」と言ってもらえた気がして
彼女が直接話してくれた言葉は、さっきの通り。
だけど私の中では、「あなたが抱えている荷物、重そうだから私もすこし持つよ」と手を差し伸べてくれたような気がしていた。
大袈裟に思うでしょ?でも本当にそう思ったの。
特に私の場合は、私の判断がその人に何か影響を与える可能性がある、夫とか家族とか普段の距離が近い人ではなく、仲良しの友人という距離感で言ってもらえたことが大きかったなと思う。
友人の距離感でも、悩みをうけとめてくれる人はいる。
親身になって、一緒に考えてくれる人はいる。
そう実感できてはじめて、私が想像しているよりも、世界はもっとやさしいものだったことに気づいた。
信じられるかどうか?ではなく、信じてみようと行動する
結局、「誰も信じられない」と思い込んで、自分と他者との間に壁をつくっていたのは私自身だったということにそのとき初めて気づいた。
今までの私は、能動的に誰かを信じようとしていなかったわりには、相手に求めすぎていて、いつか誰かが信用に値するなにかを私にくれるものだと思っていた。
そして、いつか現れるはずの信用できる人になら、悩みを打ち明けられるかもしれないと思っていた。
でも、本当はそんなことってありえなくて。
やっぱり、まずは自分からなんだよね。
「この人は信用に値するか?」なんて、相手を値踏みするよりも、まずは自分から信じてみる。
とはいえ、友人に悩みを打ち明けたときの私は正直なところ、相手を信じられるかどうかを考える余裕もなかった。だから、「まずは自分から信じてみよう!」と行動したわけではないけれど‥‥。
でも結果として、友人に今の自分の悩みを受けとめてもらったことで、私の中にあった「最後には自分しか信じられない」という偏った考えが溶けていった。
だからこそ、信じたいと願う誰かがいるなら、信じられるかどうか判断するのではなく、まずは信じている前提で行動すればいいと友人に教わった。
私が思うよりも、世界はもっとやさしい
それまでの私は、疑いの目でばかり世界や人を見ていたなと思う。
だから、あのときの友人の言葉がきっかけで、自分の中に氷のように固まっていた「自分しか信じられない」という偏りが溶けたことは、すごく大きな変化だった。
こうして私ははじめて、ほんとうの意味で人に頼ることが抵抗なくできるようになった。
それは、友人との対話を通して「私が思うよりも、世界はもっとやさしい」ということに気づけたからだと思う。
そりゃもちろん、もしかしたら今後いつか誰かに裏切られるかもしれないし、そしたらもっと傷つくことだってあるかもしれない。それに、誰でも彼でも信じればいいというわけではないけれど。
でも、それでも私は信じていたい。
せっかく教えてもらったやさしさを、もう見失わないでいたいと思う。
人に頼ることでしか、前に進めないこともある
今回のことで、もっと気軽に人に頼っていいと思えるようになって、ずいぶん心が楽になったし、自分ひとりでは解決できないことって、この先も絶対にたくさんあるだろうなと感じた。
私が抱えていた「自分しか信じられない」という偏りは、たぶん「誰かを信じる」ことでしか解決できなかったと思うし、それは相手がいないと成し得ないこと。
そして、そんな壮大な話じゃなくても、人に頼ることで早く解決できたり、誰かと対話をすることでモヤモヤが晴れることはたくさんある。
これからも自分の中にある思い込みや偏り、悩みや迷いを見つけたときには、誰かに話して、対話してみようと思う。
そしていつの日か、今度は私が誰かの荷物を持てるような人になれたらうれしい。