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【Episode 3】インドネシア滞在記~活動中期2016年1-3月~

卒論提出の締め切りが12/29なので、そっちに注力しなければいけないので、リバイバル公開ということで、29日まで2017年8月に公開したe-Education時代のブログを転載します!

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【前回のお話】
プロジェクトが全然思い通りに進まなくて、モチベーションがた落ちして、日本に帰りたい欲求が増してきたところまでお話しました。

前回の【Episode2~活動前期~】をまだ読んでない方はぜひこちらからどうぞ
↓↓↓


日本へ帰国

前回でもすこし書きましたが、結論からいうと帰国しました。

しかし、それはただ帰りたいからということではなく、前向きな後進。

ETICというNPOがやっているMAKERS UNIVERSITYに参加するためでした。


“MAKERS UNIVERSITY”


全校生徒、革命児。

あらゆる枠を越え、革新と成長を目指す、すべての革命児たちへ。

次世代のイノベーターを育成する「MAKERS UNIVERSITY」

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このMAKERS UNIVERISTYへの参加は表向きには刺激ある仲間を見つけ、e-Educationの活動資金をしてくるという想いでした。


しかし、その裏にはやはり一度日本に帰国したいし、なんの理由もなく帰るのは気が引けるなという私にとってとても都合のいいものでした。

"いや、半端なかった。
衝撃受けまくり。"


そんな思いもあり、参加したプログラムでしたが、衝撃が走りまくりの3週間の事前研修でした。

日本でトップクラスの事業家の方や、NPOの代表などのお話を直に3週間聞き続けられるのってないです。

でも、ここまでなら実際Youtubeでもできます。

何が衝撃だったかっていうと、“参加者の大学生のレベル“です。うわーこんな大学生いるのかよ。

日本のアクティブな大学生たちと過ごした3週間は自分にとってリフレッシュ&充電満タンを通り越してバッテリーが爆発してました。

そんなこんなで、いっちょやってるか精神を取り戻してインドネシアへ戻りました。

足を動かせばどんどん進んでいくプロジェクト

3月にインドネシアへ戻ってきてのミッションはスンバ島の学生を6月の大学受験に向けて、生徒を選びデポックでの合宿の準備を整えることでした。

関係が悪化していたスンバ島の教育局とも日本から持ってきたパソコンをあげることで、活動を続けることができるようになりました。
(ここは少し複雑。)

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(担当職員と島の教育局長と先生たち)


街の高校のすべての校長と教育局長にパソコンを贈呈。

そして、島田がこれからスンバ島でやりたいことを説明。

「もし、この島から大学に合格する学生が現れたら、彼らが島に戻ってきたときにきっと学校や地域に恩返しをするだろう。

それこそが、教育の持つ力であり、社会をよくする方法だと思います。」

なかなかいいこと言うじゃないかね、君。

みたいな?なってたらいいんですけどね。

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(校長先生にメッセージを伝える)

君、その話うちの学校でもしてよ!


待ってました!

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(2つの高校の3年に向けてプレゼン)


それからは、プロジェクトがどんどん進んでいきました。

合宿に参加するメンバーを選考するためにテストを作り、採点をし、面接をする。

街の上位2校にしぼってセレクションを行っていたが、毎日バイクにのって、学校をはしご。

とにかく、コミュニケーションをたやさないことを気をつけた。

職員室に顔を出したり、先生と話をしたりしていると、校長室に通され、校長直々にお話をすることも。

この時期がいちばん足を動かしていた時期でもあり、プロジェクトを回している実感があったタイミングでした。

インドネシア語も使えるようになり、現地の人との会話も楽しむ余裕もうまれてきました。

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★島田コメント★
3月はいちばん楽しかった。何より、足を動かして、プロジェクトの階段を1つずつ登っている感じがしたからだ。島の高校に足を運んで、先生とコミュニケーションを取り、巻き込んで活動をしていく。それは、すごく面白い経験で将来こういう仕事もありだなと!

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#卒論提出まであと2日

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