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【Episode 2】インドネシア滞在記~活動前期2015年9-12月~

卒論提出の締め切りが12/29なので、そっちに注力しなければいけないので、リバイバル公開ということで、29日まで2017年8月に公開したe-Education時代のブログを転載します!

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連載2日目!今回は本格的に活動を始めたタイミングから、3か月後までのお話をしたいと思います。
 
Episode1「~引き継ぎ渡航・本渡航前~」をまだ読んでいないという方は、ぜひこちらからかどうぞ!
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あれ、あれだけいた生徒はどこへ??

マスターをよりよい学校にするために、熱い想いを持って、インドネシアへ再び舞い降りた島田。やってやる!と、一人でマスターに乗り込む。映像授業クラスは火・木の17:00からだったので、時間に間に合うようにパートナーと連絡を取りながら授業の準備を進めて、いざ出陣!と思ったとき、教室の扉を開ける。。。

「あれ、前は20人以上いた学生たちが5人しかいない」


どういうこと?なんで?話を聞いてみると、引き継ぎ渡航を終えてから、前任者が帰国して、それから島田が戻ってくる間に授業がなかったので、みんなもうやめちゃったとのこと。


「え?なんで、いなくなる時に、ちゃんとそこらへん準備してないの!○ぶさん!おいー!!!」


って感じで、いきなりマスターの活動の雲行きが怪しくなる。。。

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(それでもかわいいマスターの子どもたち)

"いや、そもそもなんでマスターで活動してるの?

理由とそれを証明する根拠は何なの?

そもそもインドネシアプロジェクトのミッションは何なの?

え?決まってないの?

どういうことだよ、この団体ぜんぜん体制整ってないじゃん。

思ってたのと、ぜんぜん違う"。
Etc(たぶんまだ出る)

ということで、担当職員さんとSkypeで2時間ほどがっつり話をしたが、納得できず。

職員さん、初代プロジェクト担当の方を前任者の4人でSkypeを3時間ほど話をするも、さらに納得ができず。

そして、担当職員さん、代表と3者面談。

(そうとう生意気言った気がします。その節はすみませんでした。議事録をたまに見返すと、その時の気持ちが溢れてきます)


それでも、正直なところ自分の心にスッと入ってこない。

そこから1週間くらい引きこもりました。

たぶん。ここが、第一の辛かったポイントです。


いやいや、そんなこと言ってても何も変わらない

というマインドになったのは、3者面談からいくつか経ったころだと思います。

そのタイミングである投稿がFacebookで流れてきました。


GATSUBY CM コンテスト

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入賞者は日本への表彰式に無料招待。

これだ!とピピっと来ました。

20人いた生徒はもとに戻らない。

ならば、まずは授業に来てくれている5人の学生を全力で応援したい。

そう思って5人に話をもちかけ、実際に活動していきました。

そうして作ったのがこちらのCM

(インスタ消しちゃって、データ見当たらず見れない涙)

ストーリーは面接を失敗した男の子がギャツビーをつけると勇気が出てきて、次の面接にいい顔で向かうという流れ!
(いや、わかんねーよって。はい笑)

残念ながら、入賞することはできず、5人を日本へ連れてくることはできませんでしたが、間違いなくこの期間で5人と仲良くなれたし、彼らのことを知ることができました。

ちなみに、これが島田初めての動画の企画&撮影&編集の場でして、これがInstaVlog原点(?)です笑

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(2015.11ギャツビー島田)

足を動かす


考えていても、始まらない。

まずは、行動あるのみ。

インドネシアの日本語教育調査のために、バンドゥンにあるマラナタ大学に1週間見学に行きました。

日本語学科のお祭りのお手伝いをしながら、日本語を勉強している学生といろいろお話しするいい機会に。

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バスケットボールのU-16のアジア大会がちょうどジャカルタで開催されるということで見に行ったりもしました。


北海道で対戦したことのあるセンターが出てたり、いまの福岡大濠2年13番の中田君も当時中学校3年生として出場していたり。

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自分がバスケが大好きだと再確認。

スポ―ツビジネスやりたいとも考えるようになった。


インドネシアの京都・ジョグジャカルタ


友人がジョグジャカルタにいたので、会いにいったりもしました。

旅行のタイミングが年末年始だったので、ニューイヤーはジョグジャの広場で迎えました。

そして、そのまま世界遺産・ボロブドゥール遺跡のサンライズツアーに。

最高の新年の幕開けとなりまいした。

「インドネシアの活動をやりきる」という抱負を掲げながら、太陽に向かって吠えました
(※ウソ)

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プロジェクトの進捗

は、いま考えてみるとなかなか厳しい期間でした。

結局、マスタープロジェクトは必要性を感じられず、できることもない。

スンバ島は、島の教育局の方からもうe-Educationとは活動を一緒にやりたくないといわれ絶望。

活動が全然うまくいかず、気がめいる日々。

12月なんかは昼夜逆転生活が定着してきてしまい、4:00に寝て12:00に起き、吉野家の牛丼を食べに行き、17:00にマスターに行くも生徒は来ない。

家に帰ってプリングルスを食べながらYoutubeを見て、気がつくと真夜中のような生活。

ほんとに日本へ帰りたかった12月。


ここが、最大の山場。


★島田コメント★
渡航して3か月というタイミングは割と長期間滞在しているのに、プロジェクトが進まないもどかしさ、自分へのふがいなさ、団体への不満などいろんなものがたまりにたまって、ほんとに日本へ帰りたくなるときがちらほら。

それでも、自分は来たからには、絶対何か成し遂げてやるという想いでなんとか頑張る。も、それでも電池切れに。

この後、この状況は乗り越えたんですけど、そのきっかけはやっぱり日本帰国でしたね。これについてはまた明日!GATSUBY CM見てね!
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#卒論提出まであと3日

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