人魂を届けに を見た
最近、精神的に疲弊してしまった人をよく見るなーと思ってる。
芸人さんとかが休んでるのも見るし、Twitterにも休職してる人を見る。これは、私がそういう方向に引っ張られてるだけなのかもしれないし、コロナで休みやすくなったいい傾向なのかもしれない。
⚠以下、人魂を届けにの内容のネタバレしながら、多分に己の話をする⚠
できるだけ事前情報をいれずに見に行った。
イキウメの新作、というだけで面白いのは確定しているから。
そういうのってありがたい。
この人が出てるライブなら、この人が脚本なら、この人の企画なら、が増えていくと楽しい。
人魂を届けに、は魂を売るとか魂を削られるとかそれがどういうことかをまず説明してくれる。
ああ、私はあのとき魂を売ったのかとか、魂を削られていたのか、とか思う。
森の家は社会からこぼれ落ちてしまったような、マイノリティ、もしくは社会的な弱者の共同体。その人たちを慰撫する人。そしてまた慰撫する人も追いやられた人。と受け取った。
森の共同体の人はぐにゃんとしていて、基本的には立ってられない感じだ。精神的に参ると、とにかく眠いしダルいもんね。
魂について、不在から在を感じる、というのが、優しさだなあと思った。
魂をすり減らされてしまった人が、魂を食べるのはどう解釈すべきなのかな?
なんとなく森の物を食べてしまうのはヨモツヘグイみたいに思えて恐ろしかったんだけど、帰って捕まえ役になるとも言ってるから、そういうことじゃないんだろうな。
サリンジャーが大好きな同級生が大学の頃にいて、落下の話をよくしていたのを思い出した。ライ麦畑じゃなくて森なんだよなー。
そういう人に私はなりたい、は宮沢賢治なのかな関係ないのかな。もしそうなら、これはまた削られる生き方ではないのかな?
とか問がたくさん生まれたお芝居だった。
生きづらさとか断絶に対しての一つの大きな問だし、自分の魂のすりへった部分をぬるんと通って癒やしてくれる物語だった。
ぐにゃあとなった人に見て欲しいな。