フォスター電機を退職しました。
正確には3月31日付での退職ですが、2月25日が最終出社でしたのでご報告です。社内社外たくさんの方々に助けてもらいながら19年!勤めました。
回路や組込みなどの技術職を8年、ヘッドフォン、DAC・アンプなどの企画営業やKOTORIブランドの立上げと運営を8年、クライアントワークを3年と様々な仕事やチャレンジが出来たのは良い経験でした。
3月は有休消化月間なので19年間を振り返って中々面白かったことや思い出深い事を書いてみようかと思います。
時間があるので書いていたら長くなってしまいました。結論から申し上げると、たいへん楽しい仕事が沢山出来て本当に幸せでした。これからもよろしくお願い申し上げますということでございます。
私がFOSTEXに入社志願書を出した理由
は2つあって、自分の使っている音楽機材のエンジニアになりたかった事。大学に行かなかったので応募資格が学歴不問な事。でした。一緒に音楽をやっていた友人Dot君がFOSTEXのHDレコーダーDMT-8を使っていまして、DMT-8の非圧縮録音かつミキサー部分はアナログ回路という構成に「中々渋いな。。。スピーカーメーカーでもあるから音響的優位性からそうしてるのだろう」などと思っていました(入社後コレは単なる私の思い込みだと分かるのですが「音響機器は機能の無い事が美徳や優位性に感じられる事がある」という事を入社と同時に学べました笑)。
無事書類審査を通過し、筆記試験に進んだのですが試験内容に関する説明が無かったので採用担当部署に伺ったところ「いわゆる普通の筆記試験です」とのことでしたが、当日出た筆記試験は、アナログ・デジタル回路、物理と数学、「音響設備におけるネットワークの利用」の小論文でした(今思えばどこが普通の試験だよという笑)。もともと好きで電子工作やDIYシンセ、マイコン、Linuxなどに触れていたので内定をもらえましたが、いわゆる本当に普通の入社試験だったら絶対に落ちていたと思います。。。この年だけは、FOSTEX独自の採用で以後フォスター電機での一括採用になるので私は本当にラッキーでタイミングも良かったと思います。
技術部時代
FOSTEXで技術部というとなんとなく、音響エンジニアというイメージですが、私は主にレコーダーのエンジニアをやっていました。当時は学がない事もあり回路図を見て分からないところがある事に恥ずかしい思いがあったのと、せっかく入れた技術部から異動させられるのが怖く(全くそういう社風では無いですが)、入社3年ほどは通勤電車の中では技術書、どうしても分からないところがあると巣鴨のCQ出版のセミナーに自費で行ったりしていました。今思えばすごく努力家笑。今これ系の努力はちょっと難しいですが、好きなことの知識が深まるのは苦痛とは思わなかったですし、こういう時期があって良かったと思うことが多々あります。好きな事を仕事にすると。。。的な話がありますがメリットは学習が苦痛にならない事です。しかも、オーディオや楽器なんていう趣味領域のプロダクトは好きじゃない人間が良いものを作る事はなかなか難しいとは未だに思います。正直お客さんの方がよっぽど好きだったり詳しかったりしますしね。
モバイルオーディオ黄金期
山口君は、なんか色々知ってるし社交性もあるから的なふんわりした感じで、技術部に所属しながら企画や営業の仕事をするようになります。その中で私が経験したのはモバイルオーディオやPC/ネットワークオーディオの黄金期。ここでいう黄金期とは、様々な技術アイデアと応用、デザイン、マーケティング方法が行われ、ヘッドフォン/イヤフォン/DAがオーディオのメインストリームに伸し上がった時代という意味です。
まさにHIPHOPでいえばGolden age HIP HOPの様な時期だったと感じます。一般的には、Apple,iTunesの登場で。。。的に語られますが、もちろんそれはありつつも、それだけでは語れないバランス接続やポタアン、イヤモニの発展、USB転送技術などなど、それまでオーディオメインストリームであったスピーカーやCDプレイヤーに取って代わる「オルタナティブ」な価値観があったように思います。そういった黄金期は大きなメーカーの戦略だったりメディアなどが主導した訳ではなく、ファンやユーザー、メーカーや輸入商社の一担当者などなどが作り上げたと感じますし、モバイルオーディオは、メーカー同士,ユーザーの方々との距離感が近く、そのような場と機会を作り出したフジヤエービックさんの功績が本当に大きいと思います。Golden age HIP HOP的にいうと、西海岸Gファンクまでを言ったりしますが西のe☆イヤホンさんの存在も欠かせません。大阪のe☆イヤホンって店がヤバいと行く前にから聞いていたのですが、初めて伺った時その品揃えや商品キャプションはもちろんですが、スタッフは皆10代後半から20歳そこそこという事に本当に驚愕しましたし、イヤホンネイティブの世代がついに。。。という思いと、業務の中では初めて自分より下の世代の存在を意識した時でした。
この頃に友人関係になった方々とは私がFOSTEX業務を離れてからも仲良く、今後もずっとお付き合いは続くと思います。今後ともよろしくお願いします。
プランナーとして
色々同時進行で仕事をしていたのですが、単独プランニングとして世の中に出した初仕事は「桃井はるこ」モデルのヘッドフォンでした。なぜ「桃井はるこ」かというと、もともと会社に入る前から遊んでいた音楽やアーティスト友達が皆アニメやニコ動、アニソンにはまっていくのですが、その中でも楽曲はもとよりその歌詞世界とラジオライフへの連載などハードコアで尊敬しかない桃井さんには皆ハマっていていました。そんな中、盟友であるククナッケが勝手に作っていたリミックスの出来があまりにも素晴らしく、私はレーベル活動などもしていたので原盤をクリアしてオフィシャルでリリース出来ないかレーベルに飛び込みで問合せたりしていました。嬉しい事に、DVDの特典リミックスのオファーを頂いたりした関係もあり、「実は私はFOSTEXという音響メーカー勤務でして、まだそういうアプローチをしているメーカーは無いのですがアニメとヘッドフォンの関係は非常に親和性がある。一緒にヘッドフォンを企画しませんか?」と持ちかけたのがきっかけでした。当時FOSTEXはそういうことをやるイメージが無かったので、先輩たちの築き上げたものを変えるような気にもなったのと、声優?アニサマで売る?など意味がよく分からない企画に付き合って、製造にも話を通してくれた上司には本当に感謝していますし、この時にもしかして思いの外この会社懐が深めも。。。と感じた時でした。
企画時代には、就職するまでのフラフラしていた時代の友人がとても助けてくれて、KOTORIブランドの外部クリエイティブはどの会社が良いか?方々の友人に相談していた中で、IMG SRCを紹介してくれたのは六本木でスーパーデラックスをやっていたマイクさん(ICCやYCAM、テクノロジーアート関係の友人も多くがスーパーデラックスで知り合ったと思います)、DACやヘッドフォンアンプ関係のプロダクトデザインは友人のDJ L?K?O と当時一緒に事務所をシェアしていたメチクロくん、メチクロくん繋がりでお仕事をお願いした人もたくさんいます。何度も展示でご一緒した大友良英さん、きゃりーも紹介してくれてビックリしたGalaxxxyヘッドフォンの面々なども、ExT、和ラダイスガレージの永田さん(就職前の4年くらいは週5で飲んでいたので、私は永田大学夜間部の卒業生だったと思う時があります)を通じて知り合ったり、同じシーンにいたり遊んでいたりという関係でした。
この時期は本当に寝ていなかった気もしますし仕事もプライベートも一緒だった時期です。もうこういうスタイルでの仕事は出来ませんが、フラフラしていた時代の友人達ときちんと市場にも評価される良い仕事が出来たのは本当に幸福な事だったと思います。
オーディオ製品の企画
音楽が好きで、音楽制作や音そのものへの興味でFOSTEXを選んでいるので、もともとオーディオマニアだったりした訳ではなく、実はDACなどの企画もエンジニア目線というか部品選定目線で、制作用機材は16ch、かたや観賞用オーディオ製品は2ch、DAは同じAKMのものだしUSB転送技術だって音楽制作では最初からやってるしハイサンプリングレートなんて昔か実装している。でも観賞用オーディオは市場が違うだけで数倍の価格で売られているという部分に俺らもやれんじゃないか?みたいな感じで、初めは空いた時間で企画を作り試作を始めたのがきっかけでした(のちにオーディオは部品や測定評価、スペックだけじゃない事を痛感しますが笑) そういった経緯もあるので実は未だに、音楽制作の人達の機材と観賞用機材の間を隔てるものは何か?というのは私のテーマでもあり、どちらにも愛されるメーカーや機材(例えばATCやPMC、先日亡くなったティム・デ・パラヴィチーニ)などなどには羨望の思いもありますし、音楽製作者と鑑賞者その間を埋めるような仕事が出来たら嬉しいなとは今でも思います。
かたや、いわゆるオーディオとしての仕事から離れていたのは、KOTORIブランドなのですが、今でも思い出に残っているのはAppleオンラインストアでの出荷台数がオーディオアクセサリ部門で1位を獲得した年があり、Apple Japanの会議室でサプライズ授賞式をやって頂いた事です。今のApple Storeからは考えられませんがまだ各国での裁量や独自性があった時代です。ストアへの製品登録のシートを埋めるとその製品の機能や強み特徴やブランドの歴史までもが埋まるのですが、ああいったツールは流石だなと。。。 それとKOTORIはオーディオブランドとしては珍しく相当数のアパレル、スターバックスなどの良さげな企業コラボや有名百貨店の取引口座を沢山持っていました。その中でも一番思い出深いのは新宿伊勢丹との取引開設で、取引に開始に際してバイヤーの統括責任者の方との面談がありました(ビジネスプレゼンではなく面談です笑)面談ではブランドのフィロソフィーなどを話まして取引するべきブランドなのかどうか判断されます。この日は気合を入れて相応しい担当に思われるようbatak のビスポークスーツを着て行ったのですが、面談後におめしのスーツってビスポークですよね?どちらで?と聞かれてやったーと思いつつも、もはやオーディオを扱っているとは思えないと気持ちと笑、ブランドって認められるのはどの市場でも大変だなとたいへん勉強になりました。
クラインアントワークとしての音響デバイス
FOSTEX時代の企画で後々まで私が影響を受けた仕事は、「FitEar」さんと「くみたてLab」さんとの仕事です。フォスターのデバイスを使いたいとのオファーを受け、通常自分達が使う為だけに製造しているドライバーなので、なかなか難しい部分もあったのですがFOSTEXの名前も紹介もしてもらうということで実現しました。FitEar Airの商品発表会にフォスターでバリバリ本流のクライアントの営業をやっている社員が見にきてくれ、のちに私をクライアントビジネス部署に招いてくれました。
実はDriverに関しては自分達が良いものをと思って自分達だけのために作っていると、他社に比べてどこが良いのかが分かっていない部分もあったりしたのですが、この2社からは本当に色々気付きを頂いたおかげで、デバイスそのものを扱う楽しさを初めから得られました。
最終出社日にFOSTEXのエンジニアから、あんだけ長い間ブランド部門にいた山口がよくOEM/ODMの部門に移って辞めないもんだと話していたそうです笑 私は異動で辞める気には全くなら無かったのですが、それは産業としての音響機器を捉えるのが面白かったからです。フォスターの仕事で面白いのは世界屈指の企業のR&Dやエンジニアが音や空気振動ついて考えている事に直に触れられるのと、そういった会社の仕事の流儀を垣間見える事です。私が誰に頼まれるわけでもなくルーチンのようにやっていた事は、各国拠点の営業経由でもらった問い合わせに対して、その企業にどこの企業がどれだけ出資しているか?どんなエンジニアを集めていて、どんな特許を申請しているかなどを時間はかかりますがWebで調査し、気になるエンジニアがいればそのエンジニアがどんな特許を申請したか?などなどをクロス検索していくと、自分なりに朧気ながら音響デバイスというのは今後どんな世界に入っていくのかが見えて来る。これは、メーカーでも必要な事かもしれませんが、デバイスメーカーだからそこやる意義もあり、またミュージシャンやアパレル、ヘッドフォンユーザーの方々との付き合いとは違った楽しみがあります。最後にデバイスと言えば、自社のDriverを使った自作コンテストを開催できたのも最高に楽しい思い出です。コンテスト参加者から未来のメーカーが生まれて欲しいですし、今後も続けて行って欲しいですね(参加者として応募します)
それと私が非常に勉強になったのは、音響部品メーカーとしてクライアントと取り交わす仕様書を詰める作業。オーディオでは、「エージング前だから音がまだまだ」のような台詞に対し、「変わんねーよ」的な事を言う方もいますが、聴き比べられるかどうかは別として、そういった物性変化や音響に関わるパーツ一個一個のロット誤差などなどは、全て把握して管理枠を設けるのがデバイスを扱う仕事です。それはf0であったり、当然TSパラメーターなどにも影響しますし、さらに製品に組み込む際の接着剤塗布管理なども当然音響パラメーターに大きく影響します。なので、オーディオの音質の違いなどをオカルト的な話と混在して話す人もいますが、実は超大量生産だからこそ管理している部分もあり、その積み重ねが音に影響するので、そりゃほんの少しの重さや振動で違うことは全然あるよね。とマニア的な微細な違いを産業の中で身をもって感じた期間でもありました。
という事で、もし産業としての「音」に関わる事に興味があればフォスターの門を叩くのもおすすめします。「えーなんでこんな仕事」と、思う事もあるかもですが音が好きであれば「なるほどこうやって考えるのか」と勉強になることが多々あり、単にオーディオが好きなだけでは得られない視座を持てると思います。
今後
は、4月より別な会社でお世話になりますが、やはり音には関わって参りますので皆様よろしくお願いいたします。3月の有給期間は家のDIY修理や改造。趣味の園芸、洋服の断捨離、普段を思ったことをココやSNSなどに書いてゆっくりしようかと思います。
それなりに長くこういった仕事をしたので、何か御相談事などあればご連絡ください。もちろん退社するからと言ってNDAがあるのでお話し出来ない事もありますが、そういう事とは関係の無い知見や独自にお勉強したことも沢山あるかもなので、私が知っていそうな事あれば、あまり責任のない範囲で笑ご相談に乗ります。
では19年間ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
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