twitterアーカイブ+:遺伝的アルゴリズムちゃんに寄せて、単調と点
遺伝的アルゴリズムちゃんの概要
遺伝的アルゴリズムちゃんとは、群青ちきん氏が2021年1月に開始した「遺伝的アルゴリズムで最高にエッチな画像を作ろう!」という企画で生成されかけた美少女図像のことである。
二枚の画像のうち、どちらがより性的だと思うかを人間に選択させ、遺伝的アルゴリズムという機械学習の処理を通すことで、人間の選択を反映した「次の二枚の画像」を生成する。これを数万回繰り返すことで、「最高にエッチな画像」が生まれると期待された。企画の目標は、このシステムが置かれたwebサイトがGoogleによって「露骨に性的なコンテンツ」と判定されて広告を停止されることで、企画開始から一ヶ月でこの目標に達した。その後も企画は続けられたが、自動でランダムに選択するプログラムや実写の写真に寄せようとするプログラムの介入を受け、同年9月に企画を終了している。
単純さと性的さ
この企画で最初に出現した「性的らしき部位」は乳房であったという。理由として骨しゃぶり氏は、「乳房は単純なパーツから構成されるため発生しやすく、しかも構成されていく途中の段階でも顔などに転用可能であるため形質として残りやすい」と述べている。
骨しゃぶり氏の記事に付け加える形で私が述べたのが以下の内容である。
この記事のポイントは、乳房が二つの丸だけで表現できる単純な形をしている、という記述だ。私はさらに踏み込んで、単純であることこそが性的さの条件なのだとさえ言いたい。
形が単純であること(=丸)、色が単純であること(=大きな面積が一色で塗られていること)。そのような性質を持つものを見て人間の中に湧き上がるある感覚を、私は「性的」と呼んでいる。その条件を満たす乳房や尻のようなパーツは、たとえ生殖に関与しなくともフェティシズムの対象となっただろう。
光受容器を持つ多細胞生物の進化のある過程で、単純な形や大きな面積に反応してある感覚を返す神経機能が発生した。恐らくはそれは今で言うところの、扁桃体の司る恐怖の感覚に近い。その後で、下垂体が生殖のために便乗し、さらに下って、社会が再生産のために便乗した。
今でも、オーガズムを感じる瞬間に、人間は生殖に不要なはずの破滅的な感覚を思い出す。「子孫を残すことは親個体の死を前提とし~」という説明は後付けだ。そのような俯瞰的な小理屈が、個体の生理的な感覚に組み込まれる必然性がない。生殖と性衝動は、本来別々の機能だったと考えれば筋が通る。
しかし、形が単純でのっぺりとした大きな面があるだけでは、人はそれに対してどう反応してよいのか途方に暮れ、あるいは忌避する。乳首あるいは生殖孔という「目印」がそこに加わることで、ようやく人は応答を返すための手掛かりを得る。「性衝動」の後に続く「性的行為」というものがここに発生する。
生殖機能が性衝動に合流して最初にやったことが、恐らくは乳首や生殖孔を「そこ」に配置したことなのだろう。このような、始まりも終わりもない性感を湛えた捉えどころのない「面」を、クロウリーの魔術においてはヌイトと呼び、そこに記されてあらゆる動きの可能性をもたらす「点」をハディトと呼ぶ。
言い換えれば、性感や性的イメージが持つあの特有の手触り、それらを我々に性的と呼ばしめている共通の条件とは、無限なるものの片鱗を孕んでいることなのだ。途切れることのないものを思い、意識がオーバーフローするとき、オーガズムが起こる。あるいはその阻止のために射精が起こる。
人間が無限なるものと接続するとき、必ずしも宇宙や神のことを考える必要はない。最も身近な無限なるものとは死なのであり、なぜなら人間は自分の死の瞬間を決して想像することができず、想像は特異点に向かって落ち続けるからだ。恐怖の感覚が無限の概念と結びつく接点は恐らくここにある。
このことから一つの仮説を立てることができる。即ち、今ここにないものを想像する知的機能を、個体として有してさえいれば、人類に限らずあらゆる知性は同じ「無限への恐怖」の感覚を持ち、それから逃れるために「混沌に描かれた顔」へのフェティシズムを発達させるだろう。
議論
丸二つは性衝動を喚起する図形としての必然性があるが、人体の構造全てがそうとは限らない。たかだか数億年の進化では冗長な構造もあるし、個体としての生存も図らねばならん。謎の図像が“最適解”である可能性はある。だがその謎の図像にも、やはり人体との決定的な共通点を見出すことができるはずだ。
変動期
ここまで来れば、遺伝的アルゴリズムちゃんに「最終的」な姿などない。企画が不可抗力によって終了するその時まで、性癖のせめぎ合いのもとで延々振動し続ける。なぜなら、それが欲望というものだからだ。人の意識する欲望の形は、その原初の衝動から遠く離れ、故に無限に分岐するからだ。
衰退期
この遺伝的アルゴリズム企画そのものは絶滅しつつあるが、遺伝的アルゴリズムちゃんというキャラクター自体は既にこの世に生まれ出た。人の形を得て人に認知されたからだ。もはや死なぬ。我々は企画の終了後も、このデザインを基にして遺伝的アルゴリズムちゃんの創作をすることができる。ハレルヤ!
つまり、「遺伝的アルゴリズムちゃん」と聞いてイメージする姿が人によって違う、ということがあり得るのか? 企画を知った時期や予備知識によっては、「赤髪の狐」よりも「ゾンビ化した由紀」の方に思い入れが生まれることもあるだろう。ナンバリングがあるわけでもないのだからな。
あるいは、現象をより虚心坦懐に見て、一つの美少女が異なる時期に異なる姿を取っていたと考えることも当然できるだろう(ジャータカ)。ある時には無数の人々の望みの集積として、ある時には一人の明確な意思に請われた結果として。しかし、シャーリプトラよ、その背後にある法則は常に単一だ。
〈以上〉
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