twitterアーカイブ+:ラティアスを追ってヴェネツィアに行く者たちへ

遺書

 2019年夏、操刷法師は謎めいたメッセージと一枚の写真をtwitterに残して消息を絶った。


「むかしむかし、アルトマーレという島に、おじいさんとおばあさんがいました。」

「ある日、二人は海岸で、小さなきょうだいが怪我をしているのを見つけました。」

「おじいさんとおばあさんの手厚い看護で、二人はみるみるよくなっていきました。」

「しかし突然、邪悪な怪物が、島に攻めてきたのです。
島はたちまち、怪物に呑み込まれました。」

「と、その時。
おじいさんとおばあさんの目の前で、二人の姿が、変わっていきました。」

「二人はむげんポケモン、ラティオスとラティアスだったのです。」

「二匹は空から仲間を呼び寄せました。
彼らは、邪悪な闇を追い払う力を、持ってきてくれました。
それは、こころのしずくという、宝石だったのです。」

「島には平和が戻りました。
それからというもの、こころのしずくのあるこの島に、ラティオスとラティアスたちは、しばしば立ち寄るようになりました。」

「この島が邪悪な怪物に襲われることは、その後、二度とありませんでした。」

「「でも、これってただのおとぎ話でしょ?」
「こころのしずくと伝説のポケモン、ラティアスとラティオスは実在しているわ」」

 投稿は、一枚の写真と「私はしばらく連絡を断つ」の短文で終わっている。


生還

 そして二日後、操刷法師は戻ってきた。自ら語るところによれば、操刷法師は失踪していた間、イタリアのヴェネツィアにいたらしい。しかしその証言は支離滅裂であり、所属組織にもヴェネツィア行きの渡航計画は提出されていない。

 帰還後最初に投稿された操刷法師の証言の全文を以下に掲載する。


「帰国した。私がヴェネツィアで見たものについては語らない。それは私以外の者にとっては何の価値もない物語だからだ。しかし代わりに、いくつかの一般論を、これから水の都でラティアスに出会いたいと願う者への指針として提示することはできると思う。」

「だが、その前にまず、「謎の少女、再び(迷宮)」とは何だったのかということについて、あなたは改めて深く考えておかなければならない。私にとっては、揺るがせにできない要素は「迷う」ということ。行き先を定めず、行く手に何があるかも分からないということ。俯瞰しない、できないということ。」

「ヴェネツィアには観光名所も多い。積極的に迷おうと思えば、それらを見ている時間はほとんどない。だが、「明日もある」「また来ればいい」という気持ちでいれば、恐らくラティアスには会えない。一生に一度、一日限りのヴェネツィアで、観光スポットも巡らずひたすら裏路地を走り回る覚悟があるか?」

「ポケモンは心的過程。迷宮を彷徨うとは、自分自身の精神の暗がりに足を踏み入れること。外界の秩序はもはや通用しない、過去も未来も善も悪もない狂気の深海。それを確認したなら、ヴェネツィアで秘密の庭を探すためのささやかなアドバイスをしよう。」

「①ヴェネツィアはアルトマーレではない。即ち、サンタ・ルチア駅を降りればすぐさまアコーディオンの調べがどこからともなく聞こえてきて、あなたをアルトマーレに誘ってくれるわけではない。ヴェネツィアとアルトマーレを繋ぎ、ラティアスを呼び寄せるのはあなたの意志と想像力だ。」

「ヴェネツィアで秘密の庭を探すあなたは受け身であってはならない。これは、先に述べた「迷う」ということと両立する。目の前の水路に路地に煉瓦壁にアルトマーレの煌めきを幻視しつつ、目の前にないもの、例えば曲がり角の向こうや一時間後の未来については一切の予測・打算・疑念を放棄すべし。」

「そのように目の前の今へと感覚を研ぎ澄ませて全力で迷っているうちに、あなたは何か新しい感覚に気付くかもしれない。「こちらへ進むべき」という、内なる何かに導かれているような根拠のない確信に。だが、気付いて醒めることなかれ――その時、ラティアスがあなたを秘密の庭へと案内しているのだ。」

「②ヴェネツィアは人が多い。映画から受ける印象の五倍は人がいると思った方がよい。どれほど細い路地でも大抵観光客がおり、あなたとラティアスだけの(ピカチュウもいるかもしれないが)美しい狂気の世界に没入させてはくれない。これを可能な限り避けるためには、早朝から走り始めるのがよい。」

「今年がそうであるように、ヨーロッパの夏は日本以上の酷暑であり、ヴェネツィアも例外ではない。海からの風も、入り組んだ路地の中までは届かないのだ。だが朝なら少しはマシになる。冬に行くという手もないではないが、日本人なら「夏」という概念の持つ魔力を存分に利用した方がよい。」

「この酷暑の中、ヨーロッパ人は皆半裸に近い格好で歩いており、カノンの服装は逆に地味過ぎて浮く。だが、あなたはショートパンツの金髪女性に目を奪われていてはいけない。煩悩をそっと認め、そして取り合わず、追い抜き走り去るのだ。あなたは即物的な欲求の奥にあるものを追うために来たのだから。」

「③ヴェネツィアでは英語が通じる。イタリア語が分からなくても全く問題はない。水の都を幻想の中に留めておくために断固として行かないという選択はあり得るが、言葉が不安というだけの理由であの美しい街を見ずに死ぬのは愚の極みだ。心配は要らない。ラティアスだって人の言葉は話さないのだから。」

「赤い血潮と限りある命と嘘にまみれた言葉を持つ者が決して見てはならぬはずの場所を、あなたは見つけ出そうとしているのだ。重要なことはただただ狂気。迷うことを躊躇う理由が幾百億あろうとも、人の姿をした人ならぬ者に出会いたいというたった一つの気持ちがあるのなら、あなたは迷いに行くべきだ。」

「もし、ヴェネツィアに行ってもラティアスに出会うことができなかったなら。それでもなお、私はあなたがあの町で過ごす時間には価値があると思う。ヴェネツィアはアルトマーレではないが、アルトマーレを知っている者の目だけに許されたヴェネツィアの思い出がある。」

「腕を広げたほどの幅もない水路の無限の深さを、遠く鐘の音を聞く小径の光と影の狂おしさを、アルトマーレに憧れたあなたは知るだろう。その時あなたは、争いが絶えない世界の中にあっても愛し合い分かち合えることを、夢と幻こそが世界を彩ることを、こころのしずくが実在することを知るだろう。」

「「きおく かすみし ものは こころに きざみつける ことを のぞむ ……」 「すべての ゆめは もうひとつの げんじつ それを わすれることなかれ ……」」


〈以上〉

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