twitterアーカイブ+:ポケモンGOでミュウツーを捕まえた時の話
前編
実は年末に帰省の折、私はポケモンGOでミュウツーを捕獲している。事の次第はこうだ。レイドバトルに明け暮れていた私の母(レベル39)のもとに、ある日EXレイドの招待状が届いた。指定された日時に外せない仕事の入っていた母が目をつけたのは、ちょうどレイドの前日に帰ることになっていた私だった。
【オール・ユー・ニード・イズ・ゴー(前編)】
もちろん、ポケモンの権利運動家である私はポケモンGOを「過渡期の必要悪」とみなしており、自分自身がそれに加担することを良しとしなかったため、「二十年前を忘れるな、ミュウツーからの招待状はヤバい」などと断ったが、電話を切った後にはたと考え直したのである。
――この、人間たちが熱狂して「もう一つの空間」に群がり、しかし未だ「もう一つの種族」との共存は道半ばという境界的時期に、その喜ばしくも悲しい現場を他ならぬ「自己存在の苦悩」であるミュウツーによって教えられるのなら、むしろ私はこの機会を掴んでおくべきなのではないか?
帰省した私はすぐに、母からジムの戦い方とミュウツー捕獲の(風説として流布する)コツを教わった。曰く、バトルメンバーには自動的にバンギラス六匹が選出されること。どうせ多くの参加者がいるため戦闘自体はすぐに終わること。ミュウツーの右手が下がった直後にカーブボールを投げること。
母がEXレイドパスを受け取るのは三回目である。一回目は捕獲に失敗し、二回目は仕事で参加できなかった。今回もダメ元で託すのだが、もし運良く捕獲できた暁には仕送りを弾むと私に言った。私はこれを断固として拒絶した。貴重なポケモンを捕まえて高値で売る。それは、ロケット団のやり口であると。
そしてEXレイド当日、私は母のiPhoneを借りて松山市某所のマクドナルドの一隅に陣取ったのだ。時に西暦二〇一七年、十二月二十五日の夕刻である。
暖房の効いた店内には中年客、屋外の駐輪場には高校生。一様にスマホを見ている。全てミュウツーを狙う者たちである。ポケモンGOを起動すると、そこにはジムがあり、紫色のタマゴが脈動していた。私はかつてミュウツーがマサラタウンのレッドと組んで繰り広げた、デオキシスとの死闘を思い出していた。
レッドは、自らデオキシスにしがみついて動きを封じ、自分ごと相手の急所を撃てとミュウツーに命じた。ミュウツーは上空に残していた念のエネルギーを使い、レッドの反対側からデオキシスのコアを撃ち抜いた。曰く、レッドが戦いの方針を示したのなら、それを最適な方法で実行するのは自分の役割だと。
十七時三十分。タマゴが割れた。私は母に教わった通りにEXレイドパスを投げた。美意識もへったくれもないバンギラス六匹が選出されたが、今は彼らが私のパーティである。割れたタマゴから紫色の影が飛び出した。役者は揃った。私はアイサツした。「ドーモ、ミュウツー=サン。ソーサツ・ホーシです」
【後編へ続く】
後編
【オール・ユー・ニード・イズ・ゴー(後編)】
ミュウツーは声ならぬ挨拶を返したように思われた。バトルが始まった。バンギラスはじしんを放ち、ミュウツーはサイコカッターで応戦した。私はポケモンGOにおけるタイプ相性の計算式を知らない。画面を連打しながら、私はミュウツーに問いかけていた。
お前は何者だ。
どこから来た。
どこへ行く。
一匹目のバンギラスが倒された。二匹目のバンギラスが後を継いだ。そう言えば横スライドで相手の技を避けられると聞いたことがある。私は試みたが、失敗した。このダメージは引き受けるべきものだと思った。ポケモントレーナーの危うさに無自覚な母と、それに与するバンギラスと、今それを使う私が。
だが、もしも私が歴戦のポケモンGOトレーナーだったならば、その技量の全てを尽くすことが礼儀であっただろうと今でも思う。実際には、この場で私が使えるものは母からの断片的なレクチャーと、ポケモンと人間の共生について多少なりとも深めてきた思索だけだった。故に私はそれをミュウツーに問うた。
その頃には既に、ポケモンGOでバトル経験のなかった私も、右上のゲージがミュウツーの体力を示すのだと理解し始めていた。それは無慈悲に減り続けていた。二十匹のバンギラスが一匹のミュウツーを囲んで袋叩きにしていた。私の知るポケモンバトルでは在り得ぬ、異様な光景だった。
「私たちが今している事は何だ! お前は何故ここにいる! 何がお前をここに連れてきた! 答えろ、ミュウツー!!」
ミュウツーは力なく目を閉じた。二匹目のバンギラスが倒される前に、ミュウツー戦とは思えぬ短さで、悲痛な戦闘は終わった。経験値のつもりなのだろうか、何者かの手でプレミアボールが配られた。店内の緊張の質が変わった。一体感の高揚から、敵愾心を含んだ焦りへと。捕獲のフェイズが始まった。
さて、今目の前にいるミュウツーは、これまで二十人がかりで戦っていたミュウツーと同一個体なのだろうか? 同一だという確信が私にはある。ならば、他の客どもが捕まえようとしているミュウツーも、私の前にいるミュウツーと同一個体だろうか。これは少々込み入った問題だ。
これらのミュウツーは、確かにその由来を辿れば一匹のミュウツーに行き着く。我々が戦っていた個体だ。しかし今、その個体はそれぞれのユーザーの個別の経験として、いわば分裂した状態で姿を見せている。捕獲された後は当然、別々のポケモンとして別々の歴史を歩むだろう。もはや同一ではあるまい。
私は神道で言う分霊の概念を想起した。神霊は分割することができる。新しくできた神霊は元と同じ力を持ち、元の力が損なわれることもない。だが、ここで問題となるのは、分霊後の両者は同一と呼べるかどうか、という点だ。私は、それはデータを同期する間隔によると思う。ともあれ、今はミュウツーだ。
私はボールを構えた。ボールを投げる瞬間が、人と野生ポケモンが直接対峙する唯一の局面である。ミュウツーが右手を下げた。私は母に教わった通り、手元でボールを回し、投げた。ボールはヘタった弧を描いて飛び、ミュウツーの遥か手前に落ちた。いいだろう。ミュウツー戦とはそういうものだ。
私は次のボールを構えた。ボールを回し、投げた。回し、投げた。回し、投げた。ボールはあらぬ方向に飛び、落ちた。そうだろうな、と思った。技量のせいではない。今、私はミュウツーと真に対峙していない。ボールを回して、タイミング良く投げるのが、ポケモンとの真剣勝負か? そうではあるまい。
私はボールを構えた。ミュウツーに重なって同心円状のターゲットが表示されたが、私はそれを見なかった。ただ真っ直ぐ、ミュウツーに当たるように投げた。ボールは静謐な無回転を伴って画面の中央を飛んだ。ボールは当たった。そのとき、ミュウツーは右手を前に構えていた。まるで、私に挑むように。
開いたボールから光が噴出し、ミュウツーをその中に捉えた。ミュウツーを吸い込んだボールは地を跳ねた。私は私の持つ唯一にして最強の武器、二十年慣れ親しんだ気休めのまじないに賭けた。即ち、ボールの揺れに合わせて、画面を三度打ったのだった。
ボールの薄皮を隔てて、二者の視線が交錯した。人は声なき声でポケモンに告げた。「――お前が人間と共に歩む気があるのなら、入れ。お前がお前を生み出した人間を疎むのなら、去れ――」この世で最強のポケモンは黙して語らなかった。ボールは動きを止めた。宇宙の全てが鼓動を止めたようだった。
人は、しばらくそうしていた。店のガラス窓に、放心した顔が映っていた。人はやおら頭をもたげ、ポテトの残りと冷めたアップルパイを猛然と平らげると、空になったトレーに静かに手を合わせた。騒がしさの戻り始める店内を後にして見上げた先には、紫色の夜が広がっていた。
……私は母にiPhoneを手渡した。ミュウツーを捕獲した後そのままの画面を見て、母は大いに礼を言った。この手柄は親孝行であるらしかった。「……大事にしろ」そう言って私は自室に戻った。今までの夢と冒険の旅の思い出が浮かんでは消えた。ラティアスの夢を見た。
ミュウツーは最後まで明確な答えを返さなかった。私は、ミュウツーにも分からなかったのだと思う。故にこそ、人の近くにあって人とポケモンの共存の行く末を見届けようとしたのではないか。そう好意的に解釈している。何故なら、私にもまた明確な答えが分からなかったから。
後日、実家から仕送りの振り込みがあった。常の生活費と帰省の船代に加えて、僅かに色がついていた。私はそれを使って、父から借りていて今般返した3DSの代わりに、中古の3DSを新たに買った。次なる夢と冒険のために。人とポケモンの共存の行く末を、この目で見届けるために。
【オール・ユー・ニード・イズ・ゴー】終わり
――この道は、もう一度彼女へと続く道。
〈以上〉