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ただいま、うーちゃん。<夫婦世界一周紀 あとがき>

まさか100日ぶりに口にする日本食が「しゃぶ葉」だとは思いもしなかった。水菜に長ネギ、しいたけにえのき、カレーもあれば、お麩まである。しゃぶ葉なら日本で食べたいと思っていたものが一通り食べられてしまう。

わくわくしながら和風だしに浸した水菜を食べて、はたと、微妙な違和感を感じ取った。

なんだか、口がもやもやするのだ。

もわん、もやもや、かゆい感じ。それが化学調味料で作られた旨味によるものだということに気づいたのはもう少し先だったが、日本のご飯たちに感じたのはまずそのもやもや感と、味の薄さだった。

薄さというのも、塩分の濃淡ではない。野菜本来が持っている力強さとか、味そのものが圧倒的に薄いのだ。

悪態をついて食べていたニウエの馬鹿高いキャベツでさえも、味が濃くて美味しかった。そのことに感じられるだけの各国の野菜を僕たちは食べてきたということだ。旅の知識が自分の視点を変えていて、なんだか嬉しかった。

うーちゃんが入った骨壷との対面が迫っていた。

僕たちは世界一周と同じくらい、旅から帰ってきてうーちゃんに会うことを楽しみにしていた。形は変われど、うーちゃんの骨は確かにそこにあって、僕たちの帰りを待っているはずだ。

今生の別れを一人で受け止めるのは辛い。でも、妻と悲しみを共有できれば、悲しみをその嬉しさが中和してくれる。人生は、たいていはそんなバランスによって生かされている。悲しいことが起こった時にはその悲しさをめいいっぱい享受したいし、目線を広げようなんていう気にはなれないけれど、きっと支えてくれる人がいなかったりしたら、悲しみはそれどころでは済まないのかもしれない。

うーちゃんの骨壷は豆柴がすっぽり入るくらい大きくて、その壺はまるでうーちゃんが丸まったようにずしりと重かった。二人で部屋に入り、そっと骨壷の蓋を開け、うーちゃんを見つめた。

一目でうーちゃんとわかるようなくちばしがあって、そっと手に取り、匂いを嗅いだ。

うーちゃんのふかふか、むわったした匂いはなくて、かさかさした乾いた匂いがするだけだった。

羽もなければでっぷりしたお尻もなくて、出発前のうーちゃんの見る影もない。

でも、それはしっかりうーちゃんだった。

声はしなくとも、僕とフウロにはそのくちばしがおかえり、と鳴いてくれている気がした。

涙は流れなかった。僕もフウロも、にこやかな気持ちだった。

タイで買ったうーちゃんのお土産の小さな藁帽子を、頭の骨にちょこんと載せて、骨壷の蓋を閉じた。

まだ僕たちは帰宅していない。自宅に戻ったその時が、本当の旅の終わりだ。


・・・


数ヶ月に一度両親が家の周りを掃除してくれていたおかげで、自宅は綺麗だった。部屋の中に入ってもゴキブリ1匹いない。夏の蒸した香りはどこかにいって、懐かしい冬の木の匂いと、おばあちゃんの家のような懐かしい匂いがこもっていた。

フウロの両親と別れ、うーちゃんを抱きしめながら深呼吸した。

ようやくただいまだ。

時計の電池が切れていて、部屋にはピーンと沈黙の音が聞こえていた。こんな場所は世界のどこにもなかった。我が家はなんて静かで、落ち着く空気が流れているんだろう。

夏の間に漬けておいた味噌を取り出すと、表面は少しだけカビていたが、中身はしっかり熟成していた。

できたての味噌を使って、味噌汁を作ることにした。

フウロのおばあちゃんからもらった無農薬の大根と、自家製の味噌で使った味噌汁を、漆塗りのお椀でいただく。

その一つ一つが儀式のようで、大事に、丁寧に、ゆっくり調理して、体全体に染み渡らせるように飲んだ。

自分で作った味噌には、もやもやはなかった。そうそう、これが本物だ。

肩に力が入っていたことに気が付いて、ふっと一息つくと眠たくなってしまった。

愛用のマットレスは蒸れを一切感じず、横倒しにしたらすぐに使えそうだった。

ごろっと横になると、障子が日の光に照らされぼんやりと輝いているのが見えた。

目に入る色が全て淡い。焦げ茶色、藍色、乳白色。ここは中間色の国だ。

ベッドは体を柔らかく受け止めて、どんどん沈んでいくようだった。

旅の終盤、僕は毎日のようにうなされて起きた。大きなクモが出てくる夢もあったし、よだれを垂らした犬に追いかけられる夢もあった。総じて大悪夢だ。

大丈夫と思い聞かせてきたものが、どれだけの負担だったのかを思いしらされた。

僕は全然大丈夫じゃなくて、世界一周は楽しいのと同じくらいとっても怖くて、世界中で集めた嬉しさと同じくらい、とっても悲しい旅行だった。

でも、しっかり終わったのだ。

望んだ人生の夢を叶えて、無事帰ってきたのだ。

後悔はない。横に寝転がったフウロに手を置き、ゆっくり目をつぶった。

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外に出ることが出来ない今、旅をできること自体に価値が生まれつつあります。僕たちが見てまわった世界はもうないかもしれないけれど、僕らが家にいる時にも世界は存在していて、今日もトゥヴァだってニウエだってある。いつか全てが終わった時に、あそこに行きたいと思ってくれる人が一人でも増えたらいいなと思って、価格を改訂しました。 無料で公開したかったのですが有料マガジンを変更することが出来なかったので、最安値の100円に設定しています。

2018年8月19日から12月9日までの114日間。 5大陸11カ国を巡る夫婦世界一周旅行。 その日、何を思っていたかを一年後に毎日連載し…

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