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Blurと先輩 《音楽とエッセイVol.1》
なんでみんなには、先輩がいるのだろう。
小学生のときからずっとそうだった。いつのまにか友達には「この人といったらこの先輩とセット」みたいなバディが組まれていて、僕はといえば、だれかのことを先輩と呼べると思う人はいなかった。もちろん周りにはやさしい人はいて、先輩と呼んだら応えてくれそうな人もいたけれど、バディと呼べるほどがっちり組み合った人はたぶんいない。
僕が人見知りだとか、趣味が合う人がいなかったとか、それっぽい理由は並べられるけど、ただたんに男性が苦手だったのだと思う。男はけっこう、男が苦手なものなのだと思う。
僕が素直に心のうちを打ち明けられた人といえば、たいていお姉さまが思い浮かぶ。批判されるとすぐ凹むし、弟気質の僕は、男性のもつギラギラした感じとか、みんなで肩組んでおっしゃー!みたいなのに、性を合わせることができなかった。
その苦手意識を引きずりながら大学に入ると、大学は2年毎にキャンパスが変わる仕組みだった。サークルに入っていなかった僕には上級生と接する機会が極端に少なかった。
会社員時代は通勤時間が長過ぎて先輩をつくるどころではなかった。そんなこんなで結局ゼロ先輩のままここまできてしまったのだった。
・・・
そんな僕が先輩っぽい人に出会ったのは、2015年の夏のことだった。
はじめて見学した花火の現場に、その人はいた。長髪でヒゲをはやし、いつもキャップを後ろ向きに被っている、大きな背中が印象的な人だった。
その人は40代前後だった。僕とフウロはひそかに、この世代の人たちのことを「黄金世代」と呼んでいる。ベビーブームで人口の多いこの世代は、時代背景的に多様性に満ちているのか、やたら面白い人が多いのだ。
僕とフウロが面白いと思っていることを全力でぶつけても、受け止めるだけの多様性と歴史の歩みがある大人が多い。これが30代だと面白いと思う感覚が少しずれるし、50代だと時代が違う感がでてくる。
その人は僕と同じ美大の出身だった。そして、プロミュージシャンを目指していたほどの音楽好きだった。日本画家になることを目指してNYに売り込みに行ったこともある。車のトランクにはいつもスケボーの板と専用の靴が入っていた。
ひとつひとつのエピソードが僕にとっては新鮮だった。
時代の違いが良いように作用して、僕の知識の空白地帯を埋めてくれるような感じがした。
いつしかその人のが心の中で先輩のポジションに収まり、花火の仕事が始まってからは一層話すようになった。
「草作くんはさ、メメントモリって知ってる?」
あるとき、先輩は言った。
「僕は、人生は50年で終わると思ってる。だから、今できることを逆算して生きてるんだよ。時間はあっという間に過ぎていくからね」
こういう真面目な話をできるところも好きだった。そして、色黒でかなりの強面なのに、笑うとずっと可愛い顔になる先輩のことを、僕はフウロに「母性をくすぐる人ってああいう人なんじゃないの?」と言っていた。
・・・
先輩は、いろんなものをくれた。
花火の仕事をするようになって、誕生日の日にいつものように車で職場に行くと、眠そうな顔の先輩がこちらに歩いてくる。
はいこれ。と言って渡してくれたのは、ギネスビールの4缶セットだった。「冷蔵庫から出して1時間くらいたった時が飲み頃だからね」と一言添えて。
ちょうど数日前にビール談義をしていて、ギネスが最高と言ったことを覚えてくれていたのだ。
僕にとってギネスは最高級品だ。エビスビールとさほど値段は変わらないのに、海外のビールだからか心の敷居が高くて1缶買うだけでも恐れ多い。そんなギネスビールを4缶手に入れた時のあの感動たるや。もう二度と味わえないと思う。
机の前には、机と同じくらいの高さのコンガが置いてある。最近カホンにハマっていまして、と話していると、いらないコンガがあると言う。いらないコンガってなかなか聞かない語感だ。持ってきてくれたコンガは思い描くコンガそのものだった。
ペンケースには花火の仕事で便利だといって買ってくれた4色ボールペンが刺さっている。
パチンコで勝った翌日には、カップ麺をプレゼントしてくれたこともあった。
先輩がくれたものは、物だけではなかった。
ある日、僕と先輩は花火の仕込みをしながら、これからの人生のことを話していた。
僕が本を作っていること。休憩中に車にこもって執筆作業に勤しんでいること。自分が抱えている不安や、将来の悩みをぽつり、ぽつりと思い出したように話し、それをすべて聞き終えたあと、先輩はさらりと、
「まあ、草作くんならきっと大丈夫だと思うけどね」
と言った。
その言葉は、さらりとしていたけど、すごくどっしりもしていて、適当に言った言葉ではないことはすぐにわかった。
兄とふたりで沖縄に旅行した時に「草作はフウロさんと結婚すると思うけどね」と言われたときと同じ衝撃だった。
言われた人によっては、「なにがわかる」と思うことだってあったかもしれない。でも、その大丈夫には、不安な気持ちを払拭してくれるような確固たる強さがあって、先輩が歩んできた人生の重みがあって、そのとき僕が一番欲しかった言葉だったのだ。
・・・
職場に行く最後の日。僕は緊張していた。
僕は先輩に出会ってから、与えてもらいっぱなしだ。何も返せていないのに、恩も物ももらうだけもらって、この場を去らねばならないのか。
叱責させるのではないかと怖かった。
先輩は僕の顔を見るなり、優しい笑顔を浮かべて、久しぶりと言った。
その笑顔にはあの日、「大丈夫」と言われたのと同じようなやさしさがあって、僕はほっとした。
先輩は「草作くんが作った『引銀乱錦時計草』をこれからも仕込むよ」と言い、先輩はケースに小さな傷がついている2枚のCDを僕に手渡した。
「俺が20歳の時に聴いてたCDを貸してあげるよ」
BlurのPARKLIFEと、suedeだった。
先輩が日本画を勉強し、バンド活動に打ち込んだ時代が詰まっているCD。
「今聴いてみると、ベースが丁寧に弾いているなっていう印象なんだよね。あの時は気がつかなかったなあ」
なんて言っている横で、僕は泣きたいような嬉しいような気持ちになった。
先輩とは、大切なものを与えてくれる存在なのだ。
僕が与えられるかどうかで先輩は先輩になるのではないのだと思った。
きっとこの恩なんて、一生かかっても返せないにちがいない。そのことに後ろめたさを感じるよりも、その想いを少しでも感じて、心に留めておこうと思った。
・・・
家に帰って、Blurを聴いた。
幾度となく名前は聞いたことがあったけど、僕もフウロもちゃんと聴いたことがないバンドだった。
不思議なメロディーが絶妙に絡まって、心地いい気分にさせてくれる曲がたくさん入っていた。
PARKLIFEには、くるりの要素がいっぱい入っていた。メロディーも、ギターのうねりも、どこかで聴いたことがあると思う音ばかりで、ここに原点があったのかと不思議な気持ちになった。
suedeも悪くはなかったけど、今の僕にはBlurだった。
なんかよくわからないけれど、優しくて、前向きな気持ちにさせてくれる。
与えてくれる存在。それは、僕にとっての先輩そのものだった。
今日も僕はBlurを聴く。
end of centuryが流れて、僕に伝える。
We all say, dont want to be alone.
先輩が言ってくれたこと。一人になろうとするなと。
先輩は話さなくても、そばにいなくても、ここにいて、ずっといる。