【連載】古賀及子「おかわりは急に嫌 私と『富士日記』」③
いま日記シーンで注目の書き手である古賀及子さんによる、これからの読者のための『富士日記』への入り口。戦後日記文学の白眉とも称される武田百合子『富士日記』のきらめく一節を味読しながら、そこから枝分かれするように生まれてくる著者自身の日記的時間をつづります。
▼武田百合子著『富士日記』
夫で作家の武田泰淳と過ごした富士山麓、山梨県鳴沢村の山荘での13年間のくらしを記録した日記。昭和39年(1964年)から昭和51年(1976年)まで。単行本は上下巻で中央公論社より1977年に刊行、2019年に中公文庫より新版として上中下巻が刊行されている。
日付があって、その日に食べたもの、買ったもの、人から聞いたことや行動が記される。『富士日記』は私たちのイメージする日記そのものだ。
読むと、淡々と綴られる詳細な記録としての暮しのさまから、人というもの全体の雰囲気がどうしようもなく立ち上がってくる。ちょっとふつうの日記とは様子が違うようだぞと感じるころにはもう、文学としての豊かさを手渡されている。
どういう秘密があるのか。研究して論じることは私には難しいから、『富士日記』の世界に自分のかつて見た景色を重ねてみるのはどうかと考えた。
日記のある一文から発想し、記憶をたぐって私も書くのだ。
同じようには書けない。でも同じ人間だから、下手でも呼吸ならできる。
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誰かの家はあいまい
日のすぎるさまを文章でとらえる、その手つきのあざやかさから、シーンがありありと目に浮かぶ。『富士日記』を読んでいると何度も経験することで、とくに興奮するのは、そのあざやかさを曖昧が阻害しないことだ。
ナポレオンがウイスキーだかブランデーだかが不明であり、川えびをむいてすり身にしてパンにつけたよく分からない食べ物がおいしそう。スイスの知らない鍋が出てくる。
人の家では、状況の理解が自分の家にくらべて半分以下になる。どこに何があるのか分からないし、一般的なものでない限りそれが何なのかも知らない。
これから何が行われるのか起こるのかも家主が握るわけで、客人としては正確には予想できない。過ごすうちに少しずつ少しずつ、状況に対する解像度を上げることになる。
その曖昧を、しかし素直に活写するとこんなにもあざやかなのだ。わからなさのなかの食事があまりに魅力的にうつる。
子どもたちがまだ小さかったころ、保育園の友人家族がよく家に来た。店に入れば子どもがどうしても盛り上がって騒ぐし、飽きてごねれば解散するしかない。親同士ゆっくりするには誰かの家に集まるのが一番らくだった。
恐ろしく狭いのに慣れさえしてくれたら、あとはとくべつ珍しいもののない家だから、お客たちはすぐになじんで気楽に過ごしてくれているように見えた。
それでもどうしても多くの友人がなかなか理解できずにいたのが台所の水道のレバーで、住んでいる者にとってはまったく難しいことではないのだけど、よその人がレバーを押すとほぼ確実に強い水圧で水が出てシンクで跳ね返って服がずぶぬれになる。
レバーは前の居住者が使っていたまま引き継いだものだからかなり古い。先端にあったはずの器具がひとつ失われたままらしく、100円ショップで買ったらしいノズルが針金でくくりつけられていたから、私たちもこれを正当に後継してノズルが古くなるとまったく同じノズルを駅前の100円ショップで調達して付け替えた。
一度ずぶぬれになるとその日は学習してやわらかくレバーを押せるようになるのだけど、次来ると誰もが忘れてまたずぶぬれになった。
子どもを連れてこちらから誰かのお宅に遊びに行くと、今度は私にとって景色が曖昧になる。トイレのスリッパを履いて出たまますごしたことも多分3回くらいあるから、人の家に行ってついやる、これは普遍的な行動なのだ。
ナポレオンを飲んだら濃すぎて空腹になる、このたまらない飲酒体験も、よその家だからこその、地に足のつきそびれた感覚ではないか。
武田家と大岡家の気の置けない間柄は『富士日記』全体から伝わって読者にとってはご褒美みたいにしびれる。それくらい慣れた関係性でも、自宅で飲む酒と、人の家で飲む酒は別のものとして体に入ってくるのかもしれない。脳は緊張した状態で、胃壁からじわじわ麻痺してくる、良しあしではないただ純粋に妙な感じがする酒の味には覚えがある。
娘が最近、テレビアニメの食事のシーンで、レストランでもないのに食卓のカトラリーに紙を敷いている様子を見て驚いていた。
「こんな家あるの……!?」
「アニメだからおしゃれに描いているのだと思うけど……でもこういう家もあるとは思う」
「すごいね……」
それで、うちでも誰かの家のように、ぜひスプーンの下に紙を敷いてみたいと、娘は水道のレバーにつけるノズルを買っているのと同じ駅前の100円ショップで紙ナプキンを見つけて買ってきた。
夕食をカレーにして、スプーンの下に敷く。ふざけているみたいになった。
昭和がめちゃくちゃ
昭和という時代がいかにめちゃくちゃだったかを、令和の世から嚙み締められるのも、この本の魅力のひとつだ。子どもに対し、教育するでもなくハシゴを隠す方法で侵入を防ごうとするのはほとんど動物対策で、まさかここにコミカルが宿るのかとつい笑う。
とはいえ、めちゃくちゃだと思うのはいま読んでいる私が令和の世にいるからでしかない。めちゃくちゃだと感じる方の選択肢が発生したからそう思うのであり、当時は、「子どもというのはそういうもの」くらいの感覚一択だったのだろう。
『富士日記』は昭和39年から51年にかけて書かれた。私はそのあと昭和54年に生まれて、おおむね昭和50年代の後半くらいからうすぼんやりと自我を持って世の中を見はじめた。昭和のラスト10年はそれなりに私にとっては自分事の時代だから、めちゃくちゃな昭和にも身に覚えがある。
小学校低学年のころ、父と妹と車で出かけた帰り、カーラジオで日食のニュースが流れた。すると、これはと思ったらしい父がマンションの駐車場に帰り着いたところで車のドアガラスをめりめり外した。ライターであぶってすすをつけ、「太陽にかざしてごらん、日食が見られるよ」と私に渡してくれたのだ。
観察したはずの日食のようすはまったく覚えていない。けれど、車のドアガラスを外すのも(いま思えばどうやったんだ)、ガラスにすすを付けるのも、日常的なことではなかったからはっきり記憶にある。
大人になって子を持ってから、あの頃の父と同じように、私も自分の子に話題の日食を見せたいものだと、観察方法を検索した。それで知ったのが、太陽を見上げる際は必ず専用の日食グラスを使わねばならないということだった。そうでないとてきめんに目を傷めるという。してはいけない観察方法の一覧にばっちり「すすをつけたガラス板を使う」が入っているのを見て、笑えないが笑うしかなく笑った。これぞ、昭和の雑然だ。
山の別荘地でやりたい放題するような発散的なばんからは私にとっては身近ではなかったけれど、もっとミクロな部分でも、子どもは今にくらべてずっと向こう見ずだったように思う。
少なくない子どもが、誤って、または面白がってわざと刺すことによって鉛筆の芯を体内に取り込んでいたのは、あれは昭和の記憶ではないか。授業中にひまつぶしにカッターで手のひらを切りつけたところしっかりと傷になって、両手のひらに血をいっぱいにしてうろたえていた子もいた。
2000年代に入ってから子どもをふたりもうけたが、彼らが小学生のころ、彼ら自身にも友人にもそういった怪我をした話は聞いたことがない。授業参観で学校に行っても、机に玉にした消しかすをゴルフボールに見立てて沈めるための穴を開けたり、好きな曲の歌詞を彫刻刀で刻むようすすら、思えば見なかった。
今では厳しく罰せられる犯罪や倫理的に考えられないハラスメント、さまざまなネガティブが昭和のころにはまだまだカジュアルに近くにあって、いまはいろいろ、ずいぶんましになった。それと同時に、父が渡してくれたすすのガラスのような、よかれと思っての間違いや、決定的に因果の感覚がない子どもたちの意識、多くのめちゃくちゃが、ずいぶんと整理されたのだ。
日食の日、子どもたちのために日食グラスをネットで取り寄せた。目にかざす息子は、なんだか未来の人みたいだった。
古賀及子(こが ちかこ)
ライター、エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)。
【連載・執筆】デイリーポータルZ|北欧、暮らしの道具店|シカクのひみつマガジン
【ポッドキャスト】古賀・ブルボンの採用ラジオ
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次回は5月8日ごろ更新予定です
見出し画像デザイン:鈴木千佳子
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