【連載】古賀及子「おかわりは急に嫌 私と『富士日記』」④
いま日記シーンで注目の書き手である古賀及子さんによる、これからの読者のための『富士日記』への入り口。戦後日記文学の白眉とも称される武田百合子『富士日記』のきらめく一節を味読しながら、そこから枝分かれするように生まれてくる著者自身の日記的時間をつづります。
▼武田百合子著『富士日記』
夫で作家の武田泰淳と過ごした富士山麓、山梨県鳴沢村の山荘での13年間のくらしを記録した日記。昭和39年(1964年)から昭和51年(1976年)まで。単行本は上下巻で中央公論社より1977年に刊行、2019年に中公文庫より新版として上中下巻が刊行されている。
日付があって、その日に食べたもの、買ったもの、人から聞いたことや行動が記される。『富士日記』は私たちのイメージする日記そのものだ。
読むと、淡々と綴られる詳細な記録としての暮しのさまから、人というもの全体の雰囲気がどうしようもなく立ち上がってくる。ちょっとふつうの日記とは様子が違うようだぞと感じるころにはもう、文学としての豊かさを手渡されている。
どういう秘密があるのか。研究して論じることは私には難しいから、『富士日記』の世界に自分のかつて見た景色を重ねてみるのはどうかと考えた。
日記のある一文から発想し、記憶をたぐって私も書くのだ。
同じようには書けない。でも同じ人間だから、下手でも呼吸ならできる。
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人が死んだのか
『富士日記』ではいっとき武田家の身近なひとたちが立て続けに亡くなるようすが書かれる。並行して、ニュースで知った水難事故や交通事故の記録をとる文章もあって、こう言ってしまうと軽薄だが実際として、読んでいるとよく人が死ぬ。
山ですごす、静かで隔離的な日々の暮らしのすぐそばに死の予感があって、「至急、電話口に」という連絡に人が死んだのではないかと疑う一文は小気味よくもひどく現実的だ。
祖母が死んだ知らせを受けたのは目を覚ます前の朝だった。
その数か月前に、介護者である母から、寝て起きてはしているけれどそれにしてもあまりにも食べられていない、お医者もとくにできることがないと言っており、もしかしたらそろそろかもしれないと伝えられていた。
祖母が疲れない程度にあいだをあけて少しずつ子や孫、ひ孫が施設の看護ルームで休む祖母を見舞った。私も行って手を取った。祖母は明らかに老衰し体が自由には動かないようで、でもゆるく起こした上半身でテレビの画面を眺めてとらえて、流れたCMの演出を「不思議な映像ね」と言ったのだった。
家で掃除機をかける女性が、おそらくピアノ線のような見えないワイヤーで吊るされて宙に浮くように映されたものだった。
だいたい覚悟はできていたから、着信した電話番号が父母とともに実家に住んでいる妹の番号だったのを見て、もうなんとなく、ああ祖母が旅だったのだとわかった。
早朝の電話の訃報の経験はその一度きりなのに、以後は誰かから朝早くに電話がくると人が死んだのではないかと思う。先日朝食を食べていたら母から電話があってぎくりとしたが、夏休みの予定の問い合わせだった。
大人はいつもほんの少し、誰かが死んだのかもしれないと思う気持ちを抱えている。
食べたもの、買ったものが忘れず記録されているのは『富士日記』の大いなる魅力であり、私などはたまに寝る前にその箇所だけをつまんで読む遊びをするくらいなのだけど、ToDoリストもまた味わい深い。
ここでは酒屋にお酒を取りに行くことと、ストーブの芯を取りかえるという、私には聞いたことのない用事が書いてある。炊事、掃除、洗濯だけではない、名前のつかない細かい仕事の総体が家事であるとはよく言われるが、このToDoはまさにそれそのものだ。
名前のつかない家事というのは不憫だ。請け負う本人がそもそもそれを仕事と認識しておらず、対応してしまえば本人も家族もその作業のことをすっかり忘れて、そこになにか労力があったわけではなく、静かになにごともなかったかのように正常な生活の営みがあらわれる。
名前をわざわざ付けなくても、せめて書くことで見えない家事の姿をあらわしておくことは、人間のためかもしれない。
明日忘れずにすること。
・だましだまし使っているワイヤレスマウスの電池をいいかげん取りかえること。
・駅前のスポーツ用品店に注文した娘の体操着を取りに行くこと。
・近所のスーパーでネットスーパーをはじめるらしい、手数料など詳しく調べること。
道は生命が運ばれる
赤坂の自宅から車で山荘へ移動しすごす。おおむねその期間のみを記した作品だ。それがどう普通の日記と違う風情をうむのかといえば多岐にわたるのだけど、行動の実際として山荘までのドライブの様子が多く描かれ、大きな特色となっている。
出発と帰着が繰り返す。同じ登場人物と同じ舞台の、しかし違う物語が始まっては終わる、続く人生が細かくパッケージされて届くように感じられ、ありがたみのような感触が湧く。
行きの様子は饒舌に語られ、帰りはたんぱくなことが多い。出立してしまえばそこからはもう気分として山荘の生活で、山荘を後にして車に乗り込めばすでに自宅の生活と地続きの感覚だということなんじゃないか。
「帰るまでが遠足です」と、わざわざ先生が言うのは、実は帰る前にはもう遠足が終わっていることを全員が薄々気づいているからだ。旅の気分は一定ではない。そんな「気分」のはじまりと、ゆるやかな終わりがドライブを通じて感じ取れる。
描かれるのは高速道路やドライブインでのエピソードや、運転そのものの様子だ。ニュース記事からよく交通事故がピックアップし記されるのも自動車移動が山荘での暮らしに切実に密であることによるものだろう。
道路を、殺した鶏を運ぶ自転車が通る。大きな道路を走っていると、生命が運ばれるのを見る。
実家の両親が、戦後祖父が長野の山に建てた山荘を継いだ。子どもの頃は冬休みと夏休みの年に2度、神奈川県の実家から父の運転で6時間かけて長野県へ走った。高速道路でまれに、荷台にぱんぱんに豚や牛を積んだトラックと並走することがあった。
ぶら下げた鶏がゆれてじゃまで漕ぎあぐねる自転車とは違い豚や牛を運ぶトラックの運転はスムーズで、私もきょうだいも親も、誰も窓の外の動物を珍しい景色ととらえて何か感想を言うようなことはなく、ただ見た。
トラックの運転手がかまって窓越しにじゃんけんをしてくれたり、乗用車から窓の外を見る大型犬に手を振ったり、シャボン玉を外に向けて飛ばす子どもを羨ましがったり、並走の車は子どもには楽しいことばかりだった。豚や牛だけがなにか気まずい。
道中で「へそまん」を買って食べる様子は引用の他に何度も出てくる。大月や談合坂のあたりで買っているようすだ。
『富士日記』はそもそも公開するつもりなく書かれたものだから、基本的に読者に対して取り上げる物事についてわざわざ説明する様子がない。その手つきは、公開前提であってもなくても一般的な日記文学独特の気分で、実は日記らしさを支えるいち要素でもある。
「へそまん」も、それが何かは語られない。まんじゅうだろうなとは思う。想像するに中央がくぼんでへそのように見えるまんじゅうなんじゃないか。名前がユーモラスだから、何だろうそれはと思うこと自体がおかしくて登場するたびにちょっとうれしい。
埼玉県の飯能市、かつて私が家族で暮らした家の近くに「四里餅」という銘菓があった。しりもち、と読むから「尻もちをつく」の印象がずっとあった(実際、尻もちも由来に関係はしているそう)。尻と臍でつながって、へそまんが出てくるとこの四里餅を思い出す。
四里餅はやわらかい小判型のおもちの中に餡が入ったお菓子だ。構成としては大福と変わらないのだけど、小判の形を厚みなく平べったく成型することで大福とは一線を画した風情と味わいが担保されおもむき深い。県道70号、飯能下名栗線というこれぞ田舎の車道といった様子のぎりぎり2車線のロードサイドに店舗がある。小判型の向きに沿って焼印が押された方が粒あんで、横に焼き印が押されたのはこしあんというのが特徴だ。人気の品らしく、夕方には売り切れてしまうことも多く何度か行って買えなかったこともあった。
へそまんは、買った後でふかして食べる様子が出てくるけれど、まんじゅう自体についてはとくに言及されない。売る店は、そもそもはへそまんを売る専門のお菓子屋のように読める。ついでに植木の株や盆栽を売ったり、食堂があって馬賊鍋(なんだろうなそれは)を食べさせはじめたとも書かれていて、旺盛に商売をしているのが頼もしい。
古賀及子(こが ちかこ)
ライター、エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)。
【連載・執筆】デイリーポータルZ|北欧、暮らしの道具店|シカクのひみつマガジン
【ポッドキャスト】古賀・ブルボンの採用ラジオ
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