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【連載】古賀及子「おかわりは急に嫌 私と『富士日記』」⑩
いま日記シーンで注目の書き手である古賀及子さんによる、これからの読者のための『富士日記』への入り口。戦後日記文学の白眉とも称される武田百合子『富士日記』のきらめく一節を味読しながら、そこから枝分かれするように生まれてくる著者自身の日記的時間をつづります。
▼武田百合子著『富士日記』
夫で作家の武田泰淳と過ごした富士山麓、山梨県鳴沢村の山荘での13年間のくらしを記録した日記。昭和39年(1964年)から昭和51年(1976年)まで。単行本は上下巻で中央公論社より1977年に刊行、2019年に中公文庫より新版として上中下巻が刊行されている。
日付があって、その日に食べたもの、買ったもの、人から聞いたことや行動が記される。『富士日記』は私たちのイメージする日記そのものだ。
読むと、淡々と綴られる詳細な記録としての暮しのさまから、人というもの全体の雰囲気がどうしようもなく立ち上がってくる。ちょっとふつうの日記とは様子が違うようだぞと感じるころにはもう、文学としての豊かさを手渡されている。
どういう秘密があるのか。研究して論じることは私には難しいから、『富士日記』の世界に自分のかつて見た景色を重ねてみるのはどうかと考えた。
日記のある一文から発想し、記憶をたぐって私も書くのだ。
同じようには書けない。でも同じ人間だから、下手でも呼吸ならできる。
✽ ✽ ✽
トンネルを走るお風呂
〔昭和四十四年〕五月八日 晴
〔中略〕中央道をすれちがう車の窓硝子や車体の照り返しがキラキラと眩しく痛い。もう夏である。いくつかのトンネルに入り、トンネルの中に続いて灯っているみかん色の灯を浴びると、私はお風呂に入っている感じがする。主人は外国にいる感じがすると言う。私は、少し病気のところがあるときに、お風呂にじっと入っている感じがする。
この人は、「トンネルの中に続いて灯っているみかん色の灯を浴びると、私はお風呂に入っている感じがする」のだ。
どうだ! と思う。すごいだろう! 自分が書いたわけでもないのに、ドヤ! と、感性が心強く頼もしく補強される気分だ。読むたびに背中をぐんと押してもらうように奮う。
トンネルの中に続いて灯る灯がみかん色であることは、だれもにほんのちょっと思うところがあるんじゃないか。高速道路の無骨なトンネルにあって独特にあたたかく、前に向かって速く走る車に置いていかれるように、ひとつひとつの灯りがリズミカルに後ろに流れるあのさま。
それにしても、お風呂に入っている感じがしてしまうのはすごい。「病気のところがあるとき」というのは閉じた内向的な気分で、自家用車というもののプライベートな個室性をこれ以上なく表しているように思う。
トンネルはどこか温かい。みかん色にはぬくもりがあるし、狭い自家用車がさらに狭いトンネルに覆われるさまにも閉じ込められてぬるい空気を感じる。お風呂が走り抜けていく。
大人になってから、ずっと車を持たずに生活してきた。運転免許取得以来1回しか運転しないままなんと25年が経ってしまった、本物のペーパードライバーだ。レンタカーを運転するようなこともない。子どもの頃は家に車があって、父が運転してあちこち連れて行ってくれたから、自家用車には小さな子どもとして乗車したままの気分が今もずっとある。
夏と冬には家族で神奈川の自宅から長野に行った。短いトンネルはあっけなくてつまらないけれど、走っても走っても出口が見えない長いトンネルは不安だった。あまりにも抜け出せないから、だんだんここを走ることで目的地に辿り着くのが噓のような気がしてくる。無闇に無限に走らされるような、終わらない気持ちだ。周りに並走する車がたくさんいることでぎりぎり現実を感じて安心した。
子どもの私にとって、自家用車は「動く部屋」だった。自宅の一室が私を乗せてどこかへ連れて行ってくれる、そんな気分をわざと感じようとした。後部座席できょうだいと一緒に丸まりながら、外の景色はあえて見ずに、車が前へ前へ進むGを味わう。できるかぎり部屋のようにすごしたくて、本を読んだり眠ったり試すのだけど、乗り物酔いがひどい子どもで、すぐに気分が悪くなってしまうのが悔しかった。
乗り物は、私は動かないけれど動いているのがおもしろい。公共のバスや電車よりずっと、空間がパーソナルな自家用車にそのおもしろみを感じる。好き勝手な姿勢でいる自在な状態で、私が運ばれていく。
車に部屋を感じたい私は、本当はもっと広いといいなと思っていた。家の車は一般的なセダンで、うちは子どもの多い家だから後部座席にはぱんぱんに3人乗る。横になって手足をのばしてごろごろできて、なんなら敷布団をしいて枕に頭をのせてかけ布団をかけて眠る、それにテレビが観られたり、もっと部屋のようだったら、そのままの姿勢で運ばれることがずっとおもしろくなるのに。
大人になってから、高速バスの高級なシートや飛行機のファーストクラスのフルフラットのシートを見て「あの頃やりたかったの、これだ!」と、幼い私の夢がシンプルで一般的な贅沢だったことにちょっと失望して笑ってしまった。
いっぽうの泰淳がみかん色の灯を外国にいる感じだというのはどういうことだろう。竹内好とのロシア旅行がこの翌月からだから、ロシアのことを考えていたのかもしれない。いずれにせよ、現実味のない遠いどこかをトンネルは思わせる。
情緒よりパワーのお土産
〔昭和四十年〕十一月九日(火) 豪雨、午後より晴
〔中略〕山形ナンバーのセドリックに乗った、大人六人と子供一人の客来て、土産物を買い狂う。富士山の額と登山笠、登山杖の形のエンピツ、ようかんなど沢山買って、しまいに非売品の、五合目から写した富士山の写真の額をサービスにくれろという。その代り、今度くるとき、蔵王の樹氷の写真を持ってきてやる、といっている。大分、売れなかった土産物を買ってくれたので、おじさんは写真をくれてやり、新聞紙に包んでやった。
旺盛な買い物が生き生きと躍動する。昭和40年、お土産屋の、いかにもお土産お土産したお土産が、ダイレクトに喜ばれ盛んに買われた全盛期の活写ではないか。
列挙された品がどれもクラシカルにお土産的で身震いする。登山杖の形のエンピツは、確か父方の祖父母の家にもかつてあった。現代の地平から眺めるとどれも絶妙に不要な感じがして感じ入る(もちろんこのようすが当時もどこか滑稽な買い物ぶりであったろうことは百合子の冷静な目からうかがえるのだけど)。お土産はこうでなくちゃなと元気が出る。
土産物を買うのが下手だ。会社に休暇明けの挨拶にお菓子を持っていくくらいでもなんだかちょっと手応えなく外してしまうのだから、個人的なお土産や自分用のお土産はいよいよピンとこない。
唯一、これは芯を食ったぞと、満足できたのが小学6年生のときに修学旅行で行った日光のお土産だった。
どういう発想だったのか、とにかくクラシックなお土産にしようと、金色の東照宮の五重塔の像をガラスでかためた小さな置物を選んだのだけど、これが母方の祖父にやたらに刺さったのだ。
渡すと「おお」と祖父は声をあげた。「こういうのが一番いいんだよ」と受け取って手のひらに乗せじっくり眺めて、それからまだブラウン管だったあの、置物をいくらでも置けたテレビの上に置いた。
祖父は受け取ったときだけじゃなく、そのあともことあるごとに「おい、あそこに置いてるぞ、眺めてるぞ」と指差してくれたから、孫可愛さやお世辞じゃなくそれなりに本当に気に入ってくれていたんじゃないか。
安物だということもあってか、そもそもそういうものなのか、数年経つうちにじわじわガラスにひびが入りはじめた。それでも祖父はまったく構う様子はなくて、なお新鮮に「これはいい土産だな」とたびたび言い続けてくれたから、ひびが入ったことを私もネガティブにはまったくとらえず、ビンテージ化しているというか、ガラスの置物が成長しているようにすら感じた。
結局、祖父は寝ながらぽっくり死ぬまでこの置物を10年以上テレビの上に乗せて飾り続けてくれたのだった。ひびはもうばきばきに入って、中の五重塔がかすむくらいだったけれど、適当としか思えない「日光」と書かれたシールも大切に貼られたままだった。
それから私も子どもを持って、今度は自分の子が遠足や修学旅行に行くようになった。学校で決められた額までならお金を持たせてもいいことになっていて、子どもたちはおみやげを買ってきてくれる。
これが、何を買って帰ってきてもとんでもなくうれしい。息子が水族館に行ったときに買ってきてくれたアクセサリーはもう何年もかばんに入れてお守りにしているし、娘の動物園のお土産のお菓子の空き箱もずっと窓際に飾っている。
祖父もこういう気持ちだったのかと思う。人に情があるから、素直に物として気に入る。
『富士日記』で猛然とお土産を買う彼らには、そういう私と祖父の間のようなエモーショナルな交歓みたいなものはあまり感じられず、そこもちょっといい。ただシンプルに勢いがある。情緒のつけいるすきのない、昭和のてらいなくパワーがみなぎるお土産がまぶしい。
古賀及子(こが ちかこ)
ライター、エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)。
【連載・執筆】デイリーポータルZ|北欧、暮らしの道具店|シカクのひみつマガジン
【ポッドキャスト】古賀・ブルボンの採用ラジオ
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note:https://note.com/eatmorecakes
本連載は今回でいったん最終回となります
書籍化を予定していますので続報をお待ちください!
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