それなりの積雪とは『安心感』である
昨日、ようやくまとまった雪が降ってくれた。もう積もることなく冬は終わるだろうと思わせるぐらい、まったく『雪』の気配を感じなかったのに・・・。早朝、車や自宅前の雪かきを済ませたあと、一息つきながら周りの雪景色をゆっくりと眺めた。そこで妙な安心感をじっくりと味わう。
昔から部屋の窓から眺める冬景色が好きだった。それなりの大雪で多少吹雪くぐらいの勢いがちょうどいい。灰や塵のような大きい雪が、音のないグレーの空をときより静かに、ときより激しく舞う。なんともいえない不思議な安心感がそこにはあるのだ。
雪を見るといつも思い出すことがある。小さいころ自宅前の歩道に1階の屋根まで届く程の雪山をつくって、ソリすべりを楽しんだ記憶。今じゃ考えられない光景だ(笑)あとは高校時代の通学路。どんなに積もった雪道でも滑りながら自転車で通学していた。そして生活の中にある『それなりの積雪』は当然の日常だったということを、改めて思いだす。
特に何があるというわけではないが、『冬に雪が降り積もる』という当たり前にあった日常が薄れていくということは、遠い昔の記憶も同時に薄れていきそうな気がして、とても寂しいことだ。
ひとまず今シーズンは安心できたので、来冬が楽しみである。って気が早過ぎるか(笑)
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