プレゼントはありがたいか迷惑か
人に喜んでもらえたことが自分の喜びにもなる。
これって本当に素敵な循環だなぁって思ってる。
プレゼントとか、差し入れとか。
私が好んで動向を追いかけ活動を応援している西野亮廣氏は
“差し入れをする人は
①断らせる
②荷物を持たせる
③モノを捨てさせる
という迷惑行為を平然とやってのけます”
と一貫して差し入れを拒否し続けている。
言っている意味は本当によくわかるし、確かに世の中には「ありがた迷惑」ってある。
でも…
事前予告なしにいきなりサプライズで差し入れ(プレゼント)をいただき、物自体云々はもちろん素敵な贈り物をしてくれたその心遣いに感動し心が温かくなる。
そんな幸せな経験を何度もしているから、「私は」差し入れ(プレゼント)は素直にうれしいと感じてありがたくいただくことが多い。
極論、本当にありがた迷惑だった場合、本人の見えないところで“ごめんなさい”すればいいと割り切って。
ただこれは単なる一般人の私だから言えること。
彼みたいに一つ受け入れたのを皮切りにプレゼント攻撃が続いた場合、対応する労力は半端ないだろう。
だったら、最初から「いりません」と宣言し理解してもらう。
それも、よくわかる。
あくまでもらってうれしいのは「私の場合」だ。
ただちょっと不安に思う時がある。
私はもらうことが好きなのと同じくらい贈ることも好き。
一方彼みたいに原則拒否したい人だっているだろう。
一人一人、「あなたはプレゼントもらうのが好き?いや?」って確認してから渡すか決めるわけじゃない、でも贈りたい…
で、結果的にサプライズで贈っちゃうことも多い。
彼はよくこうも言っている。
“「自分がやられたら嬉しいことは、相手も嬉しい」が全ての人に当てはまるワケがない”
ここでいつも立ち止まってしまう。
遠く離れて住む友人に先日、ちょっとした贈り物をした。
選んでいる時は「喜んでもらえたらうれしいな」という単純で純粋な気持ちだけ。でも送った後
“「自分がやられたら嬉しいことは、相手も嬉しい」が全ての人に当てはまるワケがない”
のキーワードがふっと頭をよぎり、「もしかして迷惑にならないかな、大丈夫かな?」と考えてしまった。
翌日。
プレゼントを受け取った相手から喜びの電話をいただいた。
ホッとした。喜んでもらえてうれしかった。
冒頭の感情がじんわりわいてきたのだ。
相手が望んでいるもの・ことは何か。その想像力はなくさず、プレゼントを介した心温まる交流も続けていきたい。
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