悩むってことは暇なんだよ
悩むってことは暇なんだよ。
誰かに言われた言葉を思い出す。理屈では分かってる。でもどうにも心が収まらなくて納得がいかなくて、悶々と考え込んで(悩んで)しまう。そんな自分を俯瞰で見る。
「あなたはよくやってる」「たまには悩んじゃうよね。仕方ないよね」「なに堂々巡りなことやってるの」「考えるよりまず、動け」…いろんな声が脳内にこだまする。そして結局、もやもやが色濃くなる。ここ数日、こんなことの繰り返しだ。
本当に、暇なんだと思う。
仕事が忙しすぎたころは毎日「やること」「締め切り」に追われアップアップ。うだうだ悩んでいる暇がなかった。今だってやらなきゃいけないことは山ほどある。けど、それに手を付け着実にこなすことなく、もやもやに足を取られている。
「神様は誰に対しても、必ず、幸せになるように私たちを生かしている。もし今が辛いなら、このことで何を気づかせようとしているのだろう?(幸せにつながる)何のためにこれが与えられているのだろう?」と考えるのを勧める内容の本を読んだことがある。
大前提を「幸せである」と決め、今目の前で起こっているしんどいことも必ず幸せにつながるのだとしたら、今の辛さはなんのために起こっている?この状況が何を教えてくれている?という視点に立ってみる方法。
物事の見方(視点)を変え捉え方を変える。事実は一つ、その意味付けは無限大にある。ならば自分に都合のいい、生きやすい、納得感のある見方をしたい。
それも分かっているんだけどさ、どうしても…って時にはもう、それすら考えない。「そうだね、私、今もやもやしているね」ってフラットに受け入れ、まるで友人とか好きな人に寄り添うように「大丈夫」って自分に語り掛けてみる。
「すべての事には理由がある」。そう思いつつ、時に「どうでもいいや~」って草原で大の字になって寝ころび風に吹かれたくなる時だってある。それでいいと思っている。