工程上全然完成させられる段階でなくてもとりあえずフィニッシュさせるという技を良く使う。職人系あるあるだろうか。
物理的にまだ手を入れなければならない部分が多くとも、全体の完成状態を一度目の前で無理やりにでも作り立ち上がらせてみて、その完成像から逆算して課題を潰す計画を立てることは職人仕事をしている方ならやったことがあると思う。
物理的に視覚化されたものは、頭で考えるよりずっと具体的な提案をしてくれる。
勿論よく考えながら計画を立てて仕事を進めるのは当然だが、どうしても煮詰まったりなんだかやる気が上がらない時もある。
そんな時は一度フィニッシュをかけると、明確なゴールが見えそこへの道筋や時間が把握できる。
むかし人形を作る職人をしていた時も、ポーズが荒かったりまだ顔が決まっていなくてもとりあえずそこで一旦強引に最終仕上げをしてしまってからもう一度落ち着いて考えることが、幾つものタイトな仕事を救ってくれた。一見無駄な作業のようでこの工程を挟むことがかなり大切だったなと今でも思うので、別の仕事をしている今も手が滞るとこの事を思い出して当てはめてみている。
目に見えないものは、どんなに経験や知識が多くともやはり心のどこかでは怖いと感じるもので、それによってネガティブな手捌きになって大きな時間のロスが生まれていたり、気づかぬうちに判断能力が落ちていて妥協の勘所を間違えていたりする。
良く言われる、悩みはノートに書き出せ、という話とも似ているように感じる。視覚化することで把握したり折り合いをつけることが易くなる。
人間は具現化されたものに強くメンタルを影響されるのだ。
悪口を言わない事も、実は脳という器官は話者の言葉の主語を理解できないからだといわれている。
悪口の主語が「アイツ」ではなく「私」になって入ってしまうそうだ。
具現化されたものは良いも悪いも自らの足をそちらへと引きつける。
これを逆手に取り敢えて具現化させず進めるのも面白い。
勿論これは行き当たりばったりを勧めるのとは違う。綿密に完成計画を立てせっせと積んでいく中で完成像を最後の最後まで具現化させないのだ。
おそらくは芸術的な作業がこれにあたるのかもしれない。
計画を立てているのにどうしても起こってしまう不測の事態を、刺激的な事件として受け入れてその感覚を反映させていくのは非常にストレスでもあるが故に大きな成長と発見があり楽しい。
バンドでおこなうライブは即興演奏のみだが、その心はまさに偶然との出会いや受け入れ難いハプニングをなんとか飲み込み次の手を模索する中で思わぬ面白い作品が出来上がることを意図しているからだ。まず自分が驚きたいし、訳の分からないゴミの山から何か宝物を発見をしたいと思っている。
しかしながら、博打のような成分ばかりの生活だと常にアドレナリンが出続けて頭が馬鹿になってしまうから(これはとても危険で、そのうち脳の神経が刺激を受容しづらくなり慢性的な鬱になることもある。)普段の生活の安定的な部分とのバランスをうまく取りつつやっていきたいものだ。
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