競技力による序列の恐ろしさ
スポーツの恐ろしさに、競技力によって序列が決まるという側面がある。
自分自身を振り返ると、
サッカーをやるために、「部」という枠組みの中で大半を過ごしてきたんだが、
そこには、年齢という序列もある。
先輩の言う事は、従わなければいけない。こんな事があると思うんだが、この事については、実は、違和感を感じる事はなかった。
それは、良い先輩達に恵まれたおかげだろう。いわゆる理不尽というやつを受けけてこなかった。
そこで学んだ事は、むしろ年上の人達を敬うというような大人になってからも役立つもの。
だから、年齢による序列はあるとしても、
挨拶をしっかりする。経験ある人の言う事を聞く事で、自分のためのプラスにする
みたいに、その序列は必要なものだったと今でも感じている。
だが、
先輩・後輩の関係から、同級生の関係に目をうつすと、そこには競技力による序列が存在していた。
サッカーが上手い選手が偉いみたいな。
サッカーが上手い子がリーダーシップを持ち、発言権があり、
サッカーが下手な子は、その子達についていく。
自分自身は、下手な方ではなかったので、どちらかと言えば、その序列によっていい思いをしてきた方だと思うんだが、
何でだろう?という違和感は拭えなかった。
かと言って、「そんなのおかしい」という言う勇気もなく、その居心地の良さに甘えてるだけだったんだが。。。
大人になり、指導者になった今、「部」ではないんだが、「クラブ」の子達を預かる身になっている。
小学生同士の事だから、年齢による序列はあまり存在せず、むしろ、
「先輩の言う事は聞いた方がいいよ」と言いたくなるくらい、小学生達は年齢による序列なんか感じていない。
とてもいい事だと思う。
だが、競技力による序列は勝手に作られる時がある。
日常生活の中では、みんな仲良くやっているので、自分がかつて感じてたような序列はなくても(クラブだから、学校生活がバラバラだからだと思う)、
俺はAチーム。お前はBチーム。
上手い子が、自分のミスでも下手な子を批難してしまう。
絶対にあってはいけない事だ。
子ども達は、たくさんの間違えをおかすもの。だから、大きな目で見ながらも、間違いがあったら正してあげなくてはいけない。
競技力によって序列をつけてるような事があれば、それは厳しさをもって正すようにしている。
それは、誰のためにもならないから。
上手い子は、成長するために必要な謙虚さを失い、下手な子は、成長するために必要な自信をなくしていく。
人の立場を理解できないような子がまともな大人に育つ事はない。
ここでおかした間違いは、きっと大人になった時の振る舞いに出てきて、自分自身が損をする事になるだろう。
一方、言われた方も、できる・できないで判断されるような価値基準を持ってしまったら、大人になって色んな事にチャレンジをできなくなってしまう。
やはり、どう考えても誰のためにもならない。
競技力なんて、ほんとに狭い価値観だ。
プロの世界であれば、それでしのぎを削らなければいけないが、
たとえプロ選手であっても、そこに価値基準を持ってしまえば、次のステップ(セカンドキャリア)でつまずいてしまうはずだ。
だから、競技力によって序列が決まるスポーツの世界は恐ろしい。
指導者としてできる事は、こんな序列を絶対につけてはいけないという事。
スポーツは、色んな事を学べる素晴らしいものだ。
1つでもマイナスになる要素は、現場の努力で排除していかないといけない。