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オタクカルチャーが伝統芸能になった 刀剣乱舞歌舞伎感想

こんなに本格的だとは思ってなかったので、
嬉しい誤算だった。
まるで数百年前からやってる演目ですが何か?みたいな出来だった。
感動した。
感想書きますのでお時間ある方はどうぞ

コンテンツの解釈が前のめり


私はこの「刀剣乱舞歌舞伎」が発表されてから、
一人の演劇好きとして気になりつつもこれまで経験のなかった「歌舞伎」の観劇にいよいよ飛び込む時が来たのだと思った。
本当は今作の公演を観に行きたかったのだが、
歌舞伎の知識がまったくない状態でこの作品を観ることがなんだか勿体なくて、
この公演自体はいつか映像で見ようと思って、
先に歌舞伎の公演を観に行ってみようと思った。
それが半年前の「吉例顔見世歌舞伎マハーバーラタ」だ。

そこからいくつか歌舞伎の公演を観てきたが、
それというのも全てはこの「刀剣乱舞歌舞伎」を観るためだった。
そうして準備万端でいたところ、
映像作品として発売される前に、
なんと今春に映画館でシネマ歌舞伎として再度かかることになった。
待ってました!という勢いで、やっとこの作品を観ることができたというわけだ。

この作品を観てびっくりしたこととして、
歌舞伎の側の制作がこれまでの「舞台刀剣乱舞」や「ミュージカル刀剣乱舞」、「ゲーム版刀剣乱舞」などのコンテンツのあゆみをかなり正確に汲んでいたことがある。
(もしかするとアニメ版なども踏襲していたのかもしれないが、私が舞台のメディアミックスしか観たことがなかったので気が付かなかったかもしれない)

それはもちろん、すでにビッグコンテンツとして成熟している刀剣乱舞のファンから怒られたくない、
というのが第一にあったのだろうと思うが、
それよりもむしろ「刀の付喪神の物語を歌舞伎でやるならこうだろ!」というインスピレーションが、制作の際にめっちゃ湧いてたんちゃうか、
みたいな印象を受けた。

出陣する編成も古典芸能にゆかりのある、
源氏兄弟(髭切・膝丸)や小狐丸が編成されていたことからもそれは感じられた。
(小烏丸とか同田貫もそうなのかな)

「刀剣乱舞」の後発のコンテンツとしてお行儀が良いというよりも、
完全な「刀剣乱舞」を原作にした新作歌舞伎だった。
そこが、すごく良かった。


ここはネタバレゾーン


特にラストシーンの、
舞台上の三日月宗近(日本刀)に桜吹雪が降り注ぐところ。
あそこが本当に良かった。
刀剣乱舞における付喪神の「三日月宗近」が生まれた瞬間の演習として完璧だった。
セリフのないこのシーンをクライマックスに持ってきたことに、
刀剣乱舞歌舞伎の座組の「刀剣乱舞ファン」に対する信頼を感じた。
思い出して泣きながら帰った。


三日月宗近に感じた違和感


とはいえ、なんか……う〜んと思ったところもやはり「三日月宗近」に関してあった。
三日月宗近の役をされていた尾上松也さんは、
私も年明けの新春浅草歌舞伎で拝見していた。

歌舞伎界でも評判の役者であるということが伺い知れる。
ただこの「三日月宗近」を、が「私の本丸にもいるあの、三日月宗近」だとなんだか認識できなかったように感じたのだった。
なぜだろう?と帰ってから考えてみたのだが、
「笑顔」なのかな、という気がした。
刀剣乱舞の「三日月宗近」のキャラクターといえば、にっこり笑ったイラストを誰もが思い浮かべると思う。 

舞台刀剣乱舞の鈴木拡樹も、ミュージカル刀剣乱舞の黒羽麻璃央も、このイラストの三日月宗近みたいに、にこにこと笑う。
でも、この「刀剣乱舞歌舞伎」の三日月宗近はほとんど笑わなかった。
どちらかというと能面のようにずっと表情が変わらなかった。
歌舞伎において主人公の青年、というのは「笑わない」ものなのだろうか?
何らかの意図があったのかもしれないが、
なんとなく私のキャラ解釈とは少し違っていたような気がした。
いや、出ずっぱりの大役を果たしてくださったことへの感謝が大きいのだけれども。

ずっとやってほしい少なくとも西暦2205年まで


コロナ禍の無料配信から刀剣乱舞にハマった私だが、
それからというもの「刀剣乱舞」というコンテンツについていきたい一心で、
国立博物館に行ったり、高校日本史Bの勉強をしたり、こうして歌舞伎観劇に飛び込んでみたりしてきた。
「刀剣乱舞」というコンテンツについていこうとすると、賢くなるという感覚がある。(もとが無知すぎだったというのもあるが……)
これらも、本格歴史SFとして深めていってほしい。
そして刀剣乱舞の舞台である西暦2205年まで続けていって欲しい。

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