ものごと:ドクターペッパー

なにかひとつものごとに関連すれば、そのことの思い出を語ることができることに気付いた。もしかして、誰しもよく用いる手段だったのだろうか?それがわからないのは、そういう手口を気にしたことがなかったからだろうが、仮に気にしていたのなら、誰かの話をもっと興味深く聴けたり、あるいは自分からそういったことを話すことももっと出来ていたのかもしれない。そうでなくとも、自分の周囲で起きていたことが、もう少し鮮明にわかっていたかもしれないのだ。それがよいことなのかはさておき、そしてまた、そういったことは他にもたくさんあるのだろうけれども、だとするとやっぱり、思い返せば思い返すほど、道のりの中で、知らないうちにたくさんの何かを取り零していたのかもしれないなと、そんなことを思うのだ。それもまた、誰しもそうなのだろうかと、それも確かなことは言えないけれども、もしそうであるならば、そこで起きていたことの本当は、誰にもわからないのかもしれないということに、さみしさと期待の両方があるような気もしつつ。ただ、遠く手出しのできない気持ちの、それ自体は変わらずとも、少しその理由の在処が変わるようには思う。いいことなのかは、わからない。

自販機で、ドクターペッパーを買った。ペットボトルではない、350ml缶のドクターペッパー。杏仁豆腐ジュースとも称される、好みの分かれるアメリカン炭酸飲料の代表格である。早めに立場を明確にしておくと、私はそれはあらゆる炭酸飲料の中でも格別に好きなのだけれども、昔からそうであったというわけでもなく。というのもシンプルな理由で、昔は入手が少し困難だったのである。明確な時期はわからない。ただ、昔は。

それを遡れば、記憶はある車の中に行き着く。初めてドクターペッパーを知ったのは、そしてそれを飲んだのは、父の運転する車の中だった。車の候補はふたつあって、はっきりとしない。我が家は祖父が鋼材の運搬を生業とする人で、そのためのトラックが存在した。そしてそれと別に七人乗りのワゴン車が一台あった(我が家は一時期八人家族だったため、それでも全員は乗り切らないのであるが)。自宅の車庫兼資材置き場に停めてあるトラックは物心つく前より見慣れた風景だった。一方のワゴン車は歩いて10分程度の駐車場に、これは私が小学四年生くらいのころに、父が中古で購入したものだったと思う。当時の私は我が家の車といえばトラックのことだと思っていたので(それが仕事用であるとか二人乗りであるとかそういう細かいことはまるで気にしてなかった)新たに車がやってくることに心底驚いた記憶がある。あ、車って、買うことあるんだな。維持費が厳しくなり、現在はどの車も残っていない。ワゴン車に関しては、よくよく思い返すと10年程度の所有期間だった気がする。それが短いのかは、わからない。

初ドクターペッパーの車は、どちらだったのかはっきりとしない。ただ、なんとなくトラックの方だったのではないかと思ってはいる。場所は、川の向こう。たぶん、ホームセンターに行ったのだ、夜の8時過ぎに。私はそのころ合気道をやっていて(白状すればけっこういやいややっていたけど)、それが終わるのが20時で、その後だったかもしれない。関係ない日だったかもしれないけど。ただ、その合気道の道場と、川向こうのホームセンターというのが、ざっくりと方向的には同じで、私の記憶の中では、それらは風景の質感の部分で似通っているというか、同じ括りに入ってしまうことが多々あるのだ。道場は子供の足で歩くには距離があったので、雨天時は車で送ってもらっていたことも、それに拍車をかける。

今ではホームセンターはもう少し近所にいくつかあるのだけれど、当時は川向うにしかなくて、そしてまた小学校で工作のクラブに入っていた程度には工作が(あるいは工具が)好きだった少年は、父に連れられホームセンターに行くときどきの機会を楽しみにしていた。これは、時代的な背景もあると思う。情報検索と高精度地図の携帯が容易な現在であれば、自ら自転車で現地に行くこともできていたかもしれない。もちろんやる気と度胸さえあれば当時でもそれは可能だっただろうけど、どこか川の向こうはひとつの異界というか、これは妄言だと思って聞き流してもらってよいのだが、実は今でも橋を渡って向こう側に降り立つと、空気感で「区が異なる」と感じられるのである。いま突然意識不明に陥って知らない路地で目覚めたとしても、明確な場所はともかく「川のどちら側なのか」だけはなんとなくわかるのではないかと、そう思えるのだ。そしてその質感を以て、川の向こうは正直けっこう、怖いイメージがあったのである。

なにしろそんなところで、そのホームセンターは少年にとって「連れて行ってもらえるときだけ行ける場所」だった。場所もよくわからない、もちろん今では案内図を描ける程度には把握しているけど、当時はまるでわからず、助手席の窓から見える風景を道順として記憶しようと思ったことも何度かあったのではないかと思うのだけれど、記憶を強固にするほどには頻繁に連れて行ってもらえたわけでもなく、たぶん通算5回程度ではないかと思う。結局自分一人でそこを訪れるのはずいぶん経ってからのこと、おそらく10年以上経過してからになる。

言いつつもドクターペッパー自体は実はホームセンターではなく、その道中立ち寄った別の施設……ガソリンスタンドか、あるいはオートバックスみたいな場所だったかもしれないが、そういったどこかの自販機で発見したのだったと思う。それも私が発見したのではなく父が発見して、面白半分で提供してきたのだった気がする。好みの分かれる飲料であること、気に入らなかったら飲み切らなくていいことを告げ、駐車スペースの灯の消した車内で、私はそれを飲み切ったんだったかどうか、そしてそのとき私はそれを好きになったんだったかどうか、なんにしても私の中でそれはどうしてか重要なエピソードとして記憶されていて、350ml缶でそれを飲むときいつも思い出される……というほどでは全然ないのだが、もし私がいつか何かの間違いで走馬灯のようなものを見ることがあったなら、端っこのほうに一瞬、あの車内の陰影が登場したりするのかもしれないなと、その程度には思うのだった。

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