絵になる人の行先
なんだって絵になんかなりたいんだ?と訊けばそんな覚えはひとつもないわと返ってくる言葉に胸を射抜かれああなるほど、こっちが勝手に額縁を与えているのだと気付いたんだそうだ。ところで疑問なのは、それでは「絵になっている本人」は、その絵の中で、どのように息をしているのだろうということ。ああワタクシいま絵になってますわおほほ、とそのように考えているのだろうか、そんなことを考えながら人は果たして絵になれるのだろうか?などといった意味のことを続けて訊いたそうだよ。だから私自身にはそんな覚えはひとつもないのですからねとまず置いた上で、「それ」はあり得ると思いますわと、そう彼女が言ったことが彼はけっこう意外だったらしい。ただ意外だと思われることを彼女も予期していたんだろう、付け加えるのが早かったのは「本人が思っている絵と、周囲が見ている絵は、違ったものでしょうけれどね」と。ところでそんなことを訊く今のあなたも横から見れば調子の良い絵になっているのではないですか?と、彼女の言葉は文字に起こすとずいぶんと皮肉めいているけれど、実際にはそういった嫌気は一切感じなかったことを、彼は忘れずに付け加えた。「それは問い掛けみたいなものだったと思う、ただそこで僕が何も返さなかったのは、彼女自身がそのことに答えを用意していないように思えたからだ。あれからずっと考える。周囲の人間は――僕は、他人に対して絵になるだのならないだの勝手を言うけれど、それじゃあ絵になったからって、何だっていうんだ?違うね、どうなったら『絵になった』ことになるのか?僕らが勝手に呼んでいるそれ、勝手に抱いているそれは、そのように考えることでしか――空想の額縁の中に閉じ込めることでしか安心して見届けられない、そういった危うさに対する対処なんじゃないだろうか。その中にいる彼女はどうなるんだろうね?その場にいるすべての人間が、自分のことを絵の中に閉じ込めることでしか呼吸できない、そんな世界の中で…?」そんなことを述べる彼は一向にこちらを見ない、悩むとき口元に手を当てる癖のある彼の顔の傾きは窓から射す夕光の角度と一致して、なんだか絵になるなあと、そう僕は思っていた。