おばあちゃんといっしょ。 その1
おばあちゃんは、田中角栄さんが好きだった。
おばあちゃんは、時々、角栄さんが居る方向だと言って(東京だか新潟だかよくわからなかったかったが)その方向に向かって手を合わせて拝んでいた。
おばあちゃんは小学校しか出ていない。だから読み書きがあまりできないと言っていた。つまり、”学がないこと”をとても卑下していた。今風に言えば、最大のコンプレックスだ。だから、自分と同じ小学校しか出ていない田中角栄さんが日本の首相にまで上りつめたことは、驚きであり、希望であり、おそらく”尊敬”に値する初めての有名人だったのではないだろうか。テレビで映る角栄さんを、いつも食い入るように見ていた。
でも、おばあちゃんはバカではなかった。少なくとも小学校1・2年生の時の宿題は、おばあちゃんといっしょにやっていた。学校から帰って家に居るおとなは、おばあちゃんだけなのだから当然といえば、当然のことだ。勉強を見てもらって不自由な思いをした覚えはない。それどころか、その教え方はひょっとすると画期的に優れたものだったのではないか。
今でも鮮明に覚えていることがある。「時計の読み方があまりわからなくて授業で困った」学校から帰ってすぐにグチをもらした。すると、おばあちゃんは、文字盤にディスニーのシンデレラの絵が描かれた私の目覚し時計を持ち出して、私の目の前で針をぐるぐる回し出し、「これが5時。これが5分、これが10分・・・」と時計の読み方を教え始めた。おばあちゃんのその勢いと真剣な顔におされて 、あっという間に私は時計の読み方を習得した。「なんでこんなことが!」「勉強のできない子にはしたくない」「預かっている大事な孫なのに」いろいろな思いがおばあちゃんの胸に去来していたのかもしれない。
さらに10年ほど前に母から聞いた話がある。家が貧しい上に、兄弟が多く、長女だったおばあちゃんは妹や弟の面倒を見るために、学校に行かせてもらえなかったそうだ。典型的なおしん的世界だ。そして、先妻を亡くしたばかりで二人の子どもがいるおじいちゃんのところに嫁がされた。そんなおばあちゃんは、やがて、貧しかった実家に家を建てたそうだ。ななな、なんで? どうやって? おじいちゃんは、今ではそこそこ名の知れた企業に勤めていたとはいえ、平凡なサラリーマンだったはず。確かに自分は着飾ることもせず、ケチだったと母は言う。いや、あの時代は、”始末”していたというのか。だが、少々見栄っ張りのところもあり、ここぞというところでは豪快に使っていた。どうやら、やりくりというか裁量というものに長けていたようだ。ほかにも故郷への貢献は、数知れずあったらしい。
「時代が時代なら、ちゃんと学校を出ていたら、そこそこのキャリアウーマンになっていたかもね」母とそう話したものだ。だから、悔しかったのだろうなあ、おばあちゃん。
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