「青葉の笛」とおばあちゃん。 その6
おばあちゃんが亡くなる少し前まで、つまり中学生1年くらいまで、おばあちゃんと一緒にお風呂に入っていた記憶がある。いや、一緒に入っていたというよりも、小学校の上の学年くらいからは、一人で入っていても、「ええか」と言っておばあちゃんが無理やり入ってきたものだ。自尊心や自立心が芽生えはじめていた時期で、ほんとうはとてもイヤだったが、黙って受け入れていた。だって、「ええか」の言葉が発せられた時には、すでに脱衣所の裸のおばあちゃんのシルエットが見えていたから。
その頃はおそらく無愛想になっていたと思われるが、幼い頃は湯船につかりながら、いろいろな話を聞いたものだ。特に繰り返し聞かされたのが、「青葉の笛」の話だ。
平家物語でも語られる神戸は須磨の一ノ谷の合戦。源氏側の武将・熊谷直実が、須磨の海岸で沖に浮かぶ船まで逃げようとする平家の武将を呼び戻す。ここで潔く最期を、と説得し、いざ首を取ろうと兜を外すと、自分の息子と同じくらいの年齢の少年だったことに驚くが、泣く泣く討ち取る。最期まで名乗らなかったその少年は、平敦盛。彼の亡骸のそばには笛が落ちていた・・・。この笛が「青葉の笛」と言われ、神戸の須磨寺には平敦盛の首塚が祀られ、二人の像も立つ。
「戻ってこ〜い。戻ってこ〜い。」直実が海岸から敦盛を呼び戻すシーンを、おばあちゃんは手振りを交えながら、悲しそうに臨場感いっぱいに語る。しかし、戻ってこいと呼び戻す理由は、首を討ち取るためである。その矛盾に、幼いながらも納得のいかない気分だった。自分の息子と同じくらいの少年とわかり、一時は迷うものの結果的には打ち取るのである。それでも、おばあちゃんのその哀愁のこもった語り口から、どうしようもない無情なそれはそれは悲しい話であることはわかった。
高校生になってから日本史の授業でやはり先生が同じように語った。受験に役に立たない、日本史的に重要なポイントではない、歴史的なロマン語りが好きな先生は、おばあちゃんと同じように悲しい話だと教えた。ちなみに私はこの日本史の授業が好きで、全国模試で全国3位を取ったこともあった。そして、受験には全く役に立たなかった。
どうしておばあちゃんはこの話を繰り返し話したのだろう。でも、特に深い意味はなかったように思う。今では、「青葉の笛」と聞いてすぐにわかる人は少ないと思うが、昔は誰もが涙無しでは語れない聞けないお話だったようだ。小学校しか出ていない、自分には学がないと卑下するところもあったおばあちゃんだが、この話をどこかで知り、深く感銘した数少ない物語だったのだと思う。
他にもお風呂の中で聞かされた話はいろいろあったと思う。また、ゆっくり思い出していこう。
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