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おばあちゃんが教えてくれなかったこと。

これまでおばあちゃんが私に伝えようとしくれた状況や内容をここに書いてきたが、実は反対に「ぜひ教えてほしかったなあ」ということもある。

一つは、動物と親しむこと。我が家で飼ったことがあるのは、小鳥のカナリヤだけ。それ以外には、夜店ですくった金魚とおじいちゃんが飼っていた鈴虫だけだ。当時は、玄関に鳥かごと夏には鈴虫の鳴き声が響き渡る家は多かった。

だが、子どもというものは、動物が好きだ。特に犬。私も例外ではなく、当時から怖がっていたくせに、近所の子が飼う犬には興味津々だった。だが、我が家では絶対に飼わないという方針があった。理由は、「蛇の神様を祀っているからうちには居つかない」ということだった。この場の「おばあちゃんといっしょ。その0」で記した大きな神棚と神様のことだ。なんでも私が生まれる前は何度か飼ったことがあるが、いつもすぐに居なくなってしまうということだった。科学的ではないが、なんとなく信憑性があるような理由だと思う。

が、それよりも今考えれば単に「好きではない」が理由だったように思う。テレビで犬と飼い主がジャレあっている姿などが映ると「汚い」の連呼。犬が飼い主の顔をなめたり、口どうしでキスしたりしようものなら、「汚い!汚い!汚い!」の大連呼だ。幼い頃からそのような環境で育ってきたものだから、未だにそのようなシーンは苦手だ。それどころか、私自身が犬や猫の舌や鼻など濡れているであろうどこかに触れることができない。

が、時代は空前のペットブームである。いやそれ以前に、動物が好き=良い人の裏返しで、動物が苦手=良い人ではない のレッテルが微妙に恐ろしくて、いつも友人と一緒に犬猫に遭遇すると、苦手をさとられないようにひきつりながらおそるおそる背中をなでる程度で、実は棒立ちになっているのである。

そんな私も最近は犬や猫の動画を見て癒されている。岩合さんの世界ネコ歩きなんて、1時間たっぷり観ても飽きない。動物たちがここまで感情的に知的に、そして個として人に寄り添って生きるとは想像もしていなかった。犬や猫と暮らしてみたかった。齢を重ね、つくづくそう思う。

もう一つ教えてほしかったことがある。食事の時の「くちゃくちゃ」という音だ。おばあちゃんはお行儀に厳しかった。と思う。お箸の持ち方はもちろんのこと、お茶碗やお椀の持ち方も都度厳しく躾けられた。箸で皿を引き寄せてはいけないし、箸と箸での掴み合いは忌み嫌った。父は左利きだったそうだが、右利きに矯正されたと、かなり後で知った。そういう時代だった。だから、幼い頃から「食事のマナー」は完璧だと思っていた。

ところが、齢40にもなろうかという頃、10年以上も仲良く食事どころか飲み歩いてきた男性の同僚が突然、「何が残念って、食べる時にくちゃくちゃ音がすることやな」と言ってきたのである。はじめは誰のことを言っているのかと思った。食べる時にくちゃくちゃと音を発することは、行儀が悪いし、おっさんのイメージがある。と噂では聞いてきたが、実際にそんな気になる人には会った覚えがない。ましてや自分がそうだとは、考えたこともなかった。

早速、調査開始。他の長年付き合いのある、そんなことを尋ねてどんな回答だろうと険悪にならないと思われる友人数人に尋ねてみた。その結果、ただ一人を除いて「そう?気にしたことないけど」という答えだった。だが、そのただ一人は、実は長年思っていたそうである。一度だけ食事をご一緒したことがあるその友人の妹さんと「おしゃれで話が面白くて素敵なのに(本当にそう言ったので)、食事の時の音だけは残念ね」と話していたそうだ。それを聞いた私は、「こんなに仲良しなのに、なんで早く言ってくれなかったの!」と逆切れしてしまった。全然素敵ではない人間だ。

そして実家に帰って食事をした時に私は合点した。もちろん、おばあちゃんは居ないが、母が少しだがくちゃくちゃと音を立てていた。母は、地方ではあるが、お手伝いさんや乳母がいた大きな商家の生まれだ。それなりに行儀見習いは厳しく躾けられてきたはずだ。それなのに・・・。そして私は思い出した。この小さな「くちゃくちゃ」は、おばあちゃん、おじいちゃん、母、父、私や弟、みんなが発していた音だ。だから、誰も気にならない。しかも幼い頃は、父母も祖父も勤めていて帰宅時間がバラバラだったことから食事は別々で、家族6人で一緒に食事をすることは年に数回だけだったから、その少ない晴れの時に気にするはずもない。さすがのおばあちゃんも知らなかったことなのかもしれない。これは仕方のないことだったのだなと、今は思うのである。もちろん、母には言っていない。


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