言論界の時代の変化〜革新派が保守派に変わる時〜
どうも、こういう政治ネタみたいなのを投稿するのに少し抵抗のあるそれなニキです。
今回は昨今の言論界隈を俯瞰しながら(全て見られるわけではないが)考えた、現在の「リベラル」の立ち位置について、複数の視点から論じてみたいと思います。
要点
先に要点だけ述べてしまうと、私は、リベラル派というものがここ数十年で保守派から利権の一部を奪取したことによって保守化が進み、新たな信者を得ることが困難になってきていると考えています。
ここでいうリベラル派とは、保守的な政治勢力に反発する、環境問題・差別問題などの解決を主眼に置き、政治的・経済的・社会的な自由を求める政治勢力を指します。この定義は多様な主張を内包する形になっていますが、これはこうした主義主張に対する反発をまとめる上で便利なのでこうした形にしています。
①革新派の時間的制約
まずリベラル派の立ち位置について考える上で気になるのはその時間的制約です。既存の特定勢力を退け革新を成し遂げるためには、徹底的かつ不可逆的な変化を短期間に起こす必要があると個人的には考えています。
というのも、革新的な行動そのものが、ある程度の時間がかかると革新的ではなくなり、人の心を惹きつける力が弱まってしまうという、どうしようもない性質を抱えているためです。
例を挙げるなら戦後の学生運動などがいい例になるでしょうか。途中から「ノンポリ」と呼ばれる政治的主張のない若者の出現を許した点などに注目すると見えてくると思います。
話をリベラルに戻すと、リベラル派はその発生こそ「自由主義」の持つ魅力によって若者世代を惹きつけていましたが、時が経ち、特に若い世代において、保守よりもリベラルの方が大きな勢力を持つに至った現代において、リベラルであることの特別性は失われ、逆にその抱える問題点が浮き彫りになってきつつあり、リベラル派の成長は鈍化しつつあるように思われます。
②保守とリベラルと権益
①のような時間的な問題に加え、保守派とリベラル派の主張をよくよく観察していると、少し考えてみると当然であるけれど、しかしとても残念な側面が見えてきます。
それは、「両者ともに権益をめぐって争っているだけ」ということです。
保守派は、例えば官僚の天下りや大企業の中抜きに代表されるような権益を守ろうとしている一方、リベラル派も、当初はそうした既存勢力に対する反抗と解放をセオリーにしていたにもかかわらず、現在では環境利権や差別利権(同和利権の派生みたいな感じ)に固執する様子がみて取れます。
まあ要するに、「結局保守もリベラルもやってること一緒で、権益を自分のものにしたいだけなのか」と見えてしまうということです。
加えて、リベラル派はその勢力拡大のために、「若い世代を取り込むため」と称して様々なアプローチを行ってきましたが、その中に若者世代に負担を強いたり、(特に高収入の)リベラル派の生活ぶりを発信することが多く含まれていたため、若者にとってはどちらかというとリベラル派の印象の方が保守派より悪い傾向があると言えそうです。
こうした事態も求心力の低下に拍車をかけています。
③「自由」の暴走
改めてリベラル派の主張を一通り並べてまとめてみると、
『「責任」「協力的姿勢」などを果たす限りにおいて、さらなる自由の拡張が可能である』という感じにまとまると思います。
しかし、これが社会に広まっていく過程において、人心を惹きつけたのは「自由」の部分がほとんどであって、そのために必要な良識や責任は無視される傾向があったように思います。
リベラル理論が前提とする性善説が実社会と相性があまり良くなかった、と言い換えることも出来るでしょう。
例としてはSNSとかがよく挙げられる気がします。
環境問題でもいいでしょう。
例示として適切では無いですが、トリクルダウンや恋愛至上主義に関する問題も構造は近いと思います。
まとめ
個人的には、自由主義勢力は以上の理由から従来の革新的で拡大傾向にあった頃とは逆に、縮小傾向にあると考えています。
感想コーナー
うーん、めっちゃ八方塞がり感あるyo...
これだけ語ってしまうと、私の立場is何処という話になりますが、私はリベラルよりさらに自由を尊重する立場にあります。
あえて言語化するなら加速主義と言った所でしょうか。
あまりこう言う考え方は好きじゃないんですけど、リベラルから見たら「保守主義との争いの最中に背後から刺してくる敵」に該当するのかな...
まあ、これを踏まえて何するかって言ったら、結局既存の権益を破壊し自分の権益を確立するだけなので、先の時代から何も変わってないんですけどね。
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