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「優しいだけ」の男
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
はじめまして。にどめまして。
お元気ですか?私はまあ、ぼちぼちですわ。
「優しい」と「思いやりがある」は違う
何気なーく、SNSを見ていたらひとつの画像が流れてきました。
それは投稿者の女性と、女性のお母さんとのLINEトーク画面でした。お母さんが「優しい男がいいけど、優しいだけではダメ。思いやりがある男じゃないと。」と送信。
それに対して投稿者の女性(娘)が「優しいと思いやりがあるって同じじゃないの?」と送信。
それに対してお母さんは「優しい男は自分が熱を出した時に、無理しないでゆっくりしてねと言ってくれる、思いやりがある男は熱があるなら料理を作ってあげる と相手の立場になって考えることができる人」と送信。
これがもうね、ズキューーーーーーン!!!!!
撃ち抜かれましたね。膝から崩れ落ちました。
「そういうことか、、、、!!!」と脳内で辻褄が合ったんです。
私の脳内で何が起こったのか説明していきますね。
「優しいだけ」の男
まず私、4年交際させてもらった彼女とつい最近別れました。
あーいや、別れましたは意地を張りました。白状します刑事さん、振られました。で、その振られた理由がいまいち分からないままなんです。
理由を政治家の囲み取材のように「なぜ振るんですか?!」「もう少し時間をおいて考えることはできないんでしょうか?!」「どんなところが破局に踏み切る要因になったのでしょうか?!」「あれですか?!びっくりドンキーが好きすぎるとかそういうことですか?!」と聞けたら良かったのですが、覚悟を決めた相手にそんなこと出来ませんでした。
そんな別れ方をしてしまったから、彼女が私に愛想を尽かした理由をぐるぐると考えていたんです。それでこのLINEトークを見たとき思いました。
「あ、自分は優しいだけの男だったから振られたんだ」と。
私の家とお付き合いしていた相手の家は、車で30分くらいの距離感でした。私は当時運転免許を持っておらず、相手は免許を持っていて、車も持っていました。だから、デートをするときは相手が運転をしてくれてました。迎えにきてくれて、デート中運転してくれて、最後は私を家におろして帰ってくれてました。長時間のドライブもたくさんしてくれました。
申し訳なかったし、すごく感謝してました。だから一応ガソリン代は必ず出してましたし、デート代を払ったりはしていました。感謝の言葉も必ず伝えていました。それで傲慢にも「思いやり」を持っていたつもりでした。
そして私が感謝の言葉を伝えるたびに彼女は、「全然いいんだよ、私運転好きだから。免許は取りたくなったら取ればいいよ。」といつも笑って言ってくれるのでした。
しかしある日、彼女の不満は吹き出しました。免許を取ってほしかった。辛かったと。たまには助手席に乗りたかったと言われました。
当時私は本当に驚きました。「スマートに感情を隠す」という領域において、マヌケな我々男性が、女性の足元にも及ばないことは分かってました。しかし彼女はその女性の中でもかなり優秀な部類だったと思います。私は分かりやすく動揺しました。そしてこう思ったんですね。
「そんな風に思ってるならもっと早く言ってよ!」って。
でも違うんですよね、相手からしたら言わなくてもやってよ!なんです。
言わなくても自分で考えて、相手の感情を推し量って、行動を起こしてよ!なんですよ。さらにはそんなこといちいち言わせないでよ!です。
もっと言えば、言われてやられたって意味がないのよ!です。
私は「優しいだけ」の男だったのです。
「思いやり」の正体
今書きました、相手の感情を推し量って行動を起こす。これが「思いやり」なのではないかと個人的には思います。お金を出すのも、感謝の気持ちを持って伝えるのも一応「行動」ですが、これは本当に相手の感情を推し量っての行動なのか?否ですね。きっと「ガゾリン代を出す」とか「感謝の言葉を言う」とかって自己満足でした。流石に100%自己満足とは言いませんが、少なくとも半分くらいは自分の罪悪感から逃れるためにやってたはず。それって言うまでもなく、思いやりとはかけ離れてます。そこには優しさすらないのかもしれない。しかも厳密に言えば「感謝の言葉を言う」は行動ではなく言葉です。当時の私はそれに気づいていなかった。お金を出してれば、感謝の気持ちがちゃんとあればいいと思っていました。でもそれは確実に違います。相手のことを思いやっているなら、そのガソリン代を使ってでもすぐにでも免許を取る。そして楽をさせてあげる。助手席にのってもらう。疲れた時は助手席で寝かせてあげる。お金を出すのも、感謝の気持ちを伝えるのも悪いことではなかったと思いますが、それだけでは相手の辛さの根本に寄り添えていなかった。運転すること、それだけが唯一相手を思いやる方法だった。だからこそ、相手の感情は溜まっていったんだと考えています。
LINEトークの例だと、彼女が熱を出して「無理しないでゆっくりしてね」これじゃ彼女はゆっくりできません。楽にもならない。家に行って、買い物をして、料理をして、掃除をして、保冷剤を取り替える。これで彼女はゆっくり療養が出来ます。体も楽になります。何より自分のためにここまでしてくれるんだって思う。「思いやり」を感じるんです。
もちろん、遠距離恋愛など物理的、経済的に根本に寄り添うことが難しいこともあるはずです。近くに住んでても自分のことで一杯一杯で、人に寄り添う元気がない時もあります。自分が1番大事ですから人間は。
ただ、その時やれる精一杯を注ぐ。熱の例で言えば、家に行って料理まではできなくても、ゼリーやポカリを送ることはできるかもしれない。つきっきりではいれられないけど、1時間くらいは身の回りのお世話をできるかもしれない。ベストな方法じゃなくても、きっとその精一杯は伝わります。
逆に言えば、精一杯じゃないことも伝わります。私がそうだったように。
そんな発見。
別に恋人に対してだけではないと思います。友人、家族、上司、部下 などなど。誰に対しても、思いやりをもてる人間に成長していきたい。