「~になります」という不自然な敬語

 最近「~になります」という表現が、まるで敬語のように使用されているように感じる。ただのYP用語かな?コンマイ語のせいでおかしくなったのかな?とか思っていたところ、パワプロアプリでも見られ(どちらもKONAMIだが)、どうやら誤用が遊戯王関係なく日本に広まっているようである。あまりに気になるし、他にブログのネタも無いのでここに記載することにした。正しい日本語・敬語の使用に関心をもっていただければ幸いである。


誤用例と正しい日本語


「こちらが優勝レシピになります!」

「~を解説した記事になります。」

「SR以上確定は~のガチャのみとなります。」

 上記のような誤用をよく見る。以上はすべて、「です」や「でございます」などにすればよい。それが正しいし、そうすればなんの問題もない。確かに「~になります」という日本語自体は存在する。しかし「~になります」はそもそも、変化を表す「~になる(成る、為る)」に丁寧語の「ます」をつけたものである。正しい使い方の例を以下挙げる。

「2022年4月から、王宮の勅命が禁止カードになります。」

「通行人はどいてた方がいいですよ。この町は戦場になりますから。」

上記のように一般的には、あるものが別のものへと変化する際に使用する。確かにややこしい例として「お世話になります」や「万引きは犯罪になります」、「頼りになります」といった正しい使い方もあるが、本論から話がそれてしまうので、ここでは触れないでおこう。

 反論として、上記正しい使い方の例も「です」に置き換えられるじゃないか!と言われそうである。しかし、「です」に置き換えると文章のニュアンスが変化する。置き換えられるかどうかが問題ではない。では一体どうして、何が問題なのか。次章で検討する。


どうして不自然・誤用と言えるのか


 判断根拠を成書で調べてみよう。明鏡国語辞典(北原保雄編、第三版、大修館書店、2021)で「なる」を引いたところ、例えば店員が客に対して「こちら~になります」というのは不自然な用法であると記載されている。また新社会人向けのビジネス書でも、NGワード・コンビニ敬語・バイト敬語などとしてよく取り上げられている(文献略)。ネットで検索すると山のようにヒットする。なお不自然とNG、誤(用)は、厳密には同義でないかもしれないが、いずれにせよ使うべきではないということであり、本記事では誤用と表記する。

 ピンとこない方は、冒頭の誤用例について「~になります」から「ます」を取り、「~になる」と置き換えてほしい。違和感があると思う。

 以上で最低限私が記事にしたかったことは書けた。小生は日本語・敬語を専門にしているわけではなく、これ以上細かく考察するのは難しいし、これ以上手間暇をかける気力もない。では以下何を書いているかというと、私の感想である。本記事はとどのつまり、正しい日本語を使用しようという意識が最近希薄になっており、またこの重要性や、その結果社会人になって引き起こされる事態もわかっていないと感じられ、これを危惧し警鐘を鳴らさんがために作成したものである。私が社会人になって失敗し、経験したことがもとになっている。


おまけ:なぜ不自然な日本語を使用するべきでないか


 このタイトルからして、面白味に欠け眠くなりそうな文章が以下続きそう、と思った方は上記疑問文に答えられるだろうか。色々意見はあるだろうが、いくつか私に主張させてもらいたい。

1.社会常識・社会人のマナーに欠け(ると思われ)悪い印象を与えるから

 社会人にとって社会常識、マナー、礼儀(以下マナー)はその人自身を写す鏡であり、非常に重要である。かつての私がそうだったように、これらのマナー、その重要性を認識していない社会人若手がいる。マナーはその人に対する印象を大きく左右する。マナーが悪いと周りから悪い印象をもたれ、また周りを不快にさせる。なお百歩譲って、仕事ができればそれをカバーできるかもしれないが、新社会人ではそれができずマナーの重要性は相対的に大きい。

 日本語を誤用している人を見ると、マナーがなっていない人、マナーを勉強していない人(マナーを軽視している人)という印象を受ける。み○ょぱ(タレント)が自分に対し「おっしゃって」と言うのを聞いた時には激萎えした。繰り返すが、社会においてマナーの良し悪しは人・人格の良し悪しと脳内でリンクしてしまう。それは偏見だとか、表層的な見方だとか言う意味は無い。ルールには従わざるをえない。

 言うまでもなく、日本語・敬語の使い方だけではない。どれだけ私が上司に「失礼だ」と言われ干されたことか。とにかく新社会人は、仕事だけでなくマナーもしっかり勉強してほしい。私のようにならないために。

 ところで、英語に敬語は無い、というのは嘘である。日本語の尊敬語・謙譲語・丁寧語にそれぞれ対応するものは無い、なら正しい。英文メール作成の本を読むと、依頼するときはへりくだる表現を使用せよ、とある。すなわち、上下関係は英語圏にも存在し、それを示す表現、すなわち敬語は存在している。英語圏では付き合いの長い上司を下の名前(first name)で呼んだりと、日本人から見れば多少フランクに見えるところはあるが、それは文化の違いである。縦社会で上下関係の中、皆生きているのである。


2.言語を正しく使用するのは当然だから

 「当然だから」と議論を放棄する言い方であるが、言語には文法その他ルールがあるのだから、そう言う他ない。というか、日本で生まれ日本育ち、日本語で教育を受けた日本人がなぜ日本語を誤用するのか。

 一応言っておくが、YP用語について非難するつもりはない。専門用語だからである。「~が板」や「~が丸い」といった表現は、日本語としては誤用とも言えるが、使用する人はその分野内に限られ、また分野外の人には使用されない。

 一方敬語は専門用語ではなく、日本語として普遍的なものである(方言といった地域差はここでは考慮せず標準語について議論する)。話す人も聞く人も、お互いが同一のルールのもと言語を認識しているから意思疎通できるのである。日本語は欧米の言語に比べ、語順が自由で主語もたいてい省略できたり、婉曲表現を多く使うなど、確かに曖昧な要素もある。しかし言語のルールが無いわけではない。意思疎通、ひいては人間関係をも円滑にするため、日本語を使うならそのルールを守らなければならない。

 中には、「言語は時代とともに変化するものだから、現在の言語ルールを絶対視するのはおかしい」と言う人もいるが、これは論理的におかしい。その主張を一般化すれば、「ルールは将来変化するから、今のルールを守る必要はない」、つまりはルールを守る必要はない、ということになってしまう。言語において、ルールを規定するのは時代であり、一個人ではない。文句を言うのは勝手だが、ルールから逸脱するのはただの身勝手、独りよがりにすぎない。

 以上偉そうに主張してきたが、私も完全に日本語をマスターしているわけではない。このブログとて、ブログだからという甘えもあり書いた後あまり見直さないので、添削されると赤字でいっぱいになるだろう。言い訳ではなく、私を含めて正しく日本語を操れない日本人が多数いるのはなぜかと考えると、日本の作文教育が疎かという要因はあるだろう。黒木登志夫氏や木下是雄氏の有名な著書、その他作文技術の本にも記載されている通り、欧米諸国と比して日本は作文教育を軽視している。ご存知の通り日本ではちょいちょい作文を書かされるものの、その後指導されることはない。入学のため作文を求められた際か、大学・大学院で論文を書く際に初めて指導されるくらいである。一方欧米諸国では小学校からきっちり作文指導をされるという。大学には作文(academic writing)指導専門の部署があるし、フランスでは入学試験として長い作文が課せられ(バカロレア)、徹底的に作文のトレーニングを受ける。文化の差はあるにせよ、日本のあってないような作文教育では、まともに日本語を使えない日本人が量産されるのも当然に思える。はてさて、この先どうなりますことやら。


しめ


 日本語の誤用は他にもたくさんあります。ご存知の通り、ら抜き言葉、二重敬語をはじめとする誤った敬語などです。いつだったか、ドン・○ホーテの店内放送で、「~させていただいております」と流れていました。三重(さんじゅう)敬語まで出現したかと驚愕しました。

 特に社会人になろうという人、新社会人にとって、この記事が日本語・マナーの重要性に興味を持つきっかけになれば幸いです。社会人になって干されないよう、気を付けて!

おわり