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【SH考察:103】「黒き死の病」は身体の黒変を意味しない

Sound HorizonのMärchen及びそのプロローグにあたるイドへ至る森へ至るイドでは、黒死病と呼ばれる恐ろしい病の存在が垣間見える。

この「黒死病」という名称に対して、日本ではしばしば「感染者の身体が黒くなるから」という由来が語られるが、それは誤りだ。
今回はなぜ誤りと言えるのか、また本来の意味を解説する。


対象

  • Prologue Maxi イドへ至る森へ至るイドより『光と闇の童話』

  • 7th Story Märchenより『宵闇の唄』

考察

黒死病=ペストである前提は変わらないのだが

先に言っておくと、歌詞中の「黒き死(の病)」がいわゆる黒死病、つまりペストであるという認識自体は変わらない。

何故なぜ コノ村ニハ 今 誰モイナイノ?)  (――其れは 昔 皆 死んじゃったからさ>
<ジャ…何故なぜ 昔 村人 皆 死ンジャッタノ?)  (――其れは 黒き 死の 病 のせいさ>

Sound Horizon. (2010). 光と闇の童話 [Song]. On イドへ至る森へ至るイド. KING RECORD.

黒き死を遡るかのように、旋律は東を目指す

Sound Horizon. (2010). 宵闇の唄 [Song]. On Märchen. KING RECORD.
※書き起こしのため誤差がある可能性あり

14世紀にパンデミックを起こしたペストのことを黒死病と呼ぶ。ペスト自体は傷口や粘膜からペスト菌に感染することで発症する病だ。

つまり歌詞中に登場する「黒き死(の病)」がペストであるという定説は揺るがないし、そこを覆す気はない。

今回話したいことは、「黒き」が視覚的に認知した色由来で発生した表現ではないということだ。

中世当時の「ペスト」の認識

中世の、というよりはそれ以前もだが、かつて猛威を奮った病はペストであれそれ以外であれ、現地では大雑把に「恐ろしい病」「災厄」と呼ばれた。これらの語彙はドイツ語でPestと言う。

そしてPestは広義では「伝染病」などざっくりした意味だが、狭義で疾病の中でもペスト菌から発症する「ペスト」を表すようになった。

図:コトバンクの「Pest」の意味解説記事のスクリーンショット
出典:株式会社DIGITALIO. 「Pest(ドイツ語)の日本語訳、読み方は」. コトバンク. https://kotobank.jp/dejaword/Pest, (参照 2024/06/15)

今ほど医学が発達していない過去の時代では、各疾病を細かく見分けることはできていなかった。そのためペスト菌から発症するPestおそろしいやまいとそうではないPestおそろしいやまいがあった。

表:「ペスト」と呼ばれた流行病の歴史年表(筆者作成)

たとえばローマ帝国で165年頃流行した「アントニヌスのペスト」。
これはマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝というやたら長い名前の皇帝の治世に流行った病だ。
現代ではこの「ペスト」はペスト菌から発症するペストではなく、天然痘か何か他の病だったと考えられている。

図:ドアを叩く死の天使(J. ドローネーの版画を基にルヴァスールが制作)
道端にたくさんの病人が倒れている様子が描かれている。
出典:See page for author, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

ペスト菌による「ペスト」の流行として記録に残る限りの最古のものは542年頃の「ユスティニアヌスのペスト」だ。
ここから断続的に続く感染の波を第一次大流行として、20世紀までに第三次大流行まで発生したと考えられている。

このように、現代ではPestという語彙をそのままに、ペスト菌から発症するPestペストとそうではないPestおそろしいやまいが存在することになっている。ややこしい話だ。

「黒死病」と呼ばれた理由

14世紀にパンデミックを起こした「ペスト」は、結果的にはペスト菌から発症するペストの第二次大流行だった。
ただやはり当時の人々はペスト菌由来かどうかなどわからなかった。そして「黒死病」という呼び名が広く定着したのは18世紀以降のことだ。

もともと、死やその恐ろしさを「黒」という比喩で表す風習は古くからあり、ペストに限らず恐ろしい病全般がしばしば「黒死病」と呼ばれることがあった

たとえばはるか以前である1世紀頃には、ローマ帝国の小セネカ(皇帝ネロの家庭教師だった人物)は悲劇『オイディプス』の中で「黒死病」という表現を使った。これは病気の致死性と予後の悪さに対する表現と考えられている。

つまり、14世紀のペスト感染によって体が黒ずむから黒死病と呼ばれるようになったという説は後付けだ。

確かにペストの中でも敗血症性ペストの場合、皮下出血や臓器からの出血で赤黒い発疹ができたり、四肢末端の壊死が起こったりすることで、身体に黒くなる箇所が現れる。
しかし敗血症性ペストはペストの中でも1割程度であり、残りの腺ペスト・肺ペストの方が多い。
ましてや敗血症ペストだとしても、全身が真っ黒になるというわけではない。

そのためペスト流行期でも、病状から色を視認したうえで黒死病という呼び方が定着することはなく、あくまで「恐ろしい病」だった。
18世紀になってからその恐ろしさを昔からある黒に例えた表現で定着させたに過ぎない。

英語版やフランス語のWikipediaではこの歴史的な変遷を説明している。その一方で、日本では日本語版Wikipediaのみならず厚生労働省の検疫所のサイトですら「皮膚が黒くなって亡くなるため、『黒死病』として恐れられてきました」と述べている。
誤った俗説の流布になってしまうため、修正したほうが良いのではないだろうか……。

図:厚生労働省検疫所のペスト情報ページのスクリーンショット
出典:厚生労働省. 「ペスト(Plague)」. 厚生労働省検疫所FORTH. https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/name37.html, (参照 2024/06/15)

結論

「黒き死の病」とは、中世当時の人々の視点では、「身体が真っ黒になって死んでしまう病」という意味ではなく「死という恐ろしい事態を引き起こす大いなる病」という意味だった。

黒は感染者の見た目の話ではなかった。
その感染者が瞬く間に亡くなってしまう、そして感染が爆発的に広がっていくことに対して、遺された人が感じた恐ろしさや不安という、いわば心の中に広がっていく闇のこと。それを自然と黒という色に例えた表現だ。

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サムネイル:
ピーテル・ブリューゲル作『死の勝利』1562年
Pieter Brueghel the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons

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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。

𝕏(旧twitter):@lizrhythmliz

更新履歴

2024/08/10
 初稿
 小セネカの話加筆

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