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【SH考察:091】黒狐亭のスパイとしての役割
Sound HorizonのMärchenの『黒き女将の宿』では、かなり不審な女将が登場したり、唐突に主人公の田舎娘が吊られたりと、不自然な点が多い。
これらは中世当時の「宿屋」であり「酒場」の機能を知ることである程度解消できる。
今回は中世の史実から、田舎娘に何が起きたのかを探る。
対象
7th Story Märchenより『黒き女将の宿』
※コミカライズ作品『新約Märchen』のネタバレを含む
考察
そもそも「宿屋」か
この曲の主人公である訛りの強い少女も、黒狐亭の女将も、本名が明かされていない。そのため、本記事では前者を田舎娘、後者を女将と呼ぶ。
年齢不詳。性別も不詳。出遇えば不祥。正に人生の負傷。
胡散臭い女将が、夜な夜な暗躍する宿屋。
その名を【黒狐亭】という!
舞台となる黒狐亭は、このように宿屋と表現されているが、これは現代の宿泊施設をイメージすると実態とは異なる。今でいう居酒屋・酒場に宿泊機能が付随したものという方が当時の実態に近い。
実際、黒狐亭の客も明らかに宿泊ではなく飲食を目的に来ていた。客が来て早々に、女将が宿泊ではなく温い麦酒(ビール)を勧めていた点がわかりやすい。
中世の農村にある酒場はかなりの兼務状態で、酒場であると同時に宿屋であり、集会場であり、結婚披露宴場であり、簡易裁判所ですらあった。民衆が集まって話し合ったり意見を言い合う場として幅広く使われていたのだ。
なお、街中であればより設備の整った宿屋もあった。ただ黒狐亭のある場所は田舎呼ばわりされているため、酒場と宿屋を兼業しているような上記で説明したタイプの形態だろう。
「いやぁ、こんな田舎でこんな料理が食えるとは!はははは!」
「こんな田舎で悪かったな」
※書き起こしのため誤差がある可能性あり
田舎娘の台詞の違和感
この業務形態をふまえると、田舎娘が客に対して言い返したときの台詞に違和感が生じる。
「こら!おいおい、どうなってるんだ!仮にもここは酒場だろ?」
「あんれぇ、何馬鹿なこと言ってんだぁ?ここは宿屋だぁ、すまねぇなぁ」
※書き起こしのため誤差がある可能性あり
「仮にもここは酒場だろ?」という客の台詞は正しいはずだが、田舎娘は「ここは宿屋だ」と言い返している。この否定と反論は本来不要だ。酒場であり宿屋なのだから。
つまり彼女(と客)にとっては、あえてこの不自然な会話をする必要性があったのだと考えられる。
そこでひとつ、当時の酒場にもう一つ重要な役割があったことを考慮に入れたい。
スパイの存在
今でも仕事終わりに居酒屋で愚痴を言い合うサラリーマンはいると思う。当時も同じで、民衆は酒場に集まって日々の不満や噂話を話し合っていた。さらに宿屋機能もあるのだから、外部からの宿泊客からの情報も入ってきやすい場所だった。
そこで酒場は、そのようにして集まってくる情報から反乱を起こし得る人物がいないかを探り、適宜その土地の領主にその情報を横流しする絶好の場所だった。要するに酒場にはスパイが潜んでいたのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1713612616469-XUWnrs9sGT.png?width=1200)
ちなみにピーテル・ブリューゲルの息子もまたピーテル・ブリューゲルであるため(父)をつけた。
出典:Pieter Brueghel the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons
この絵はまさにそのような当時の酒場らしい酒場の様子が描かれている。
これは結婚宴会場として使われている様子だ。人々が集まってワイワイガヤガヤ騒がしそうだが、画像右端の黒い帽子の人物(一説ではブリューゲル自身とも言われる)と、その左隣の白い頭巾の人物(修道士?)が2人でコソコソしている。
花嫁は緑の幕の正面にいる女性なので、花嫁も演奏中の楽器隊も運ばれる料理も無視している修道士の姿勢は結構不自然だ。
ブリューゲルは農民の日常の絵を数多く残しており、このような不自然な人物が紛れている酒場が当時普通にあり得ることだったと言える。
これをふまえて、先ほどの田舎娘の不自然な対応を思い出したい。
つまり少なくとも田舎娘はスパイで、客は領主の手先で、不自然な会話は情報授受相手かどうか確かめる合図ではないかということだ。
女将と宗教改革者
田舎娘のみではなく女将もまたスパイと考えると、女将の話はかなり重要度と深刻度の高いものに聞こえる。
「薹が立って久しい、クソババアが独り。
図太く生きてゆくには、綺麗事ばかりじゃ・・・・・・ないわよっ!」
「愛した男は、皆儚く散った。
運が悪いのか、時代が悪いのか・・・・・・」
「嗚呼【Mäntzer】は気高く、
【Hutten】は華麗で、
【Sickingen】は、嗚呼、誰よりも――」
激しかったわ♡
女将が表向き一介の民衆として生活していても、実際には生き残るために民衆を裏切ってスパイとして領主の味方をしていたならば、「綺麗事ばかりじゃない」生き方だろう。
「運が悪いのか、時代が悪いのか」と言う気持ちもわかる。女将が進んでやりたくてやったことではなかったのだと感じる。
名前が挙がっているミュンツァー、フッテン、ジッキンゲンは3人とも宗教改革に関わった人物で、支配階級よりも低い身分で反乱を企てた者達だ。そして1523~1525年という短い期間で3人とも亡くなっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1713658193451-KTbYJokTzI.png?width=1200)
出典:左から
Christoph van Sichem, Public domain, via Wikimedia Commons
Erhard Schön (ca. 1491-1542), Public domain, via Wikimedia Commons
AnonymousUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons
トマス・ミュンツァーは秘密結社を作ったり、ドイツ農民戦争の発端となった一揆を先導したりと、当時の領主や支配階層から見れば反乱を起こす危険因子と見なされるような存在だった。
しかし諸侯たちの勢力に敗れ、1525年に斬首刑で死亡した。
ウルリッヒ・フォン・フッテンは騎士身分で、聖職者の腐敗を批判する書簡を著した。後述のジッキンゲンと共に騎士戦争という反乱を起こしたが鎮圧され、スイスに逃亡したが、やがて1523年に梅毒で死亡した。
フランツ・フォン・ジッキンゲンも騎士身分で、フッテンと共に騎士戦争に参戦。しかし1523年、ナンシュタインという場所で要塞が突破され致命傷を負い、降伏。翌日死亡した。
もし彼らが女将の酒場で気高く・華麗に・激しく持論を語るなどして、その反乱の兆しを見せていたのであれば、女将はその話を領主に密告しただろう。
身に覚えのない罪
最終的に首を吊るされて死んだ田舎娘の言い分に対して、Märchen von Friedhofはこのように声を掛ける。
成程、それで君は吊るされたわけだね? 残念ながら身に覚えのない罪で。
それが事実であれ、虚構であれ、奪られたものは取り返すものさ。
さぁ、復讐劇を始めようか。
※書き起こしのため誤差がある可能性あり
「身に覚えのない罪」が「事実であれ虚構であれ」というのは、田舎娘がスパイであることを見抜いたからこその発言だろう。
民衆にとってのスパイ行為は悪、支配階級にとっては善だろう。田舎娘にとってスパイ行為が罪という自覚があったかどうか定かではない。また実際には罪の自覚があったとしても、身に覚えがないと嘘を吐いたかもしれない。
彼女の首を吊らせたのは誰だったのだろうか。
民衆にスパイ行為がバレたとして、私刑にあったのだろうか。それとも支配階級に見切りをつけられて用済み扱いで罪に問われたのだろうか。どちらにせよ、生きるためにやったことで結果的に吊られるはめになったのは、あまりに世知辛い話だ。
結論
中世の酒場は宿屋を兼ねており、様々な情報が集まる場所だった。それゆえ不平不満の話が発展し反乱因子ともなり得たため、支配階級は酒場兼宿屋にスパイを送り込み、その反乱因子を見つけ出すのに利用していた。
『黒き女将の宿』の女将と、そこに売り飛ばされてきた田舎娘は、そのようなスパイとして世渡りしていたのだろう。
女将は生き残り、田舎娘のみが罪に問われ吊られてしまった理由は不明だが、このような人生を送ることになったのはこの時代特有の事情が影響していたことがわかる。
なお、Märchenを鳥飼やすゆき先生の解釈でコミカライズした作品『新約Märchen』における『黒き女将の宿』で、スパイをしていた女将をさらにスパイする田舎娘という設定になっている。今回取り上げた史実を参照したのかもしれない。
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サムネイル:
作者名不明の騎士を取り囲む反乱農民を描いた版画 1539年
User Rosenzweig on de.wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons
参考文献:
池上 正太(2016). 『図解 中世の生活』. 新紀元社
H. C. パイヤー(1997). 『異人歓待の歴史: 中世ヨ-ロッパにおける客人厚遇、居酒屋そして宿屋』. ハーベスト社
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
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更新履歴
2024/05/18 初稿