Sound Horizonの楽曲のひとつ『硝子の棺で眠る姫君』は、日本でポピュラーなグリム童話『白雪姫』がモチーフであることは明白だ。
しかし、『白雪姫』の原作を読んでいる人は案外少ないのではないだろうか?ディズニーの物語や、児童向けに簡単な和訳に置き換えられたもので覚えていたり、またそもそも幼少期に読んで以来で細部の記憶がうろ覚えな人もいるだろう。
今回は原作と比較しながら、『硝子の棺で眠る姫君』の理解を深めていこうと思う。
対象
考察
雪白姫と白雪姫
『硝子の棺で眠る姫君』のモチーフ、元ネタは言わずもがな白雪姫だ。
日本ではグリム童話の中でもかなり有名な方に入る話だろう。
日本語では「白雪姫」と言うが、原題のドイツ語を直訳するなら「雪白姫」のほうが語順としては正しい。
方言のためにドイツ語の綴りが何パターンかあるのだが、原題のSneewittchen、方言のSchneewittchen、Schneeweißchenなど、いずれも雪+白+ちゃん(雪のように白い子)という構成だ。
Snee/Schneeが雪、witt/weißが白、chenが「~ちゃん」と呼びかけるときにつける語だ。
『硝子の棺で眠る姫君』ではSneewittchenかSchneewittchenと発音しているように聞こえる。
雪白姫の容姿
姫の容姿についての比喩として使われている真雪の肌・黒檀の髪・血潮のような唇は、グリム童話でも実際に用いられている表現だ。
王妃のインスピレーションの受け方が斬新。
ちなみに、黒檀は古くから木材として活用される木の総称で、エボニーとも呼ばれる。名前の通り黒っぽい色合いの木材だ。
ヨーロッパではなくアジアやアフリカで取れる木材であるため、それらの国との交易がある時代であることが読み取れる。
生母と継母
グリム童話の第2版以降では、この斬新インスピレーション王妃は娘を出産した際に亡くなってしまう。一方初版では死んでおらず、引き続き生き延びる。
これにより、初版か否かで、その後姫に辛くあたる王妃が姫から見て実母か継母かという差異が生まれている。
『硝子の棺で眠る姫君』では、姫に嫉妬する王妃は継母だ。
つまりこの点から、『硝子の棺で眠る姫君』はグリム童話の初版ではなく、第2版~第7版(決定版)の設定が採用されていることがわかる。
(そのため本記事で引用するグリム童話は第7版にしてある)
7の倍数の年齢による変化
『硝子の棺で眠る姫君』では雪白姫の年齢は明らかにされていない。しかしグリム童話では、継母より美しくなったときは7歳だったことが明示されている。
18世紀頃、7歳、14歳は節目の年齢と考えられていた。グリム兄弟が初版を出す18年前、1794年に成立したプロイセン一般ライン法では、7歳までが保護されるべき子供、それ以降は14歳までは後見(サポート)を要する年齢ではあるが、保護されるべき子供とはみなされなくなっていた。
つまり雪白姫の設定としては、子供ではなくなるタイミングで、継母によって辛い試練が訪れたことになる。まるで大人になるための通過儀礼かのようだ。
『硝子の棺で眠る姫君』でも、姫の年齢は同様に7歳ととらえて良いのではないだろうか。
「娘に成った」という表記にしてある点にその意図を感じる。「成る」は其れまでと異なる状態になることや、ある時期に至ることを意味する。保護がいる子供ではなくなるタイミング、転換期、節目が来たという意図ではないだろうか。
姫を殺す手段
ここから姫が森に逃げ、狩人に見逃してもらい、7人の小人の家に辿りつくところは大幅な差異はない。
強いて言うならば『硝子の棺で眠る姫君』では小人の持ち物などの設定がいくつか省略されているくらいだ。
継母は姫が生きていることに気づき、継母は姫を仕留めようと策を練る。
グリム童話では、毒林檎による殺害は3回目のチャレンジで、その前に2回殺害を試みていた。
腰紐を売るフリをして、紐で締めあげる
櫛を売るフリをして、毒を仕込んだ櫛で頭を突き刺す
そのたびに姫は策にハマるのだが、小人による発見が早かったことで助かった。
『硝子の棺で眠る姫君』ではここまで詳細には描かれていないが、設定は踏襲しているようだ。
ストーリーコンサートでは、このセリフをしゃべっている間の演出に、先ほどの2つの未遂事件が取り入れられている様子が見られた。
7つ目の罪は蜜の味
既に2回殺されかけたので、姫は警戒心を持っていた。
が、林檎の誘惑に負けたのと、老婆(に扮した王妃)が自ら林檎の半分を食べたため信用してしまう。
この流れは原作を踏襲している。
『硝子の棺で眠る姫君』特有の表現としては「7つ目の罪」だろうか。これはあえて付け足された要素に感じる。
この曲でやり玉に挙げられた罪状は嫉妬だ。
これは主にカトリック教会で用いられている七つの大罪の概念に含まれる。
ただし七つの大罪は最初から七つの内容が固まっていたわけではなかった。
最初は八つだった上に嫉妬は含まれていなかった。
悲嘆と怠惰が入れ替わったり、最初にあった傲慢が一度消え、いつの間にか復活したりなどあるが、嫉妬は6世紀に新しく追加されて以来ずっと大罪扱いされている。
そのため新規追加という意味では、嫉妬は7番目に採用された罪と言えるのかもしれない。
かわいそうかもしれない王子
グリム童話の王子は、死体"だけ"しか目に入らない男というわけでもなさそうだ。
現に、姫が息を吹き返したことに喜び、生き返ったばかりの姫に求婚している。
より現実的に考えるならば、そもそもこのような王侯貴族の男性が、愛という感情を重視して結婚相手を決めるというのは近代の価値観であることを念頭に置かねばならない。
中世の頃の王侯貴族にとっての結婚は、法律による権力と財力の強化手段だった。愛情は一切無視で、身分や家柄が釣り合う者同士が政略的に結婚することで、互いにメリットを生み出していた。
おそらくグリムはこの童話をまとめ上げるにあたり、この中世的な価値観を幾分か忍ばせている。
この後場面が姫と王子の結婚式になるが、二人の愛の誓いや幸せそうな描写、祝いの場の豪華さなどには一切触れられていない。そこにあるのは継母への復讐の描写ばかりだ。
「世界中の何よりも愛している」と言いつつ、愛の描写はそこにしかない。
彼にとっての姫は、死んだままなら愛玩具、生き返ったならそれはそれで政略的に利用価値のある者という価値観でもおかしくはない。
では、『硝子の棺で眠る姫君』の王子はどうかというと、死体愛好家というガッツリ特殊性癖の設定を付与されている。
原作では死体"も"愛せるし死体以外にも価値を見出せる男だったが、死体"しか"愛せない男にされてしまった。ある意味一番かわいそうかもしれない。
ちなみに、拷問(というか処刑)として継母が焼けた靴を履かされる点は原作踏襲だ。
結論
グリム童話の『雪白姫』と『硝子の棺で眠る姫君』を比較したうえでの後者の特徴として目立った点は大きく2点。
7つ目の罪としての「嫉妬」の強調
王子が死体しか愛せない点
前者はMärchenのストーリーや曲のモチーフとして良いとして、後者はただただ王子が不憫。
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参考文献:
野口 芳子(2016). 『グリム童話のメタファー 固定観念を覆す解釈』. 勁草書房
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
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更新履歴
2024/04/06
初稿
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記