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【SH考察:109】死せる英雄達の戦いはいつ起きたのか?
Sound Horizonの6番目の地平線Moiraにて、エレフセウスとレオーンティウスはイーリオンという地で直接対決にもつれ込む。
このイーリオンは、日本ではトロイアという名前で知られる地の別名だ。そしてトロイアではかつて実際に戦争があったのでは?という説が考えられている。
そのため、現実においてトロイア戦争がいつ頃起きたのかを考えることによって、それを参考にしたであろうMoiraもいつ頃を舞台としているのかを推定できるのではないだろうか。
対象
6th Story Moiraより『死と嘆きと風の都 -Ιλιον-』『死せる英雄達の戦い -Ηρωμαχια-』
考察
イーリオンとトロイア
繋いだ手と手 駈け抜ける風の都
降り注ぐ星屑 夕闇の風の都
嘆きと死の城壁 聳え立つ風の都
振り返る背後に 遠離る風の都
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり
作中たびたび登場する、このイーリオンという地名は実在する。
日本ではトロイアとかトロイ、トロヤ、イリオスなどといった表記の方が有名かもしれない。これらは全て同じ場所を指す。なぜこのようにバリエーションが豊富なのかというと、時代と言語と方言の影響だ。
大雑把に分けると「トロイア」系の呼び方と「イリオス」系の呼び方があり、どちらも神話上の登場人物トロースとイーロスに由来する。それがさらに方言や言語で発音や表記の分岐が起きたり、隣接する民族間での言語接触の影響を受けたりしながら、細部が少しずつ変化している。
![](https://assets.st-note.com/img/1726709978-PeCSwakM3HY1yiXvxBcmuRE2.png?width=1200)
今回は、Moira作中の風の都のことは「イーリオン」、現代にまで遺跡が残る実在の都市を「トロイア」と呼び分ける。
トロイアとはどのような都市か?
Moira作中のイーリオンという都市自体、それからイーリオンで戦うというシチュエーションは、明らかに現実に残るトロイア遺跡やトロイアにまつわる伝承・記録を参考にしているように見える。
順を追って、まずトロイア遺跡とはどのような遺跡なのかを見ながら、作中のイーリオンを比較してみよう。
トロイア遺跡とはアナトリアと呼ばれる地域、ヨーロッパとアジアを繋ぐため小アジアとも呼ばれる地域にある遺跡だ。今はトルコの国土になっている。
![](https://assets.st-note.com/img/1714373049292-aZzt4n1oFg.png)
アナトリアの西端に存在している。
出典:Crop/edit: UploaderOriginal: See template below., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
古代ではギリシャ系民族と異民族の境になるような地理環境だったため、衝突が起きる地でもあった。
Moiraの話をすると、イーリオンから逃げ出したエレフ・ミーシャ・オリオンの3人は直後に嵐のため海に投げ出され、離れ離れになる。そのうちミーシャがレスボス島に辿りついている。
実際の立地を見てみると、確かにレスボス島はアナトリアのすぐ南に位置している。
(現代ではアナトリアはトルコ、レスボス島はギリシャと国が違っているが)
トロイアから南下すると、レスボス島まで直線距離で10kmの地点もある。
それでも子供の身体で嵐で荒れた海に投げ出されて生き残ったならば奇跡だとは思うが……。
実在の遺跡に話を戻そう。
遺跡は1870年頃からハインリヒ・シュリーマンなどによって発掘された。
それまで『イリアス』をはじめとする叙事詩で語られてきたトロイア戦争はあくまで伝説・架空の物と考えられていた。しかし彼はトロイアが実在すると考え、本当に掘り当てたのだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1722140493294-57ge0OI1B7.png)
出典:Photograph: Ed. Schultze Hofphotograph Heidelberg Plöckstrasse 79, Public domain, via Wikimedia Commons
トロイア遺跡の全容が見えてくると、様々な時代の都市が幾層にも重なっていることがわかった。
一番上の層はギリシャがローマに支配された後の層、一番下は新石器時代まで遡る古い層だ。
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![](https://assets.st-note.com/img/1722140665131-UBqVGRoQlB.png?width=1200)
Ⅰ~Ⅸ、つまり1~9層まであることが描かれている。
出典:User: Bgabel at wikivoyage shared, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
![](https://assets.st-note.com/img/1722140792083-DdREoQswBF.png?width=1200)
Ⅰ~Ⅸ(1~9)まで重なったり少しズレたりしながら存在している。
出典:Bibi Saint-Pol, Public domain, via Wikimedia Commons
遺跡には石を積み上げられて造られた城壁が残っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1714373803802-debY2mmoQT.png?width=1200)
後青銅器時代のものと推定されている。
出典:CherryX per Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ここにどれくらい奴隷が投入されたかは定かではないものの、実物を見てからMoiraの『死と嘆きと風の都』の建造描写を聴くとリアリティを感じざるを得ない。
壁石を運ぶ者 乾いた音に打たれ
医師を叫ぶ者 地に臥して虚しく
(中略)
遺志を継げる者 奴隷の替え数多
縊死を遂げる者 冥府への逃避行
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり
このように、トロイアは石積みの城壁があり、レスボス島に近く、ギリシャ系民族と異民族との狭間にあった。
作中のイーリオンの舞台は現実のトロイアをモデルにしていると考えてよいだろう。
トロイア戦争
シュリーマンを焚き付けた『イリアス』を始めとする、古の叙事詩に登場する戦争。増えすぎた人口を憂いた神が引き起こした戦争。神も人間もギリシャ側とトロイア側に分かれて参戦した戦争。それがトロイア戦争だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1722136162803-pyCmGQeq6k.png?width=1200)
緑がギリシャ側、黄色がトロイア側。
出典:Pinpin (talk · contribs), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
さらにこの争いには異民族も関与したとされる。
アマゾンの女王ペンテレイシアはトロイアを支援し加勢、ギリシャ側からすると敵方として参戦した。
(そしてギリシャ側の英雄アキレウスに討たれた)
![](https://assets.st-note.com/img/1722141226281-HIzrUQl19Y.png?width=1200)
この二人は絵やレリーフなど様々なところで題材になっている。これは神殿の大理石の彫刻。
出典:British Museum, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
Moiraの『死せる英雄達の戦い』は明らかにトロイア戦争を意識しているだろう。
レグルスは東夷に備えろ
ゾスマは北狄に備えろ
カストルは聖都へ供を
我等【雷神に連なる者】 皆生きてまた逢おうぞ!
※Ηρωμαχιαの意味は「英雄の戦い」Ηρως(英雄)+μαχια(戦い)
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり
「私を置いて逝くな! 許さんぞ! レオンティーウス! うっ!」
※Ηρωμαχιαの意味は「英雄の戦い」Ηρως(英雄)+μαχια(戦い)
※書き起こしのため誤差がある可能性あり
作中のイーリオンがギリシャ勢力下にあるという点はトロイア戦争と異なるが、ギリシャvs異民族という勢力図や、アマゾンの女王の加勢という類似点は無視できない。
しかしトロイア戦争について、神の参戦はさすがに眉唾というか、後世の人が話に背びれ尾びれを大量に付けて誇張したことだろう。
そもそも、ホメロスが紀元前8世紀に『イリアス』を詠った時点で既にトロイア戦争は古の戦争だった。
つまり、仮にトロイア戦争が実際に起きたことだったとしても、『イリアス』時点でその時代にウケるような改変や装飾がなされていた可能性が高い。
実際、『イリアス』は鉄器時代に作られたものであるため、それ以前の青銅器時代の出来事のはずのトロイア戦争に鉄器時代の風習が混ざっているといった改変が確認されている。
ではそのような誇張表現を削ぎ落した後に残るトロイア戦争は、実際にあった出来事だったのだろうか。
それがわかれば、『死せる英雄達の戦い』の想定時期にもつながるかもしれない。
記録と遺跡から見るトロイア戦争
トロイア自体のことやトロイアで起きた戦争については、古代ギリシャの叙事詩や記録と、ギリシャから見れば他民族の言葉であるヒッタイト語やルウィ語の記録、そして遺跡から情報を拾ってくることができる。
![](https://assets.st-note.com/img/1722142041549-G9n24uBFTF.png?width=1200)
紀元前1200年頃は青銅器時代後期。
ギリシャはミケーネ文明(Mycenaean)。アナトリアはヒッタイト(Hittites)が国を築きヒッタイト語を使用していたが、南側ではルウィ語という似ているが別の言語が使われていた。
出典:GeaCronの図に一部加筆
この情報については、それこそ一冊の本になっているほどに量が膨大であるため詳細は割愛する。
ただ、トロイア戦争と呼べそうな事象は少なくとも2度以上あったこと、そしてトロイア遺跡の第7a層(紀元前1300年~紀元前1200年)は戦争によって破壊されたであろうことが推定されている。
そのため、トロイア戦争のモデルとなった何らかの戦いは青銅器時代の後期に起こったのだろう。
結論
かつて青銅器時代後期にトロイアで何らかの戦いが起きた。
そしてそれが時代が下るにつれて脚色され、叙事詩で語られる「トロイア戦争」になった。
それを参考にしてイーリオンでの「死せる英雄達の戦い」が創造された。
つまり「死せる英雄達の戦い」は現実に置き換えると、青銅器時代の後期、暗黒時代の前であろうと考えることができる。
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サムネイル:
フランツ・フォン・マッチュ作「アキレウスの勝利」1892年
Eugene Romanenko, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
参考文献:
エリック・H・クライン著, 西村賀子訳(2021). 『トロイア戦争:歴史・文学・考古学』. 白水社
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更新履歴
2024/09/21 初稿