【SH考察:080】Moiraの神々とギリシャ神話の神々の比較
Sound HorizonのMoiraにおいて、様々な神の名が登場する。
舞台は古代ギリシャのような世界であるため、実際のギリシャ神話との関連性が気になるところだ。
今回はMoiraの神々を実際のギリシャ神話と比較しながら理解を深めようと思う。
対象
6th Story Moira全曲
考察
Moiraの神々
Moiraの世界には30柱以上の神の存在が確認できる。
この神々にどのような特徴があるのか、実際のギリシャ神話の神々と比較しながら見ていくことで、その世界観の理解の一助となりそうだ。
神の名の綴りと発音
別記事でも触れた話だが、念のためこちらでも触れておく。
ギリシャ語は、同じ意味の単語であっても、古代と現代で発音(と一部綴り)が変わる。
発音の違いについて最もわかりやすいのがアルバムタイトルでもあるMoiraだろうか。
現代人が古代に書かれた叙事詩を読んでいるという体裁であるため、『神話 -Μυθος-』以降Moiraはすべて現代ギリシャ語読みである「ミラ」と発音されている。
一方で、叙事詩を読み始める前である『冥王 -Θανατος-』では古代ギリシャ語読みである「モイラ」と発音されている。
発音だけではなく綴りもよく見ると変わっている。
Moiraをギリシャ語で書き表した場合、Μοῖραの場合は古代ギリシャ語の綴り。Μοίραの場合は現代ギリシャ語の綴り。
今回、後半で神の名の綴りを推測していくが、原則古代ギリシャ語の綴りで記載する。
ただし、一部の神が明らかに古代に存在しなかった名詞が由来になっている場合があるため、その際には現代ギリシャ語の綴りで記載する。
神の性別
神の中でも性別の概念はあるようで、神と女神で呼び分けられている。
これは神の名の由来となった名詞の、文法上の性に由来しているようだ。
ギリシャ語の名詞には性という概念があり、名詞を男性名詞・女性名詞・中性名詞に分けることができる。
神の名に使われている言葉のうちいくつか例に挙げると、太陽(古Ἥλιος/現Ήλιος)、風(古Ἄνεμος/現Άνεμος)、光(古Φῶς/現Φως)は男性名詞。月(現Φεγγάρι)、海原(海、θάλασσα)、火(現Φωτιά)は女性名詞だ。
中性名詞由来の神が神だったり女神だったりという揺らぎはあるものの、男性名詞から女神になったり、その逆はないようだ。
神と眷属
Moiraの『神話 -Μυθος-』にて、神々が生まれる様子が描かれているが、神そのものが生まれたとされる場合と、神の眷属が生まれたとされる場合があった。
例えばこの部分。
洗い出すと、大地女神・海原女神・天空双神は、神そのものではなく神の眷属が生まれたと描写されている。
この場合の眷属とは、一族の意味。
眷属という言葉自体には、神に仕えるもの、従属するもの、配下にあるものというような、上下関係を思わせる意味合いもあるが、おそらくここではあてはまらない。
この部分は英語で述べられており、その際「~の眷属」が「the relatives of」と聞き取れる。
relativesは親族や身内の意味だから、上下関係というよりは一族の意味を表したかったのだろうと推測できる。
つまり、たとえば朝神と夜女神が、大地女神とその仲間たちを産んだという意味で良いのだろう。
Moiraの神々一覧
ではここから、Moiraの神々について個別に触れていこうと思う。
いったん、綴りと読みについて一括で表にしたものを載せておく。
💀01. 死神タナトス
綴りは古/現Θάνατος(「死」を表す男性名詞)、のはず。
ただ歌詞カードなどの表記『冥王 -Θανατος-』を見ると、2文字目の上にアクセント記号がない(άではなくαになっている)。
しかし調べた限り、タナトスという単語の綴りはアクセント記号がつくはず(Θάνατος)。なぜない…?
タナトスについては既に過去記事でしっかりめに触れているため、ここでは簡略した内容にとどめる。
Moiraの世界では、冥王はその通り冥府を支配する王のような位置づけだが、これは実際のギリシャ神話とは異なる。
実際のギリシャ神話におけるタナトスは死神で、冥府の王ハデスのもとに死者の魂を送り届ける者だ。
タナトスは死そのものを神格化したものとされている。
そのため、後世に生まれた精神分析学の用語でも取り入れられ、タナトスは「死の衝動(死に向かおうという欲から生まれる衝動的な行動)」の意味を表す。
🎵02-04. 創世の三楽神ミューズ
Moiraの世界では、リスモス・メロス・ハルモニアの3柱をまとめて創世の三楽神というようだ。英語ナレーションではミューズ(ムーサの複数形)と発音されている。
ムーサ・ミューズは実際のギリシャ神話にも登場するが、Moiraの神々とは大きく異なる。
相違点として、まずムーサは全員女神だ。
そして人数が定まっておらず、時代や誰が取りまとめたかによって含まれる女神の人数も名前も変わっている。
さらに、彼女たちは音楽のみではなく芸術全般を司っていた。
そのため主にヨーロッパで話される言語では、ムーサは音楽や美術館・博物館という単語の語源になっている。
英語ならばMusa⇒musicやmuseumという関係性だ。
Moiraの創世の三楽神が男女混ざっており、かつ3人とも音楽にまつわる神という点で、実際のムーサ達とは違いがある。
02. 長兄神リスモス
綴りは古Ῥυθμός/現Ρυθμός(「リズム」を表す男性名詞)。
リズムは音楽の3大要素の一つとされている。
男性神であることからわかるとおり、実際のギリシャ神話にはもちろんミューズに含まれず、他の神でも相応の神は存在しない。
03. 次兄神メロス
綴りは古Μέλος(「メロディー」「グループの一員」を表す中性名詞)。
メロディーも音楽の3大要素の一つとされている。
現代ギリシャ語でもΜέλοςという単語はあるが、どちらかというと「グループの一員」の方の意味の方が強そう?
中性名詞の神は、性別を自由に設定しているのだろうか。
メロスは男性扱いのようだが、この後登場する月(中性名詞)由来の月女神は女神だ。
これまた長兄神と同じく実際のギリシャ神話には登場しない。
04. 末妹神ハルモニア
綴りは古Ἁρμονία/現Αρμονία(「ハーモニー」を表す女性名詞)。
明らかにハルモニアと発音されているため、彼女については古代ギリシャ語に近い読み方にされているようだ。
ハルモニアは実際のギリシャ神話にも登場する女神の名前だが、その設定は大きく異なる。
調和(ハーモニー)を司るという点では共通しているが、リスモスやメロスという兄はいない。またミューズでもない。
🌄05. 朝神ヘリオス
綴りは古Ἥλιος(「太陽」を表す男性名詞)。
太陽神とは古代ギリシャ語か現代ギリシャ語かの違いのみで、同一の単語が時代か進むにつれて発音が変わったにすぎない。
この影響で、朝神と太陽神は作中屈指のややこしい名前の神になっている。
実際のギリシャ神話にもヘリオスという太陽神が存在する。
そもそもヘリオスが「太陽」という意味の一般名詞で、太陽を神格化した存在だ。
Moiraで朝神をヘリオスと呼ぶことが、他の神の名付け方から見るとやや変則的に感じられ、これによってややこしさが生まれている。
🌃06. 夜女神ニュクス
綴りは古Νύξ/現Νυξ(「夜」を表す女性名詞)。
ニュクスは実際のギリシャ神話にも登場する女神。夜を神格化した存在とされる。
ただし親子関係はMoiraとは異なる。Moiraでは長兄神と末妹神が交わり生まれたとされるが、実際の神話ではカオスという、神話の中でも原初から存在する全ての神々の祖となる神から生まれたとされる。
🌞07. 太陽神イリオス
綴りは現Ήλιος(「太陽」を表す男性名詞)。
朝神の項目で触れたが、ヘリオスとイリオスは古代か現代かで読み方が変わっているだけで、単語としては同じもの。ややこしい。
ここの「太陽」の発音が演出上ハッキリしていないため、ややこしさを助長している気もする。
神の名前に合わせるならば、ここはイリオスと発音しているはず。しかし、私には最初がエ段の音に聞こえるが子音が曖昧に聞こえる。そのため、エに近い音でイリオスと発音しているようにも、ヘリオスと発音しているようにも聞こえる。
🌕08. 月女神フェンガリ
綴りは現Φεγγάρι(「月」を表す中性名詞)。
Φεγγάριは古代ギリシャ語には無い単語であるため、現実への忠実さという観点からは、神の名としては違和感がある。
Φεγγάριは古代ギリシャ語のΦέγγος(月や星の光の意味)に由来している現代ギリシャ語だ。
ただフィクションの話なので、その点は許容すべきだろう。
🌎09. 大地女神ゲー
綴りは古Γῆ/現Γη(「大地」「地球」「世界」を表す女性名詞)。
大地女神と「世界」「地球」は規模感が乖離しているように感じられるかもしれないが、これは実際のギリシャ神話に設定を寄せていると思えば自然だ。
実際のギリシャ神話にもゲー(ガイアという呼び方の方が一般的)という女神がいる。
同じく大地を司る女神とされるが、ガイアは世界の始まりから存在する原初の神で、世界そのものの象徴であるため、文字通り大地、陸のみの神という意味ではない。
また、設定としてはガイアに寄せているが、親子関係は異なる。
Moiraでは朝神と夜女神の間に生まれたとされているが、実際のギリシャ神話ではカオスから生まれた。
なお、Moiraでは厳密には大地女神"の眷属"が生まれたとされるため、ゲーという女神単体だけではなく、眷属となる神域も?同時に生まれたのかもしれない。
また『神話 -Μυθος-』で大地女神と地女神が、表記が異なるにもかかわらず同じ発音になっている。
🌊10. 海原女神サラサ
綴りは古Θᾰ́λᾰσσᾰ/現Θάλασσα(「海」を表す女性名詞)。
ハルモニアとは異なり、こちらは現代ギリシャ語発音になっている。
実際のギリシャ神話でのタラサは、海そのものを神格化した原初神で、天空神アイテールと昼女神ヘーメラーの間に生まれたとされるため、Moiraでの太陽神と月女神から生まれたという設定とは異なる。
⛅11. 天空双神ウラノス
綴りは古Οὐρανός /現Ουρανός(「空」「天」を表す男性名詞)。
実際のギリシャ神話にもウラノスという天空を神格化した存在はいるが、単一の神で、特に双子らしき描写はない。
原初の神々の王で、ガイアから生まれ、のちにそのガイアとの間にたくさんの神をもうけた。
Moiraでの『神話 -Μυθος-』での描写で、天空双神に関する描写の解釈が悩ましい。
他の「眷属が生まれた」の描写は全て、「(親となる神)conceived
the relatives of(生まれた神)」という言い回しで統一されている。
訳すと「(親となる神)は(生まれた神)の一族を生み出した」という意味だ。
しかし、天空双神の部分のみ「The Mother herself conceived Ouranos(母なる者は自分自身で天空双神を生み出した)」となっており、眷属にあたる語が含まれていない。
つまり、記述とナレーションで微妙に意味合いが変わっている。
そのため、母なる者は天空双神だけを生んだのか、大地女神や海原女神と同様に、その神域も?生み出されたのかがわからなくなっている。
🌈12-17. 詩女神六姉妹
彼女たちについては以前別記事でまとめて触れているため、今回は割愛する。
🌬️18. 風神アネモス
綴りは古Ἄνεμος /現Άνεμος(「風」を表す男性名詞)。
Moiraではアナトリアを眷属とする神。
神域で傷害?殺人?が起きて穢されたことに怒り、雨女神と交わって嵐女神を生み嵐を起こした。
古代ギリシャでは実際、特に神殿の中での殺人は重罪というかもはや禁忌レベルだった。
フィクションにどこまで当てはめるかにもよるが、その設定を持ち込んだ場合、仮に変態神官が死んだ場所が神殿内であれば、エレフは当時の最大の禁忌を犯した超絶激ヤバ重罪犯ということになる。
(神殿の外でも、神域と呼ばれる範囲内であればその時点でだいぶヤバイ)
追手が必死に追いかけるのも当然で、アネモスがブチ切れるのもまた当然となる。
(ちなみにこの場合、ミーシャを殺したスコルピオスも当然重罪人になる)
実際のギリシャ神話では、少し音が違うがアネモイという風の神達がいる。
4柱の上位アネモイと4柱の下位アネモイがいる。
⚔️19. 戦女神マッケー
綴りは古Μᾰ́χη/現Μάχη(「戦い」を表す女性名詞)。
現代ギリシャ語では発音がマヒーに近くなるが、ここでは古代ギリシャ語よりに発音されているようだ。
Moiraではトラキアを眷属としており、おそらく民衆から一定の信仰があったはず。
その点実際のギリシャ神話とは異なり、実際の神話でもマッケーという戦いの女神がいる。
ただ不和と争いの女神エリスの娘で、兄弟達も紛争やら虚言やら殺戮やらを司っており、全体的に不穏。人々にとっての災いを神格化した存在。
あまり信仰されるような存在ではなかった。
🔥20. 火女神フォーティア
綴りは現Φωτιά(「火」を表す女性名詞)。
Moiraではマケドニアを眷属としている。
古代ギリシャ語には存在しない単語なので、当然実際のギリシャ神話には登場しない。
✨21. 光神フォス
綴りは古Φάος/現Φως(「光」を表す中性名詞)。
Moiraではアイトリアを眷属としている。
実際のギリシャ神話には登場しない。
📕22. 智女神デュナミス
綴りは古Δύναμις/現Δύναμη(「力」を表す女性名詞)。
古代ギリシャ語では「権力」や「価値」といった意味もあるが、現代ギリシャ語では軍事や物理的な「力」の意味合いが強まる。
単語そのものの意味では「智」女神という位置づけとは乖離を感じるため、おそらくこれはアリストテレス哲学の概念から意味を取ってきている気がする。
アリストテレス哲学でのデュナミスは、能力や可能性のような意味合いで使われている。
💧23. 水神ヒュドール
綴りは古Ὕδωρ/現Ύδωρ(「水」を表す中性名詞)。
この神についてはヒュドールかヒュドラか諸説あるが、おそらくヒュドールで良いと思う。
ὕδραは古代ギリシャ語で「うみへび」の意味だが、実際のギリシャ神話に登場した場合は神ではなく怪物として描かれている。
複数の頭を持つ大蛇として描かれることが多い。
またὕδραは女性名詞。
水神が女神として扱われていないことからも、読みはヒュドラではなくヒュドールで良いだろう。
⚡24. 雷神ブロンディス
Moiraの世界ではアルカディアを眷属とする神。
もとになった単語は現βροντή(「雷」を表す女性名詞)だろう。
ただし神の名とは語尾が異なる上に、女性名詞だ。あえて男性名詞になるように語尾を調整したように感じられる。
☔25. 雨女神ブロヒ
綴りは古/現Βροχή(「雨」を表す女性名詞)。
実際のギリシャ神話には登場しない。
👩26. 美女神カーラ
綴りは古Καλη(「美女」を表す女性名詞)。
発音はカリまたはカレのほうが近いように感じるが、他にそれらしき単語がないこと、『聖なる詩人の島 -Λεσβος-』ではカーラと歌っているように聞こえることから、この単語でカーラと呼んでいるのだろう。
実際のギリシャ神話にも、美の女神のひとりとして、この綴りのカレという女神は登場するものの、おそらくその女神を意識した名づけではなく、あくまで一般名詞の「美女」という意味から名を借用したのだと思われる。
Moiraで美女神が登場する部分は1か所のみで、その部分で「腕白き」という形容詞が用いられている。
この「腕白き」という枕詞は、実際のギリシャ神話ではヘラという女神に使われる。彼女は神々の中でも最高位に君臨し、女王のような立場にいる、結婚や出産などを司る女神だ。
もし実際の神話のカレを意識していた場合、別の女神をイメージさせる「腕白き」という枕詞は付けないだろう。
「腕白き」という、ギリシャ神話っぽさを感じさせる言葉の選び方をしつつ、名前の方はあくまで一般名詞の借用とみる方が実態に合っているように思う。
🌟27. 星女神アストラ
綴りは古Ἄστρα/現Άστρα(「星」を表す中性名詞)。
実際のギリシャ神話にはアストライアという「星の乙女」という意味の名を持つ女神は存在する。
ただしMoiraの方では明らかに「アストラ」と発音しているため、実際のギリシャ神話準拠ではなく、あくまで「星」という一般名詞から名を借用したのだろう。
🌀28. 嵐女神シエラ
おそらく綴りは古/現Θύελλα(「嵐」「暴風」を表す女性名詞)。
実際のギリシャ神話には登場しない。
結論
Moiraに登場する神々の名前を見て、発音が古代よりだったり現代よりだったりと揺らぎが見られたり、古代にない単語由来の神がいたりと、実際の古代ギリシャそのものやギリシャ神話を完全に踏襲するつもりではないことが理解できる。
その一方で、「腕白き」というギリシャ神話以外では見ないような枕詞を使っていたり、神域で襲われかけていたミーシャではなく殺人の方を重視して風神がブチギレていたりする点は、実際の古代ギリシャの風習に寄せているようにも見える。
このあたりで、古代ギリシャらしさと、フィクションらしさの絶妙なバランスをとっているのだろうと感じた。
ちなみに古代ギリシャ研究家の藤村シシンさんが以前この点についてX(旧Twitter)で、史実との距離感の丁度よさみたいなところをくみ取ったような主旨のコメントをされていた。
―――
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
更新履歴
2024/03/02
初稿
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記
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