【SH考察:015】老人と三姉妹はなぜイベリアを流浪しているのか
Sound Horizonのシングル『聖戦のイベリア』は、宗教間の争いを老預言者と三姉妹が見届けるという視点で描かれている。
ではなぜ、彼ら4人は流浪の旅路を歩んでいるのだろうか?なぜ争いの当事者ではないのか?
これらを、イベリア半島での宗教観と、彼ら4人の立場から整理することで明らかにした。
対象
Story Maxi 聖戦のイベリア
考察
同じ「神」を信じる者達
キリスト教とイスラム教、そしてユダヤ教は、同一の「神」を信仰している。
もともと古くからユダヤ教があった。その「神」について、イエス=キリストによる教えに従う者をキリスト教徒、預言者ムハンマドの教えに従う者をイスラム教徒と呼ぶ。
同じ「神」を信仰しているため、古い伝承はユダヤ教・キリスト教・イスラム教のどれにも共通する要素が多い。
例えば、人類の起源、すなわち人類最初の男女や人類最初の殺人について、ほとんど同じ内容を共有している。
『争いの系譜』で述べられている内容がそれにあたるのだが、下記に補足する。
人類の起源、アダムとイヴの誕生
キリスト教とイスラム教に共通する伝承のひとつ。
人類最初の男がアダム、最初の女がイヴ。
ただその二人が生み出される過程は、キリスト教とイスラム教で細部が異なる。
キリスト教の場合は、アダムは土から生み出され、イヴはアダムの肋骨から生み出された。
イスラム教の場合は、アダムは一滴の精液から生み出され、その妻はイスラム教ではハッワーと呼ばれる。
そのため、両宗教に共通する伝承ではあるものの、曲中ではどちらかというとユダヤ教やキリスト教に寄せて、旧約聖書をベースに述べられている。
(というか、英語ナレーションで「The Old Testament's Story」とハッキリ言っている。旧約聖書はユダヤ教やキリスト教の聖典)
楽園からの追放
ここはキリスト教でもイスラム教でもほぼ同じ。
アダムとイヴはエデンの園と呼ばれる楽園で過ごしていた。
2人は知恵の木の果実を食べることを禁じられていた。
しかし、ある日蛇(に憑依した悪魔、キリスト教ではサタン、イスラム教ではシャイターン)が2人をそそのかし、2人は禁断の果実を食べてしまう。
これにより2人には知恵がつき、自分が裸なのを恥ずかしがるようになった。
2人は罰として楽園から追放される。
アダムは生きるための労働、イヴは出産の痛みを背負うことになる。
(ちなみに蛇も罰を受けて、手足がなく腹ばいで地を這うはめになる)
アダムとイヴの子、カインとアベル
アダムとイヴは楽園から追放された後、息子を二人を産む。それが兄カインと弟アベルだ。
カインは農耕、アベルは羊を飼うことにした。
ある日、兄カインは収穫物を、弟アベルは子羊を神に捧げたところ、神はアベルの子羊だけを受け取った。
そのことに怒ったカインはアベルを殺してしまった。
ここまでは主に『争いの系譜』で描かれた描写。その名の通り、人が争い合うに至るまで(人類最初の殺人が起こるまで)を、伝承に従って描いている。
啓典の民
前述の通り、キリスト教とイスラム教は同じ「神」を信仰し、同じ伝承をもつ。
そのため、イスラム教徒はキリスト教徒を「啓典の民」、つまり同じ啓典(聖典)を持つ者として、存在を認めている。
※そうではない信徒もいるかもしれませんが、「啓典の民」は広く浸透する概念であるため上述のように書きました。様々な宗派があり、すべての信徒にあてはまるとは断言しません。
人類の敵シャイタン
聖戦のイベリアに登場するシャイタンは、それが本名ではないようだ。
ライラにとって聞きなれない響きの名前だったため、勝手に悪魔と呼んでいるに過ぎない。
そのため、シャイターンが本当に悪魔なのかはわからない。
だが、最終的に彼は人類の敵となる。
これはイスラム教における悪魔の像に非常に近い。
悪魔の存在自体は、ユダヤ教・キリスト教ではサタン、イスラム教ではシャイタンという発音で存在する。
ユダヤ教・キリスト教においては、サタンはどちらかというと神に敵対する者という位置づけだが、イスラム教では人間に敵対する者という位置づけだ。
そのため、本当は悪魔ではなかったのかもしれないが、結果的にライラの知っている悪魔の像に非常に近い存在になっている。
故郷を追われたヘブライ(ユダヤ)人
聖戦のイベリアの一連の物語を語り歌う4人。
離散の老預言者サァディ、流浪の三姉妹サランダ、トゥリン、エーニャ。
彼らはキリスト教にもイスラム教にも肩入れせず、ただその歴史を見守り、歌い継ぐ存在である。
なぜ彼らがそうしているかというと、おそらく今回争っているキリスト教徒でもイスラム教徒でもないからだ。
ただ、サァディと三姉妹でもまた立ち位置が異なる。
立ち位置が最もわかりやすいのはサァディだ。
彼はユダヤ人である可能性が高い。
サァディの名前は「צ」と書き、ヘブライ語で数字の90を表す。
ヘブライ語とは、ヘブライ人(=イスラエル人、ユダヤ教を作った人々。後にユダヤ人と呼ばれる)の使用言語。
ユダヤ人は祖国を追われ、ヨーロッパ中に離散し広まった。中でもイベリア半島には多くのユダヤ人が定住した。
サァディもそのうちの一人だったのだろう。
『争いの系譜』で、英語ナレーションで離散の老預言者のことを「The diaspora ancient oracle」と表現している。
diasporaとは直訳すると民族離散のこと。特にユダヤ人に対して使われることが多い表現だ。
(ancientは「古い」「老齢の」、oracleは「預言者、神託を伝える人」)
『争いの系譜』で、人類誕生の伝承が旧約聖書をベースに語られていたのも、サァディが知っている内容がそれだったからだと考えられる。
争っている張本人たちの宗教とは異なるが、同じ神を信じる者として争いの歴史を見守っているのだろう。
少数民族ロマ
流浪の三姉妹は、サァディからさらに一歩引いた視点をもつ。
彼女達はヘブライ人(ユダヤ人)ではなく、少数民族であるロマ族である可能性が高い。
ロマ族は国を持たず、インドからヨーロッパ広範囲を移動し、やがてそのうちの一定数がイベリア半島に定住した。
彼女たちの名前はロマ語由来だ。意味はそれぞれ、Sarándaが数字の40、Trinが3、Enjáが9。
『争いの系譜』で、英語ナレーションで流浪の三姉妹のことを「gitana sisters.」と表現している。
gitanaとは、ジプシー(定住しない民族)の女性のこと。ロマ族も含まれる。
彼女たちの服も、カルメンを踊るロマ族に似ていると思う。
コンサート衣装が分かりやすいが、メダルみたいな丸い金属っぽい飾りをたくさんつけていた。
参考:
ただし、三姉妹ともに体に記している文字は、ヘブライ語での数字。
(サランダがמ、トゥリンがג、エーニャがט。いずれも名前と同じく、順に40、3、9の意味)
サァディを先生と呼んでいることもあり、ロマ族ではありつつも、サァディ及びユダヤ教に一定の尊敬に近い思いはあるようだ。
実際、ロマ族は定住先の宗教に改宗する者も多い。
なお余談だが、三姉妹の名前の由来はバルカン・ロマ語だという話を目にすることが多いが、これはなぜだろう。
ロマ族は広範囲に分散しているため、方言がある。その一種としてバルカン・ロマ語はあるが、バルカンとはギリシャがあるあたりだ。イベリア半島からはかなり離れており、あえてこの地の方言に絞り込む必要性はないように思う。
標準ロマ語と言っていいのかわからないが、バルカンとつける必要はないのではないだろうか?
結論
人類同士で争い合うのは古くから始まったこと。避けられないものではあったかもしれない。
だからこそシャイターンは、争い自体を止めるのではなく、自らが人類共通の敵になって、人類同士の争いを止めさせるという、多大なる自己犠牲に走ったのだろうか。
シャイターンを封じたかつての人類は、きっと協力し合ったはず。
それが忘れ去られてしまったのは……人類は愚かな行為を繰り返す、悲しいものだと感じさせる。
サァディは争う宗教と同じ神を信じる者として、近いが一歩引いた目線で。
三姉妹はサァディを師と仰ぎつつ、異なるルーツを持つことからさらに一歩引いた目線で。
それぞれの目線で争いの歴史を見届けているようだ。
ちなみに、彼らが眺める歴史を地図を使って解説した記事はこちら。
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
更新履歴
2023/04/26
初稿
2023/04/28
「人類の敵シャイターン」追加
2023/05/02
歌詞引用元表記修正
2023/05/07
ロマ族の娘(コンスタンチン・マコフスキー作)追加
2023/05/13
ユダヤ人・ロマ族の分布地図追加