【SH考察:087】グリム童話との比較による『薔薇の塔で眠る姫君』の特徴発見
Sound Horizonの楽曲のひとつ『薔薇の塔で眠る姫君』は、グリム童話『茨姫』がモチーフだ。日本ではペロー童話としての『眠れる森の美女』としてのほうが知名度が高そうではあるが。
今回は『硝子の棺で眠る姫君』と同様に、原作と比較しながら、『薔薇の塔で眠る姫君』の理解を深めていこうと思う。
対象
7th Story Märchenより『薔薇の塔で眠る姫君』
考察
『眠れる森の美女』と『茨姫』
『薔薇の塔で眠る姫君』のモチーフは、グリム童話のタイトルで言うならば『茨姫(ドイツ語:Dornröschen)』だろう。
DornröschenはDornとRöschenを合わせて作られた語だ。
ただこの物語は、日本では一般にペロー童話のタイトルである『眠れる森の美女(フランス語:La Belle au bois dormant)』として知られていると思う。
成立時期はペロー童話が17世紀末でより早く、19世紀に童話をまとめていたグリム兄弟も、この物語はペロー童話からの引用であることは認識していた。
グリム兄弟は『茨姫』のもととなる民話を、マリー・ハッセンフルークという女性から聞き取っていた。彼女の弟がグリム兄弟の妹と結婚したため、家族ぐるみの付き合いがあったようだ。
このマリー自身は神聖ローマ帝国のヘッセン、要するに現ドイツで暮らしていたが、彼女の母親は宗教迫害を受けてフランスからドイツに逃れたフランス人だった。
そのため彼女は、グリム兄弟が民話を集めるより前にフランスで既に成立していたペロー童話の『眠れる森の美女』を母親から聞いたことで知っており、その内容をグリムに語ったと考えられている。
この民話を聞き取ったグリム兄弟の兄ヤーコブは、ペロー童話の引用であることをはっきりと初稿にメモとして残していた。
しかし弟ヴィルヘルムがこの話をドイツ化した。つまり外来語をドイツ語に置き換えたり、古くから伝わる神話の要素を盛り込んだりした。
そのような過程を経てグリム童話として決定版にまで生き残ったのが『茨姫』というわけだ。
姫の誕生を告げる生き物
『薔薇の塔で眠る姫君』では、カエルが王妃に対して姫の出産を予言する。
これはグリム童話でも同様の表現がある。ただしカエルになったのは第3版からで、それより前はザリガニだった。
この点から、『薔薇の塔で眠る姫君』はグリム童話の第2版以前ではなく、第3版~第7版(決定版)の設定が採用されていることがわかる。
(そのため本記事で引用するグリム童話は第7版にしてある)
戦犯国王
『薔薇の塔で眠る姫君』で、姫の父である国王は、姫の誕生を祝う宴を催す。ただし黄金の皿が12枚しかなかったからという理由で、国内の賢女13人のうち、ひとりアルテローゼだけを除け者にしてしまう。
はっきり言ってしまえば、この国王の対応が悪すぎたことが事件の根本的な原因だ。
皿を1枚増やすなり、全て別の皿に変えるなりして13人全員を呼ぶとか、やむを得ず一人を招かないにしても事前に手回しをしておき、別の機会でより良い待遇をしておくとか、アルテローゼの機嫌を損ねず穏便に済ませる方法はあったはずだ。
それを怠りアルテローゼを蔑ろにした国王が諸悪の根源だろう。
もちろんアルテローゼも、国王ではなく罪のない生まれたばかりの赤子に呪いをかけた点は非道であり、抗議するにしてもより正当な手段はあったはず。その点は擁護できない。
しかし、アルテローゼはまず先に不当な扱いを受けた被害者であり、やはりまずは国王に非があると考えている。
そしてこの国王の杜撰な対応は原作の踏襲だ。
賢女からの贈り物
『薔薇の塔で眠る姫君』で招かれた賢女達は、お祝いの品として様々なものを姫に贈る。ただしそれは物品ではなく、概念的というか、属性的なものだった。
ここの描写は原作と少し異なる。
最初の3人が贈ったものと順番は同じだが、その後4人目~11人目までの対応が違う。
原作では、賢女のうち11人目までは贈り物をし終えており、姫は11種類の力を受け取ることができた。
しかし『薔薇の塔で眠る姫君』では、4人目が贈る途中でアルテローゼが乱入したため、この4人目は贈ることができていない。
(コンサートでも明らかに杖での術が未完成で崩れている)
そのため、姫が受け取れたのは3人目までの贈り物だ。原作より数が減ってしまっており、より不憫。
アプリコーゼとアルテローゼ
原作では賢女たちの名前は明かされない。そのため『薔薇の塔で眠る姫君』で12人目のアプリコーゼと13人目のアルテローゼという名が出てきた点は特徴的だ。
12人目のアプリコーゼは、推測だがおそらく遊び心で、彼女の声を担当した井上あずみさんにちなんでつけられた名前だろう。
(あずみ→アンズの実→アンズはドイツ語でaprikose)
担当する歌手の名前をもじってキャラクター名にするパターンは、他にもたびたび見られた。
どちらかというと、13人目のアルテローゼの方が物語としては重要度が高い。
彼女の名前を英語読みするとオルドローズであり、『エルの絵本【魔女とラフレンツェ】』に登場する王国を追われた隻眼の魔女と同じ名前だ。
アルテローゼの神通力は明らかに強く、アプリコーゼももとの呪いを帳消しにするのではなく、「百年眠る」というかなり重い内容で上書きすることでなんとか最悪の事態は免れたという様子だった。
この点から、招かれなかったアルテローゼは招かれた賢女と同等かそれ以上の力を持っており、賢女たる実力に不足があったから招かれなかったわけではないことがわかる。彼女が招かれなかった理由が彼女自身にないのだ。
姫の年齢
少しややこしい話をする。
グリム童話では、姫が眠りについたのは14歳の時であり、生まれてから15年目になったときだ。
13人目の賢女が呪いをその時期に発動するようにしかけたからだ。
15歳ではなく15年目に、と言っている。
年齢で考えるとわかりにくいかもしれないが、例えば会社に入った初年は1年目というだろう。同じように、生まれて最初の1年は0歳だが1年目だ。
つまり「生まれてから15年目に」というのは14歳になったときにという意味になる。
ここは翻訳ソフトを介して適当に読むと、文脈を読み取っているのか「15歳に」と訳されてしまうことがある。ただ、実際には上記の通り14歳だったはずだ。
グリム童話では『茨姫』に限らず、女の子の主人公が14歳に設定されるケースが多い。
これは14歳までは後見人が必要な年齢だが、15歳以上からは大人とみなされる時代背景があり、14歳という年齢は大人になる前の最後の年で、大人になるための試練が課される年齢として象徴的だったからだ。
そのことをふまえた上で見ると、『薔薇の塔で眠る姫君』の姫が眠りについたのが15歳(16年目)とされた点は意図的だったのだろうか?
姫が生まれて間もない、つまり0歳のときに、アルテローゼが余命十五年と言い、眠りにつくことになった日の朝に姫自身も齢十五の朝と言っていることから、明らかに彼女は15歳だ。
正直なところ、私はこの変更に意味を見いだせていない。むしろ14歳のままで良かったのではないかとすら思っている。
Märchenでは7という数字がとにかく強調されている。7の倍数でありグリム童話の時代背景的に重要な14歳という年齢を差し置いて、あえて15歳にする理由の見当がつかない。
幸運な王子
『薔薇の塔で眠る姫君』では王子が現れ、眠る姫に近づいていく。
どんな困難も乗り越えて見せようとは言っているが、実際のところ特に苦労することは無かった。城の方が勝手に道を開けてくれたからだ。
王子からすれば運命の相手という思い込みを強める一因になったかもしれないが、実際のところおそらく運命でもなんでもなく、彼はただ運が良かっただけだだろう。
もともとこの呪いはアプリコーゼの上書きの影響で、百年眠る呪いとなった。つまり、百年経ったら勝手に呪いは終了する。
グリム童話ではこの点が割と露骨にわかる。
省略したが、これ以前にもいろいろな王子が城への侵入を試みていたが茨に阻まれていた。
この王子が入れたのは「百年が経ち、眠りについた姫が再び目覚める日がやってきた」からであり、呪いが発動した時点で、姫が眠りに落ちる日と同時に目覚める日もまた決まっていたのだ。
そのタイミングにたまたまこの王子があたっただけ、いわば運が良かっただけということだ。
アルテローゼに傲慢の罪はあるのか
グリム童話では、王子のキスで姫が目覚め、二人は盛大に結婚式を挙げていつまでも幸せに暮らしましたとさ、というハッピーエンドで終わる。13人目の賢女の顛末は一切描写がない。
つまり当然復讐の描写もないわけで、『薔薇の塔で眠る姫君』の結末は非常に独創的だ。
復讐を遂げただけならば、従来の結末にさらに溜飲も下がる要素が加えられて大団円だったのかもしれないが、アルテローゼが転んでもただでは起きない女だったため大団円にはならなかった。
前述の通り、アルテローゼはオルドローズであり、捨てられたラフレンツェを育てた人物だ。
つまり辿っていくと、国王の杜撰な対応のせいでアルテローゼがブチギレ、姫は100年も眠る羽目になり、偶然タイミング良くやってきた王子と結婚し子宝に恵まれはしたが、その子を捨てることとなったわけだ。
アルテローゼは別に最初は野薔薇姫そのものを恨んでいたわけではなかっただろう。自分に惨めな思いをさせた国王に怒っていたはずだ。
おそらく野薔薇姫に矛先が向いたのは、姫がアルテローゼを傲慢呼ばわりしたせいだろう。
傲慢とは、思い上がって他人を見下すことだ。しかしアルテローゼは思い上がっていただろうか?
賢女13人のうち彼女が除け者にされた理由は、彼女の振る舞いに一切関係ない理由だった。彼女は不当な扱いをされた側であり、傲慢ではなかったはずだ。
(だからと言って抗議の仕方がやりすぎだった点は別問題ではある)
その状態で、人前で傲慢呼ばわりされたのだ。姫に矛先が向いたのはそのせいだろう。
結論
グリム童話の『茨姫』にしろ、それをモチーフに作られた『薔薇の塔で眠る姫君』にしろ、諸悪の根源は国王だ。
彼が13人目の賢女に配慮した対応をしていれば、賢女は"魔女化"しなかったのではないだろうか。
この曲は傲慢の罪でアルテローゼを断罪し復讐する話として創られているが、傲慢だったのは国王ではないだろうか?
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参考文献:
野口 芳子(2016). 『グリム童話のメタファー 固定観念を覆す解釈』. 勁草書房
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
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更新履歴
2024/04/20
初稿
2024/05/15
歌詞引用元の表記修正