【SH考察:094】Moiraの世界にElysionはあるのか
Sound Horizonの世界・地平線の中でも、Moiraは群を抜いて古い時代をテーマにしている。明らかに古代ギリシャがテーマだが、古代ギリシャと言えば別の地平線で題材になった死者の楽園エリュシオンが想起される。
しかしMoiraの中でエリュシオンへの言及はない。そこで今回はMoiraの世界観にエリュシオンがあるのかないのかを考えてみた。
対象
6th Story Moira
考察
古代ギリシャの中でも具体的にいつか
古代ギリシャと言ってもその期間は非常に長い。それこそ旧石器時代にギリシャで人類が生活を始めてからローマ帝国に支配させる紀元前1世紀まで、トータル200万年くらい含もうと思えば含められてしまう。
ただ作中の青銅から鉄への移り変わりを考慮すると、暗黒時代と呼ばれる記録の乏しい時期(紀元前12世紀~紀元前8世紀)に入る直前ではないかと推測できる。
詳細は別記事にまとめたため今回は省略するが、紀元前12世紀末であると推測できる。
古代ギリシャ人的な死後の世界観
もともとギリシャ神話では、死後は皆冥府に送られて影のような存在になると考えられていた。魂というものは無く、生前の行動の善悪も関係なく、人は死んだら冥府で影となって終わるというとらえ方だ。
一方で、ピタゴラス教やオルフェウス教と呼ばれる宗教的な派閥では、人には魂があり、輪廻転生するという考えがあった。つまり人は生まれ変わる可能性を持ち、生前の行動の善悪によって死後に行ける世界も変わるというとらえ方だ。
そしてエリュシオンは英雄など神に祝福された者のみが死後に行ける楽園とされたが、このエリュシオンという概念が活性化したのはピタゴラス教やオルフェウス教の影響が大きい。
エリュシオンっぽさがないMoira
ではMoiraの世界観にエリュシオンの概念があるかというと、無いように感じる。
根拠は3つある。
ピタゴラス教やオルフェウス教と時代が合わない
死が平等
雷に打たれることが祝福になっていない
1. ピタゴラス教やオルフェウス教と時代が合わない
先ほど触れたこの2つの宗教はどちらも紀元前6世紀~紀元前5世紀に盛んだった宗派だ。
ピタゴラスは「ピタゴラスの定理」に名を残している通り数学者や哲学者として有名だが、ピタゴラス教の教祖でもある。
彼自身は文字を書かず自著を残していないことや、教団が外に教えを洩らさなかったため、詳しい教義は明らかになっていない。ただ弟子の記録や伝記から、輪廻転生の考え方を有していたことはわかっている。
オルフェウス教は神話に名がある詩人オルフェウスを開祖と見なしている宗派だった。オルフェウスといえば死んだ妻エウリュディケを連れ戻しに冥府に行ったが連れ戻せなかった話が有名だ。
この冥府と地上を往来している、というか生きながら冥府に行った上に戻って来れている点が特徴的だ。
こちらの宗派もまた輪廻転生の考え方をしていたことがわかっている。
ピタゴラス教と同時期に存在していたため、互いに影響し合っていた可能性があるが、前述の通りピタゴラス教の教義が秘匿されていたため、実際どれくらい影響があったかは定かではない。
重要なのは両派が普及していた時代で、それが紀元前6世紀~紀元前5世紀であるため暗黒時代(紀元前12世紀~紀元前8世紀)からさらに200年以上時代が進んでいる。
その頃は鉄が既に普及しているはずで、青銅からの移行に着目するMoiraの時代設定の方が昔になり、エリュシオンの考え方が発展する以前になってしまう。
2. 死が平等
Moiraでは冥王タナトスが死に関して以下のように述べている。
もしエリュシオンの考え方があるならば、ここで挙げられている例のうち聖者や勇者は明らかにエリュシオンに行くべき人間だ。それにもかかわらず平等性を明言しており、これはむしろピタゴラス教・オルフェウス教成立以前の古代ギリシャの死生観に近い。
3. 雷に打たれることが祝福になっていない
エリュシオンという語は古代ギリシャ語で「雷に打たれる者」という意味がある。天から落ちて来たものに非常に低確率にあたって死ぬという様を、神に祝福されて招かれたと考えられていたようだ。
Moiraでは神託で雷に対する言及があり、レオーンティウスとイサドラが雷に打たれ死ぬ場面があった。
(厳密に言うと、後者はレオーンティウスの雷槍を使って殺したことの比喩表現の可能性もある。映像化されたストーリーコンサートでは槍に加えて天から雷も落ちていた)
雷神域の英雄であるレオーンティウスと、彼を庇うという英雄的な行為をとったイサドラはエリュシオンに行くのに相応しいように感じるが、雷はあくまで「世界を統べる王と成る」ためのキーであって祝福ではない。しかもこの神託は、最終的に雷槍を奪ったエレフセウスに対する神託であり、レオーンティウスとイサドラの死については副産物だ。
この点から、彼らの死はエリュシオンがある世界観には合わない。
存在に言及がないオルフェウス
ここまでの話で、Moiraにおける古代ギリシャ世界はエリュシオンがまだ確立されていない時代が設定されている可能性が高いことが分かった。
ところで、Moiraの歌詞ブックレットの表紙のイラストを見ると、左下に竪琴を持った男がおり、裏表紙の冥府に足を突っ込んでいる。明らかにオルフェウスを意識しているだろう。ギリシャ神話上の彼は吟遊詩人で、アポロンから伝授された竪琴の腕は確かなものとされていた。
気になるのは、明らかにオルフェウスらしき姿が描かれているにもかかわらず、曲中に彼らしき人物がいないことだ。
厳密に言えば、「オルフ」と呼ばれる金髪の男がエレフセウス率いる奴隷部隊に参加していたり、『神話の終焉 -Τελος-』で冥府の扉を開いた男はオルフェウスではないかという説はある。
しかしギリシャ神話上のオルフェウスは神の血を引いており奴隷ではない。また、Moiraには数名、ギリシャ神話の登場人物から名を引用されている人物がいるが、元の名を省略するような引用例がない。
冥府の扉を開けるという行為は、妻エウリュディケを取り戻す神話の内容に合ってはいるものの、直前までのエレフセウスの戦いの内容と無関係であまりにも唐突感がある。
ではなぜオルフェウスらしき男が描かれたのだろうか。
私が思うに、彼を描くことでエリュシオンの誕生を示唆しているのではないだろうか。
前述したとおり、オルフェウスはオルフェウス教の開祖とされている。
(彼は神話上の存在であるため、厳密には開祖という設定にされたのだろう)
輪廻転生とエリュシオンの概念は、彼(と同時期に成立したピタゴラス教)の影響が大きい。
冥府に片足を突っ込み、まさにこれからエウリュディケを救いに、そして結果的に永遠に失う彼の存在を示唆しておくことで、これからエリュシオンの存在が生まれることを暗示していると考えることができる。
結論
Moiraでエレフセウスやレオーンティウスが生きていた時代は、古代ギリシャの中でも暗黒時代と呼ばれる、文字記録が乏しい動乱の時代に入るかどうかという頃だろう。
しかしその頃はまだ、人は死んだら生前の行動の善悪にかかわらず皆冥府に行って影のような存在になると考えられており、そこに輪廻転生やエリュシオンの概念は希薄だった。
エリュシオンの概念はその後、オルフェウス教(やピタゴラス教)の普及に伴って定着していく。その時代の移り変わりを、冥府に行こうとするオルフェウスの姿で暗示しているのではないだろうか。
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参考文献:
藤村 シシン(2015). 『古代ギリシャのリアル』. 実業之日本社
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更新履歴
2024/06/08 初稿
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