【SH考察:086】ラフレンツェを通してみる楽園
※2024/05/20更新
Sound HorizonのElysion~楽園幻想物語組曲~は、Roman以降の地平線と比べて明らかに表現の抽象度が高く、曲と曲の間でのストーリーとしての連続性を見出す難易度が比較的高い。
今回はラフレンツェという一人の人物を中心に解釈を進めてみようと思う。
彼女と言う存在はエルの世界にどのような影響をもたらしたのだろうか。
対象
4th Story Elysion~楽園幻想物語組曲~
考察
楽園と楽園
そもそもこの地平線のタイトルでは「エリュシオン」を冠しているが、曲中もうひとつ「エデン」という楽園も登場しており、この時点でギリシャ神話とキリスト教の価値観の混在がみられる。
両者については以前別記事で触れているが、今回の話をわかりやすくするために簡単に説明しておく。
エリュシオン:ギリシャ神話における死者のための楽園
死者のための死後の世界だが、神に関係する者や英雄など、恵まれた者だけが入ることができる領域という位置づけ。
実際のキリスト教圏になったヨーロッパでも、ギリシャ神話への憧れをもつ芸術家がおり、たとえばベートーヴェンの第九『歓喜の歌』には、歌詞としてドイツの詩人シラーによる詩を用いており、そこにエリュシオンが登場する。
エデン:キリスト教における生者の楽園だった場所
旧約聖書に登場する、かつて生者が住んでいた楽園、理想郷のこと。
人類最初の男女アダムとイヴが蛇にそそのかされ、禁断の果実を食べてしまったことで、このエデンから追放されたという失楽園の話が有名だ。
この地平線の登場人物が生きている場所は、教会があったり魔女狩りが起きていたりなど、明らかにキリスト教色の強いヨーロッパだ。つまり、かつてエデンを失った人間が、死者のためのエリュシオンに憧れる風潮のある世界とみなせる。
実際『エルの肖像』ではそれらしきことを語っている。
この地平線の人物は、この価値観の上に存在するということを前提として認識しておく必要があるだろう。
エリュシオンに近づいたようにみせかけて失楽園
理想郷に近づこうとした結果遠ざかる行為を、失楽園(エデンを失うこと)に繋がるような表現で描いている様子がみられる。
わかりやすいところはこれだ。
原罪とは、キリスト教などで信じられている、人類最初の男女アダムとイヴが神に背いて禁じられていた果実を食べてしまったことを指す。人類初の罪ということから一般に原罪というとこの件を指す。そしてこの原罪のせいで失楽園が起こる。
(宗教・宗派による解釈の違いはあるため、あくまでその中の比較的メジャーな解釈例)
しかし、「娘が母になって娘を産むこと」がなぜ原罪の繰り返しになるのだろうか?
女の子を産むこと=原罪=神に背く行為?知恵をつけたこと?ととらえることは、正直私個人の感情としては大変抵抗感が強い。女性蔑視に見えるからだ。
またキリスト教世界の根底として、人類は原罪を未だに抱えたままであり、その人類が神の国に至るには清く慎ましく生きるべき、という考えのもとで人々は生活しており、無論これは女性に限った話ではなかった。
もし"娘"と性別を指定せず、単に"子"を産むということであれば、人間が居続ける限り知恵をつけ続けることを原罪の繰り返しと例えたという意味で解釈ができたかもしれない。
しかし実際には"娘"と性別を明確に絞っている。男児では原罪の繰り返しにならず女児なら繰り返すとしているため、性別を絞った意味を探る必要がある。
では原罪を犯したアダムとイヴのうち、女性イヴだけが担った罪は何だろうか。
それは蛇の甘言に負けて禁断を破ったことだろう。最初に蛇の甘言に負けて果実を取ったのはイヴで、アダムはそれを分け与えられた側だ。
ここでようやくラフレンツェの話に繋がるのだが、この罪を実際に繰り返した様子は『エルの絵本【魔女とラフレンツェ】』にある。
ラフレンツェは寂しさに耐えかねていたところで竪琴を持つ青年と会い、恋に落ちて、祖母から禁じられていたにもかかわらず肉体関係を持ってしまう。
ラフレンツェに近づいたこの青年は、彼女に子供を産ませることが目的であり、彼女を真に愛していたわけではなかったようだ。その後のラフレンツェが呪いを歌っているという点からしてそれを察することができる。
この事象から、前述の母になって娘を産んだことで原罪を繰り返した(真意を隠した青年の甘い言葉に乗って禁断を破った)のはラフレンツェということになる。
この曲はギリシャ神話感が全体的に非常に強いが、理想郷に近づこうとして、青年としては神話のエリュシオンに近づくかのような行為をしたつもりだったが、実際にはエデンを失う行為に等しかったという強烈な皮肉に見える。
ラフレンツェの精神的延長線たるエリス
仮面の男は「エリス」を探して5人の娘のもとに現れる。
この娘達の台詞はラフレンツェの声としてもおかしくないような内容が見て取れる。
Arkの声
『Ark』は、ソロルがフラーテルと兄妹だとすれば異質な関係を築き、距離を置こうとしたフラーテルに対してソロルが狂気的な行動をとっているように見える。
その中でも特にここの部分だけ切り取ると、青年の裏切りにショックを受けたであろうラフレンツェの声に通じるものがありそうだ。
Baroqueの声
『Baroque』は曲全体が同性愛を実らせることができなかった娘の独白だが、同性か異性かを抜きにしてこの台詞だけみると、ラフレンツェの気持ちと取れなくもない。
彼女の呪いがどのようなものだったか、詳細は不明だが、後生続くものならば青年は呪いの影響を感じるたびにいつまでもラフレンツェを忘れることはできないだろう。
そしてラフレンツェの手元から奪われた赤ちゃんを愛しく思っていたら、離れ離れになっても築けた唯一の絆が「呪い」だったのかもしれない。
なお他の4人と違ってこの曲はカギカッコで括られた台詞ではないが、そもそもこの曲自体が全体的に告解の形をとった彼女の独白であり、台詞と同等のものとみて良いだろう。
(なお厳密に言うと、彼女は「赦しが欲しくて告白している訳ではない」らしいので告解ではない。告解とはキリスト教で赦しを得るために行う儀礼)
Yieldの声
『Yield』では正面から付き合えない相手(おそらく既婚か恋人がいる相手)への思いに悩む少女の話だ。
幸せになりたいというつぶやきは、番人としての役目に関する重い制約と青年への恋心の間で揺れるラフレンツェが漏らした声であってもおかしくない。
Sacrificeの声
『Sacrifice』では相手がわからないまま妊娠し魔女として火炙りにされた妹を大切にする姉による村への復讐が描かれた。
姉が放火直前に言い捨てる台詞は、死後の世界への番人であるラフレンツェが、生者の世界で求めた幸せを得られなかったことへのやるせなさや怒りの声としてもおかしくない。
StarDustの声
『StarDust』は浮気男にブチギレて銃を射ち放った女の話だが、浮気を知った、つまり男に裏切られたと知ったときの女の台詞は、ラフレンツェが青年に捨てられたときにも言っていそうなセリフだ。
余談:曼珠沙華の違和感
最後に完全に余談だが、ラフレンツェがいた場所の地理条件が非常に曖昧であることについて話したい。
具体的には「曼珠沙華」が登場している点が不可思議だ。
曼珠沙華とは一般的には彼岸花という、このような特徴的な形の花を咲かせる植物で、秋の彼岸の時期に咲くこと、墓場の傍に咲いている場合が多いこと、毒性があることなどから死を連想させる花だ。
(リコリスLycorisは曼珠沙華の学名の属名)
この花は東アジア原産で、日本や中国では見られるが他の地域ではマイナーだ。例えばアメリカでは1854年に初めて持ち込まれた。
つまりギリシャ神話っぽさを押し出しつつ実際にはキリスト教世界という背景、かつどれくらい近世なのか不明瞭な世界観で、東アジアらしい曼珠沙華を採用するというのは些か奇妙に感じる。
ただ聞き手である我々からすると、曼珠沙華=彼岸花といえば死を連想しやすいため、ラフレンツェの立場との相性は良い。ここはギリシャもヨーロッパも関係なく、聞き手への印象付けに使われたとみなすしかない。
ギリシャ神話っぽい死を連想させる花はアスフォデルスという。冥府にこの花が咲く場所があるとされた。
灰色がかった白い花の色を彷徨う死霊の影のように見ていたようだ。
結論
ラフレンツェは、かつて楽園を失った人間が、理想郷である死後の楽園に近づくのを阻む番人だった。
彼女は寂しさに耐えかねていたときにとある青年と出会い、祖母オルドローズの言いつけを破って処女を失った。
そこまでの犠牲を払ったにもかかわらず、青年はラフレンツェのもとから去ってしまった。
そのことに対するラフレンツェの動揺、哀しみ、怒り、そして青年とその間に出来た子への捨てがたい愛情に関するラフレンツェの声は、『エルの絵本【魔女とラフレンツェ】』では描かれていない。
ただ呪いを歌ったことはわかっているが、感情面の描写はない。
そして意図的なのか(もしくは私がかいくぐり過ぎたか)、仮面の男の「エリス」候補として見つかった5人の娘達の声は、ラフレンツェの声の代弁として聞いてもおかしくはないものだった。
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参考文献:
池上 正太(2016). 『図解 中世の生活』. 新紀元社
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
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更新履歴
2024/04/13
初稿
2024/04/20
「エリュシオンに近づいたようにみせかけて失楽園」に一部追記
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記
2024/5/20
「余談:曼珠沙華の違和感」に一部追記