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【SH考察:090】『生と死を別つ境界の古井戸』の欺瞞を表す緑

Sound HorizonのMärchenの『生と死を別つ境界の古井戸』に登場する「健やかに悲惨な子」は緑色の衣服を着ている。
テレーゼが黒と青を着ていることに意味を見出せたように、あの子が緑を着ていることにも意味を見出せるように感じたため、ここにまとめた。


対象

  • 7th Story Märchenより『生と死を別つ境界の古井戸』

考察

一般庶民の衣服

『生と死を別つ境界の古井戸』の主人公のことを便宜上井戸子と呼ぶ。
また、服の色味はジャケットイラスト及びAround 15th Anniversary Re:Master Productionで、Salon de Horizon会員限定で入手できたyokoyan描き下ろしAround15周年記念イラストミニ屏風を、質感はジャケットイラストとストーリーコンサートでの衣装を参照する。

図:井戸子のイラスト
Around15周年記念イラストミニ屏風を筆者が撮影

井戸子は明らかに一般庶民だ。毎日家事に追われ、一般庶民の日課だった糸紡ぎに精を出している。
裕福ではなかっただろう。父親はおらず、寡婦ひとりで幼い子を二人養っている状態だ。

中世の技術で生地を緑色に染めるには手間がかかった。一回で綺麗な緑色に染めるのは難しく、黄色と青で二重に染める必要があったからだ。そのため緑の服はあまり庶民的とは言えず、庶民が着るにしても晴れ着であったと考えられている。

しかし井戸子は普段着として、継ぎ接ぎしながら緑色の服を着ている。服を頻繁には増やさない庶民にとっては継ぎ接ぎ自体はよくあることだったようだが、もしかすると死んだ舟乗りの父からもらった服に愛着があり、あえて着用しているのかもしれない。

子供の緑

新緑のイメージから転じて、若々しさや青春のイメージをもたらすことから、緑は子供の色とも考えられた。

大人であっても五月祭という、夏の豊穣を祈る祭りであれば緑を着用することはあったが、逆に言えばそれ以外ではあまり着なかった。

ただ井戸子が子供であることは自明だ。継母の言いつけに従いながら家事にいそしみ、ときおり亡き父に想いを馳せる。そのような父母に頼りながら生きる姿からはわかりやすく子供らしさを感じる。
わざわざ緑で表す必要がないほどにわかりやすいため、緑が表したいことは子供らしさだけではないと考えたい。

欺瞞ぎまんの緑

キリスト教圏では、緑色は欺瞞、つまり人を欺くことや嘘の意味を持つ色だった。

緑といえば草木を連想させる。そしてこの葉は夏に鮮やかな緑色であっても、秋になれば赤や黄色などに色を変化させる。この変化するという点が不自然、不可思議で、悪魔的であると考えられ警戒され、やがて欺瞞の色とされるようになった。

神が作ったものには何らかの意味があると考えられていたため、自然の緑が色を変えることにも意味を見出そうとしていたのだ。

図:紅葉
出典:Chris Glass, Cincinnati, USA, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

今でも悪役や化け物、恐ろしいイメージのキャラクターを緑色の肌で表すことがあるのはその名残だ。権利的な兼ね合いで画像を載せられないが、シュレックがわかりやすい例だろう。
洋画では緑色の肌の悪役や怪物役をしばしば見かける。

図:ミュージカル『WICKED』の看板
西の悪い魔女エルファバは緑色の肌をしている。
出典:The Lud, Public domain, via Wikimedia Commons

彼女が欺いたもの

『生と死を別つ境界の古井戸』の中で欺いたものといえば、黒死病のことだろうか。

他の記事でたびたび触れてきたが、彼女の「黄金きんまみれ」と妹の「瀝青チャンまみれ」は、本当の黄金や瀝青ではなく、黒死病への感染と身体が黒く変色する様を比喩しているのではないかと考えられる。

日が替わり 嗚呼 黄金きんまみ 炊事洗濯全て やらなくて良い!
(中略)
日が過ぎて 嗚呼 瀝青チャンまみ

Sound Horizon. (2010). 生と死を別つ境界の古井戸 [Song]. On Märchen. KING RECORD.
※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり

あえて黒死病とハッキリ言わずに、黄金や瀝青にたとえて「可愛い復讐」のようにみせている。意地悪な継母や妹への可愛い復讐のはずが、黒死病という大量の死者を出した歴史に残る出来事に発展してしまったのであれば、現実から目を背けたくて嘘をつきたくなるかもしれない。

井戸子自身はもともと復讐をすること自体にためらいがあった様子が見られる。

なるほど、君もなかなか健やかに悲惨な子だねぇ。
復讐に迷いがあるのなら、時間をあげよう。
この境界の古井戸の中で、もうしばし、うらみについて考えてみるといい。

Sound Horizon. (2010). 生と死を別つ境界の古井戸 [Song]. On Märchen. KING RECORD.
※書き起こしのため誤差がある可能性あり

結局復讐に踏み切ったものの、井戸子が望むよりもはるかに深刻な問題に発展してしまったため、自分の責任ではないと思いたかったのだろうか。

結論

井戸子に緑色の服を着せていることから、彼女の子どもらしさを強調するとともに、何かを欺こうという意図を感じる。

聞き手に対して復讐の内容を過小にみせたことがその欺きの中身だったのかもしれない。ただ彼女自身復讐に躊躇していたことから、思ったより大ごとになってしまったことに動揺し、自分に対して「そんな大ごとじゃない、妹が黒くなったのは瀝青で汚れただけ」と言い聞かせて現実逃避しており、その欺瞞の心をあの緑色の服で表したのかもしれない。

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参考文献:
徳井 淑子(2019). 『黒の服飾史』. 河出書房新社
徳井 淑子(2023). 『中世ヨーロッパの色彩世界』. 講談社学術文庫

サムネイル:
アリ・シェフェール作『キリストの誘惑』1854年
Ary Scheffer, Public domain, via Wikimedia Commons
キリストの横にいる悪魔サタンの肌の色は、緑がかった不気味な色をしている。

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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。

𝕏(旧twitter):@lizrhythmliz

更新履歴

2024/05/11 初稿

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