【SH考察:083】『生と死を別つ境界の古井戸』の時代設定がよくわからない
Sound Horizonの楽曲のひとつ『生と死を別つ境界の古井戸』。
この曲がいつの時代を描いているのかを考えると、実は結構ややこしいことになるという点に気づいた。
そのため、今回はこの曲の時代設定の謎について考えてみた。
対象
7th Story より『生と死を別つ境界の古井戸』
考察
『ホレおばさん』
『生と死を別つ境界の古井戸』は、明らかにグリム童話の『ホレおばさん(Frau Holle)』という作品がモチーフになっている。
著作権がとっくに切れているため、原文はWebでも読める。ドイツ語だけど。
これはグリム童話第7版のバージョン。『ホレおばさん』は初版から既に掲載されており、版によって少しずつ内容が異なるが、第7版が決定版なのでそのリンクを置いておく。
ストーリーはほぼそのままで、娘が糸巻を血で汚し井戸に落としてしまい、継母に逆らえず井戸に飛び込んだところ異世界に辿りつき、パンやリンゴを救ってホレおばさんと出会い、彼女を熱心に手伝ったところ金と共に帰宅できた、という話だ。
逆に言えば、『生と死を別つ境界の古井戸』は原作に忠実に沿っている箇所が多いぶん、原作にない要素がピンポイントに目立つ。
あえて原作から外れてまでそのような要素を入れているということは、曲中で強調したい点なのではないだろうか?
今回、『生と死を別つ境界の古井戸』の主人公のことを便宜上井戸子と呼ぶ。
時代設定が謎
井戸子がいつの時代を生きたのか、妙に特定しにくいというか、曲中の情報が錯綜している。
曲中の情報を拾うだけでも4つの時代を跨いでいるのだ。
「ローレライ」を知っている(=19世紀以降)
父親がイドルフリートを連想させる(=16世紀)
(エレキ)ベースやギターやキーボードを知っている(=20世紀)
ペストの流行に関与していそう(=14世紀)
この4つの情報について、順を追って確認していく。
1. 「ローレライ」を知っている(=19世紀以降)
糸巻きを井戸に落とすシーン
井戸子は糸巻きを井戸に落としてしまい、泣きながら帰宅する。
このシーン自体は原作にもある。
ただし原作には上記の通り、「悲恋に嘆く乙女」の例えはない。
曲中あえて入れた要素と考えると重要な意味を持つのではないだろうか。
ローレライとは
ローレライとは、ドイツ西部のライン川沿いの岩場と、その岩場にまつわる伝説上の女性のことを指す。今回は特に後者のほうを意味しているのだろう。
この場所は古くから流れの関係で渦が発生することや響く音があることから、危険で恐れられている場所だ。
近年でも2003年と2011年に船舶事故が起きている。
この危険な渦や響きは、古くから何らかの妖精などのせいだと考えられていた。ただし、最初は具体的な人物名や、性が女性であるといった固定化はなされていなかった。
ローレライという名の女性としてのイメージが生み出されたのは19世紀に入ってからで、クレメンス・ブレンターノという作家がきっかけだ。
彼は1800年に、自身の作品『Godwi oder Das steinerne Bild der Mutter – Ein verwilderter Roman(ゴッドウィ、または母の石像 - 野生の小説)』の中で、美しすぎて周囲を惑わしてしまう女性ロアレイ(Lore Lay)が岩から身を投げるという内容を著した。
その後、彼自身もたびたび作中に同様の人物を登場させ、他の作家も文学や音楽のテーマとして取り上げるようになった。
やがてこの女性には表記や発音の揺れはあるものの「ローレライ」という名であるとされ、彼女の美しさによる惑わしが渦、悲恋に嘆く哀しみの声があたりに響く音のように扱われた。
このように、ローレライという存在を確立させたきっかけはクレメンス・ブレンターノだ。
それ以前にはローレライは存在しない、いわば新しい創作話だったのだ。
そのため同時期(19世紀前半)に昔話である童話をまとめたグリム兄弟は、ローレライにまつわる伝承を一切集録していない。
2. 父親がイドルフリートを連想させる(=16世紀)
原作では、父親に関する言及は一切ない。物語開始時点で主人公・継母・義妹で家族が形成されている。
それに対し曲中では、井戸子がわざわざ父親について語る場面があり、節々で父親に向けて発言する場面が織り込まれている。
明らかに父親の存在を意図的に強調しているように見える。
イドルフリートとはIdolfried Ehrenbergのこと。
『硝子の棺で眠る姫君』でどさくさに紛れて登場した金髪の航海士で、コンキスタドーレスとしてアステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテスと同年代を生きていたようだ。
『生と死を別つ境界の古井戸』の方では直接的には表現されていないが、明らかに父親として連想させようとしていると思われる。
井戸子もイドルフリートも金髪で、井戸子の父もイドルフリートも「ふなのり」で、井戸子はイドルフリートがよく使う「低能」というワードを口走っている。
ただイドルフリートが父親確定かというと、気になる点もある。
別記事でも触れたが「ふなのり」の漢字表記に違和感があるなど、彼女とイドルフリートの父子関係について引っかかるところもある。
「舟」は手漕ぎボートのような小さいふねを指すため、航海時に使われるような「船」とは異なる。父親が「舟乗り」ならば、イドルフリートとは規模感が違うのだ。
3. (エレキ)ベースやギターやキーボードを知っている(=20世紀)
上から順にベース、ギター、キーボードのソロパートのところで、井戸子が各楽器名を叫んでいる。
このうち、音やコンサートでの様子を見るに、ベースもギターも明らかにエレキだ。アコースティックではない。
エレキベース・ギターは20世紀に入ってから実用化されたものだ。
井戸子の生活ぶりからして、20世紀以降の人物だとはあまり思えない。
産業革命以降の紡績が発達した近現代で、「井戸の傍で糸を紡ぐ」ことが日課となっている庶民がどれくらいいただろうか?
もうここは曲中のノリとして、時代考証としてはスルーすべきなのかもしれない。
4. ペストの流行に関与していそう(=14世紀)
これまた以前別の記事でも触れたが、『生と死を別つ境界の古井戸』の解釈の一説として、ペストの感染拡大を暗喩しているのではないかというものがある。
曲の最後にネズミが駆け回る声と音がし、コンサートではそれが視覚的にも強調されていた。
ペストはもともとネズミの病気で、ノミを媒介して人に感染したと言われる。(近年異論もあるようだが)
怠惰な妹が瀝青塗れ、つまり体が黒くなるというのは、ペスト感染の症状で体が壊死し黒ずんでいく様子を例えたのではないか、という説だ。
ヨーロッパにおけるペスト、いわゆる黒死病といえば14世紀の大流行が思い浮かぶ。
前述のコルテスが航海士として活躍した時代は16世紀前半。
一応、ペストは15世紀以降もたびたび流行した時期があるため、イドルフリートがいた時代=コルテスがいた時代=16世紀になってから井戸子が生まれ、成長後たまたま断続的に発生していた黒死病発生時期が重なった、という可能性もある。
ただ正直16世紀のペストはそこまで有名ではないため、無理矢理16世紀に寄せてしまう感じがしてしまって断言できない。
脚色した作者がいる?
ここまでの要素を振り返ると、井戸子が実際に生きていた時代は16世紀(コルテスがいた時代)か14世紀(黒死病流行期)だろう。
そこに「ローレライ」(やエレキ)といった19(~20)世紀の要素を後から脚色したような感じがする。
前提として、『生と死を別つ境界の古井戸』は、井戸の傍に落ちていた「Das Marchen des Licht und Dunkel(光と闇の童話)」という本の中に収録された話のひとつ、という体裁だ。
それこそブックレットはまさに童話の本のような作りだ。
作者は不明だ。記載がない。
ただグリム童話に倣うならば、19世紀になってから作られたものだろうという仮説は立てられる。
その意図ははっきりとはわからないが、この作者が『光と闇の童話』を著す際に、井戸子の物語に脚色したのではないだろうか。
結論
『生と死を別つ境界の古井戸』は本来14世紀か16世紀の物語だった。
しかし作者が童話としてまとめる際に、19世紀になってから存在した「ローレライ」という要素で脚色を加えた。
実際、童話(の形をしたMärchenのブックレット)には、以下のような但し書きがある。
おおもととなる井戸子の物語に、脚色を加えて描いた物語としては虚構に仕立てた……のかもしれない。
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
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更新履歴
2024/03/23
初稿
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記