【SH考察:079】冥府の扉を開いた「或る男」は誰か
Sound HorizonのMoiraにて、『神話の終焉』では、それまでエレフセイアという叙事詩の中でさんざん人物名が登場してきたにもかかわらず、なぜか「或る男」と濁されている人物がいる。
今回はこの「或る男」が誰かを考えてみよう。
対象
6th Story Moiraより『神話の終焉 -Τελος-』
考察
まず文章の意味を整理しよう
或る男について考える前に、或る男が登場する文章全体の意味を整理したいと思う。
この部分は前半が比喩、後半がその比喩の意味を表していると考えられる。
言い換えると、「或る男が始めた人間同士の戦争で死者がたくさん発生したことで、永遠に続くかのように思われた神を畏怖する時代が終わった」という意味ではないだろうか。
「冥府の扉が開かれる」は、死者の世界である冥府へ送る人間が増えた、つまり死者が増えたということで、【死人戦争】開始のこと。
【死人戦争】は人間同士の争い。人間は神とは異なり死せる者(死んでしまう存在)。人間vs神ではなく人間同士の争いであるという意味だと考えられる。
神話は物語というよりも、神を畏怖するそれまでの慣習が変わっていったという描写だと考えられる。これについては後述する。
ぶっちゃけエレフだと思う
今回考えたいのは「或る男」だが、身も蓋もないがエレフセウスだと思う。
理由は、エレフが運命、将来とは自分のものという、時代に合わず神に背くような考え方をしていることが大きい。
運命の所有権
エレフ達が生きていた時代は、神からのお告げである神託が政治に強く影響を及ぼしていた。
アルカディアの王妃イサドラが神託を憂いて、子を家臣であるボリュデウケスに授けることとなったのがその一例だ。
また嵐など自然現象も神によるものだと考えており、雨風が合わさって強まって嵐になったという描写があえて神に例えられている。
神というものが日常に密接に関わり、人々は神に対して畏敬の念を持っていたことがわかる。
作中の主要人物3きょうだいのうち、レオーンティウスとアルテミシアは、このような時代背景に沿った考え方をしている。
両者の間にも少し違いはあるが、運命もとい将来の選択権は自分ではなく神にあると考えている点は共通している。
ミーシャは神が将来を決め、人は唯受け入れる事しかできないという考え方。
レオンも神が将来を決めるという点は同じだが、戦うことで神は微笑む(報われる)可能性があると思っている点がミーシャとは違う。
とはいえ二人とも、前提として将来とは神が決めるものという考え方だ。
それに対して、エレフは明らかに前提から違う考え方をしている。
「運命(神)と戦って未来を取り戻す」という表現から、未来(将来)とはもともと自らの手の内にあるはずが、神に取られたという思想が見て取れる。
これは時代背景を考えると異端な思考だろう。
神を忘れていく人間
自然現象を神になぞらえ、神に畏怖の念をもち、自らの将来も自らではなく神に所有権があると考えてきた人間の中で、将来とは自分で決めるもののはずだというエレフセウスが登場し、戦争を先導し暴れまわった。
エレフに心酔する者もいただろう。エレフと同じ思いを持つ者が増えていってもおかしくない。
そしてそもそも時代が進むにつれて技術が発展し、人間の力を賛美する声が大きくなり、相対的に神への賛美が小さく、存在感を薄めていくのも想像に容易い。
結論
「エレフセウスが始めた人間同士の戦争で死者がたくさん発生したことで、永遠に続くかのように思われた神を畏怖する時代が終わった」
人々がある種現代的な考え方に移行していく転換期で、エレフが重要な役割を果たしたのかもしれない。
なお『神の光』では、神視点でも神が畏怖の対象でなくなっていることに気づいている様子がうかがえる。
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他にもSound Horizonの楽曲考察記事を書いています。
更新履歴
2024/02/24
初稿
2024/04/24
一部歌詞引用について「※ルビは書き起こしのため誤差がある可能性あり」の注釈追記
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